第4章 色恋@レジスタンス


◆ 第4章 色恋@レジスタンス



 4月に入った。まだ春休み期間ではあるけど、私は就活をしていた。

 とある企業で、適性テストからの面接という長丁場を終えて外に出ると、薄暗闇が私を迎えた。帰宅ラッシュの時間帯になっていた。夜風は冷たくて、まだトレンチコートはクリーニングに出せそうになかった。

 マスクをつける。肩の力が抜けたと同時に、ため息が出た。

 テストでも面接でもそうだけど、受ければ受けるほど、そもそも私には社会でやっていける適性があるのかな? というレベルから疑わしくなってくる。

 私は「したい」よりも「したくない」で動く。「なりたい」よりも「なりたくない」に左右される。

 だから、「絶対に嫌だ」とか「めちゃくちゃ自分に合わない」と感じる企業でさえなければわりとどこでもいい、というのが本音だった。

「何をしたいか」「どうしてここを選んだか」という前向きな姿勢を求められる就職活動というイベントは、根本的に私とは相性が悪いのだ。

 私はどうして仮面浪人をしたんだろう、と今になって考える。あの頃、周囲には「やっぱりあの大学に行きたいから」と言って聞かせた。そのときはほとんど迷いなんてなかったはずだった。

 だけど根底にあったのは「この大学に行きたくない」という気持ちだったのだ。この人たちと一緒にいたくない、こんなことを勉強したいわけじゃない、ここは私のいるべき場所じゃない。私を突き動かしていたのは、そんな否定的な感情だった。大学で学んだ先にどんな進路があってどんな大人になりたいかなんて、考えたこともなかった。

 受験し直したことを後悔はしていない。だけど、もっと目的意識をもっていればよかったかな、という後悔は、ないと言ったら嘘になる。

 面接は自分がどんな人間かを企業に知ってもらう機会、などと言い聞かせられたけど、実際に何度か経験してわかった。

 西野夕凪という人間の構成要素が書かれたカードの、どれを見せてどれを隠しておくか。その見せ方がうまくハマれば勝ち、ハマらなかったら負け。そして、面接をする企業側にも同じことが言える。社内の雰囲気や面接官の印象で会社を選ぶ権利が、学生の側にはあるのだ。

 面接って、そんな駆け引きだ。


 頭の中でぼやきつつ歩いていたら、見覚えのない桜並木の道に来ていた。どうやら行きのときと違う道に出てしまったらしい。私はスマホを取り出し、グーグルマップを立ち上げた。

 東京の桜は今が見頃だった。時期が時期なので、新入社員らしき姿も目立つ。彼らにはこの桜はお似合いだろうな、なんて思ったけど、画面の地図を見ながら人波を縫っていく私に、ゆっくり桜を眺めている余裕はなかった。

 ギリギリ渡れるかな、と思って小走りで近づいた横断歩道は、直前で信号が赤に変わってしまった。しかたなく立ち止まる。

 ふと横を見ると、夜桜の下で若い男女のカップルがキスをしていた。

 おいおい公衆の面前だぞ、って顔をしかめてしまう。こんな光景を見てロマンチックだと感じるような心は、とうの昔に捨て去ってしまった。いや、もとから持っていなかったかもしれない。

 私はキスというものをしたことがない。というか、恋愛というもの自体、経験がない。生まれ育った家庭環境のせいか恋愛にあまりいい印象がないし、第一、こんな顔だからしょうがないよね、と思っていた。

 この歳になって恋愛したことないのはヤバいよ、って言われたこともあるけど、そんな危機感だけで恋愛に対する悪いイメージを払拭できそうになかったし、泥沼に足を突っ込んでまで彼氏なんて作りたくなかった。

 そんなことを考えていると、左斜め上のあたりから視線を感じた。

 そちらに顔を向けると、スーツ姿の青年と目が合った。

「西野? 西野夕凪だよな?」

「えっと……」

 見たことある気がしたけど、すぐには思い出せなかった。

「俺だよ、みなみ耀太ようた。高1のとき同じクラスだった」

 みなみ、ようた。私は記憶を掘り返してみた。

 数秒ののち、脳内検索がヒットした。高校時代に茶色く染めていた髪を今は黒くしているけど、顔そのものはほとんど変わっていなかった。男子としては平均的な身長で、スクールカースト的にも真ん中くらいにいた優男、という印象で頭に残っていた。

「あぁ、思い出した。南くんか。うん、私、西野夕凪」

「やっぱり! 久しぶり! いやー変わってないな!」

 マスクで顔が半分隠れているのによくわかったな、って思ったけど、私は高校時代から(というかもっと前から)このスタイルだった。

 信号が青になり、私と南くんは同じ方向に歩き出した。彼もどうやら私と同じ駅に向かっているようだ。

「西野も会社帰り?」

 南くんに訊かれて一瞬戸惑う。そっか、本来なら社会人1年目をやっている学年だし、今はスーツだから新入社員に見えなくもないか。

「いや、4年生。今日はたまたま就活で」

「あれ? 西野って浪人してたのか?」

 ちょっと返答に迷ったけど、正直に答えることにした。

「……仮面浪人ってやつをね。まあ、いろいろあって」

「仮面浪人かー。いろいろってどんなことだよ? てか、どこ大からどこ大に行ったんだよ?」

 南くんは案外めんどくさい奴かもしれない。そう思いながらも顔には出さず、私は以前通っていた大学と今通っている大学を答えた。

 高校時代、彼は女子とはあまり積極的に話すタイプではなかったと記憶している。少なくとも私は一度もまともに話したことがなかった。

 とはいえ悪い奴ではなかったと思うし、信用はできる気がした。

 何より、彼は朝陽と仲がよかった。

 類は友を呼ぶ、とはよく言ったもので、私のまわりには、恋愛なんて興味ないとか、趣味に生きたいからずっと独り身がいいとか、そんな子が多かった。彼氏持ちなんて少数派だった。

 朝陽についてもそうで、男女問わず友達が多かったわりに恋愛関係の話はほとんど聞かなかった。ツイッターとかでも、恋愛なんぞには興味がないという旨の投稿をときどきしている。

 そんな朝陽にも一時、付き合っているらしい、という噂が立ったことがあって、その相手がこの南耀太だった。

 たしかに仲がよかったのは事実で、私も、朝陽と南くんが一緒にいるところはたびたび見かけた。もっとも、朝陽本人は付き合っていることを否定していたけど。


 話しながら歩いていたら駅に着いていた。ここから20分ほど電車に揺られた先が私の家の最寄り駅だ。南くんが降りるのはさらにその二つ向こうの駅らしい。

 向かう方面が同じだったので、電車に乗ってからも会話は続いた。

 車内はすでに混雑していて、私たちは車両の片隅に追いやられた。私が壁に背中を預け、南くんが目の前に立つ。身長差が大きいせいで、私は劇場の最前列で映画を観るときみたいに見上げる形になった。

 南くんは地元の大学に進んで、この春に卒業。4月から就職して東京に住み始めたという。勤め先がさっきの駅の近くなんだそうだ。

 私は、大学進学と同時に上京、仮面浪人したあと今の大学に進んで、まだ春休みだけど今日は就活、来週から大学4年生としてのスタートを切る、というところまで話した。朝陽のことは、向こうから言及されなかったので伏せておくことにした。

 私が降りる一つ手前の駅で、また人がたくさん乗ってきた。

 人混みに押された南くんが、私の背後の壁に手をつく。彼がさらに私に近づく形になった。

 電車が発進したとき、唐突に「あのさ、西野」と、南くんが急に改まった話しぶりになった。

「久しぶりに会って、こんなこと言うのもあれだけど……」声のトーンを落とし、そして意を決したように彼は続けた。「俺、西野のこと好きだった。付き合ってください」

「…………は?」

 思わず声をあげてしまった。

 え? どういうこと? 何言ってんの? 告白? ちょっと待って? ってかここ満員電車の中だよ?

「……あ、いきなり言われても、戸惑うよな。悪い」

 何を言ったらいいかわからず、気まずい空気が流れる。

 次の停車駅を告げるアナウンスが流れた頃、南くんが再び口を開いた。

「だけど、もしよかったら、考えてくれないか?」

 真剣な表情をしていた。朝陽の友人でもある手前、無下に断るのも申し訳ない気がした。

「……じゃあ、友達から」

「わかった。それでもいい。ありがとな、西野」

 電車が私の降りる駅に着いた。

 結局この日はラインで友だち同士になったところで、私が一方的に電車を降りた。


 電車を降り、外の空気を浴びて気持ちを落ち着ける。

 戸惑い、驚き、恐怖、不安。人生初の告白を受けた私には、そんな感情が渦巻いていた。嬉しいとか幸せだとかいう気持ちとは異なるものだった。

 かつてのクラスメイト。悪い奴じゃない。朝陽とも仲よくしていた。

 だけどOKは出せなかった。出していいのかわからなかった。

 恋愛ができるのも、そもそも恋愛をしたいと思えるのも、一種の才能か権利か運か、何か特別なものが必要なんじゃない? そんな考えが頭に浮かんだ。

 でもきっと逆。恋愛に特別なものが必要なんじゃない。

 普通の人が持っているものを、私が持っていないのだ。


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