第4話

 結局、英輔さんは一週間経っても大和撫子に居た。つまり、マスターが折れたのだ。英輔さんは正式に大和撫子に雇われることになった。

 その前に、もう一度確認されたけど。

「理恵ちゃん、本当にいいの? 雇って」

「? 何が駄目なんですか」

「自分のこと不死者とか言っていて、怪しいから」

 さらっと言われた。

 ああ、そういえば不死者とか言っていたっけ? 接している英輔さんはごくごく普通で、……ごめんなさい、ごくごく普通は嘘だけど、甘いものを愛し過ぎている以外は普通の人だから忘れていた。

 今だって、客席でマスターに強請って作らせた餡蜜を食べている。普通サイズだけど。

「あれ冗談じゃなかったんですか?」

「冗談なら冗談で問題」

 それもそうか。

「変なこととかされてない?」

 信頼感零な発言をぶちかます。そこまで信頼感ないのに正式に雇おうとか思う辺り、やっぱり疲れているんだな……。

「されてませんよー」

 だから私は、その背中を押すように明るく笑い飛ばした。私がマスターの足枷になってはいけない。

「ちょっと変わってるけど、いい人ですよー」

「……ならいいんだ」

 ほっと安心したようにマスターが肩の力を抜く。

「本当にただの行き倒れか」

 そして小さく呟いた。まだ行き倒れていなかったけれどもね、時間の問題だっただろうけれども。あと、行き倒れの前に「ただの」っていうのは普通つかないだろうけれどもね。

「ならいいんだ」

 そう言ってマスターが笑う。

 その顔を見ると、やはり前よりも多少血色が良くなっている。やっぱり、無理を言ってよかったな。

 こうやって長々とマスターと喋るの久しぶりだ。今まで二人だったところが、三人になるのだから仕方がない。ちょっと寂しいけれども。

「……元気ないね?」

 そんな思いが顔に出ていたのか。マスターが怪訝そうに問いかけてくる。

「そうですか?」

 私は慌てて顔をあげて笑ってみせる。

「どうした、疲れた?」

「いえ、別に」

 疲れた、とか貴方にだけは聞かれたくない。

「……餡蜜でも食べる?」

 伺うような声色で言われた言葉に、思わず吹き出す。

「それで元気でるの、英輔さんぐらいですよ」

 マスターまで思考回路が英輔さん寄りになっているんじゃないだろうか。

「……それもそうか」

「でも、作ってくれるなら食べたいです」

 マスターが作ってくれた餡蜜なら。

「ん。じゃあ、いつも頑張ってくれる理恵ちゃんに特別サービスで作ってあげよう」

「英輔さんのあれは?」

「あれは可哀想な貧しい少年への施し」

「ああ……」

 否定も出来ずに苦笑い。

「あと三十分で閉店だから、そしたら食べてから帰りな」

 時計を見ながら言われた言葉に、

「はい」

 大きく頷いた。


 そして閉店後。海老茶式部から、セーラー服に着替えて、マスターが作った餡蜜を食べる。うん、美味しい。

 さっきまで餡蜜を食べていた可哀想な少年こと英輔さんは、マスターとカウンターの方で何かを話している。

 ああ、あの怠惰なマスターが作ってくれた餡蜜なんて、とても貴重だ。あ、写真とっておけばよかった。ちょっと食べちゃったけど、今からでも間に合うかな。

 慌てて鞄からケータイを取り出し、餡蜜の写真をとっていると、ちゃりん、っと音がした。聞き慣れたそれは、入り口のドアが開いた音。

「いらっしゃいませ」

 条件反射でそう言って、ドアの方を振り返る。振り返ってから、あれ、クローズの看板出したよな、と訝しく思う。

 入り口に立っていたのは、黒ずくめの男だった。身長が高い。二メートルぐらいあるんじゃないだろうか。枯れ木のようにほっそりしているのに妙な威圧感がある。

 いらっしゃいませ、を言ったまま、中腰になっていた私は、そのまま立ち上がるのも座ることも出来ず、スプーン片手に彼をじっと見てしまう。

「すみません、もう閉店なんですよー」

 言ったのは英輔さんだった。その言葉に、はっと我にかえる。じっと見たのは失礼だったかもしれない。ぱっと視線をカウンターの方に向ける。

 予想外に英輔さんは真剣な顔をしていた。いつもへらへら笑っているのに。

「お前は?」

 男の声は低い。少しざらついている。

「ただのしがないバイトです」

「……店長は」

「ゴミ捨て」

「呼べ」

 英輔さんはちょっと躊躇ってから、カウンターからキッチンへ身を乗り出す。いつの間にか、マスターはゴミ捨てのため席を外していたらしい。ゴミ捨て場は、キッチンの奥からでてすぐだ。

「さーわーむーらーさーん。なんかきたー」

 おおよそ、客商売で、お客様の前でするとは思えない呼び出しの言葉。普段ならば、先輩バイトとしてたしなめるところなのだが、今日はそんな気分になれない。

 営業時間外だし、そもそもこの男、本当にお客様なの?

「はぁ?」

 マスターの怪訝な声がして、次いで足音。

「何?」

 嫌そうな声で出て来たマスターは、男の姿を見ると顔を歪めた。

「なにしに来た」

「決まっているだろう」

 マスターが舌打ち。いつもだらだらしているマスターに相応しくない、真剣な顔。それに少し、怒っている?

 なんだか嫌な空気に、心臓がどきどきする。子どものころ、両親の喧嘩を見てしまった時みたいな気分。

 胸元のペンダントに手を伸ばすと、唇だけで呟く。ピラマ、パペポ、マタカフシャー。

「来るのはやい」

「営業は終わっただろう」

「だから良いってもんじゃねえだろ」

 いらいらとそう言うと、呆然と見ていた私に気づき、困ったように笑う。

「ごめんね、理恵ちゃん」

 なんで謝られたのかわからずに、それでも慌てて首を横に振る。

 マスターはまた、怖いぐらいの顔で男を見ると、

「表で話す。一旦外に出ろ」

 そう告げる。男は意外にも素直にそれに従った。ちゃりん、と鈴が鳴る。

「英輔。悪い、あと片付けといて」

「わかった」

「理恵ちゃんもごめんね」

「あ、いえ」

 よくわからないけれどもそう言う。私の方を見たマスターは、いつものマスターだったから。

「英輔、理恵ちゃん送ってあげて」

「へ?」

「はいはい」

 マスターの思いがけない言葉に、素っ頓狂な声をあげる私とは対照的に、英輔さんは当たり前のように頷く。

「え、え、私、平気ですよ?」

 そんなに遅い時間でもないし。いつものことだし。

「いいから」

「だけど」

「心配だから」

 マスターが真面目な顔でそう言うから、それ以上何も言えずに黙る。だって、心配されるのは、気にしてもらえるのは、嬉しいから。

 私が黙ったのを見てマスターは、少し満足そうに頷くと、

「餡蜜はゆっくり食べていいから。じゃあね、お疲れさま」

 片手を上げて、男と同じようにドアの外に消えた。

「お疲れさまですっ」

 ちゃりん、と閉まったドアに慌てて声をかける。一体なんだというのか。

 英輔さんの方を見ると、人でも殺しそうな鋭いまなざしでドアを睨んでいた。

「……英輔さん?」

 恐る恐る呼びかけると、

「なぁに?」

 いつものへらっとした笑顔をこちらに向けてきた。なぁに? は私の台詞だ。

「……今の、誰ですか?」

「理恵ちゃんが知らない人を、新米バイトの俺が知っているわけないじゃん」

 嫌だなぁーと英輔さんが笑う。

「嘘っ」

 知らないのにあんな対応をとっていたら、そっちの方が問題だ。

「なんか怪しいから警戒しただけだよ」

 へらへらっと笑われる。それから、

「餡蜜、食べなよ」

 それだけ言うと、片付けするからー、と言葉を残してキッチンの奥に消えていく。

 絶対なにかわけありだ。

 餡蜜を睨む。そこに答えなんてないけれども。

 どうしよう。実は借金取りとかなのかな。この店借金がたくさんあるとか。だってそんなに儲かってなさそうだし。

 マスター、困っているのかな。すごく真剣な顔をしていたけれども。

 溜息のような吐息がこぼれ落ちる。

 私には何も出来ないけれども、だからマスターが心配だ。

 残った餡蜜を口に運ぶ。

 なんだか味はよくわからなかった。

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