40 夢の解釈(11)
これほどまで言葉を尽くして説明して、どうしてきみはわからないのか。ぼくはきみの知性を疑わざるをえない。きみの目には、ぼくの説明が非常に混乱しているように映るという。きみの考えによれば、ぼくは「本当のところは道徳を擁護したいのに、かえって道徳を否定する結論に傾いてしまっている。」どうしてきみほどの人間がそのようなばかな感想を抱いてしまうのか、ぼくにはまったく理解できない。きみはこうも書いている。「人間がたとえ夢の中であれやすやすと道徳を突破してしまうことをあなたは危惧しており、人格の崇高さを確保するために回りくどい道を選んだことで、かえってあなたが本当に守りたいと思っているものを傷つけてしまっている。」きみが本気でそのような感想を抱いているとすれば、きみは道徳というものをいささか神聖視しすぎているのではないか。道徳が絶対的なものでないということを言うためには、人間がそれを破ろうと思えば破れるというまさにそれだけの事実を指摘すれば十分ではないのか。
きみと議論をしていると、ぼくは自分がなにを考えているのか、かえってわけがわからなくなってきてしまいそうである。ぼくの話を頭から否定するような態度をとるのだけはよしてくれ。議論の妨げになるだけである。それから、「あなたは少々疲れているようだ」などと、同情とも見下しともとれる感想を書き送って話をおしまいにしようとするのも、今後一切やめにしていただきたい。ぼくは議論を納得のいく仕方で終わらせたいし、きみもそうであるはずだ。きみは自分が勝たなければ納得しないというわけでないとすれば、ぼくはなんとしてもきみに負けを認めさせなければならない。
簡単なことなのである。きみが言うように、ぼくがサルだと仮定しよう。ところで、ニホンザルがサルであることを否定する人はいまい。ぼくもそれを真剣に真実だと考える。ところが、きみはいままさにそれと同じ真剣さで、疑わしい仮定を真実だと言い張っている。要は、きみが論証したいのは、ぼくがニホンザルだということなのである。ぼくがサルだとして、ニホンザルがサルであるとしても、ぼくはニホンザルではない。このことはまぎれもない事実である! 推論がいかに正しくても、結論が明白に事実に反するならば、まちがっているのは前提である。ぼくがニホンザルではないという事実にケチをつける用意がきみにないとすれば、きみが言っていることは根本的にまちがっていることになるのだ。
敗北を悟れないのは非常に愚かなことだよ。きみもいい大人なんだから、いいかげん白旗を上げて降参したまえ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます