31 夢の解釈(6)

前略

「信じろと命令することは、無意味である」とは、カントの言葉である。信じるべき理由がなければ、いつかはわかってくれるだろうという期待には、応えられない。はじめに言葉ありきである。言葉を軽蔑すれば、なにも始まらないし、なにも変わらない。

 ぼくの父の融通の利かない態度、押し付けがましく粗暴ですらある素朴さ、結局のところ世間の目を気にしての行動であるにすぎないのに、それをぼくのためにしたことなんだと言い張って自己の体面を保とうとする恩着せがましい父権主義的な厚かましさについては、正直きみも眉をひそめたようだが、ぼくが祖母の言動について書き送った冷徹な評価については、家族愛を支柱として育まれた温かい心をもつきみの心証をわずかだが害したようである。

 なにはさておき祖母はぼくの努力を評価すべきだったという意見にきみも同感だが、ぼくのためにと思ってお守りを買ってきてくれた祖母の気持ちをぼくは正当に評価していない。祖母には他にできることがなにもなかった。それでもなにかしたいと思ってくれるひとの心を踏みにじるべきではない。たしかにそうだ。きみの言うとおりだ。ぼくは自分で思っているよりも、はるかに冷たい人間なのかもしれん。

 ぼくが信仰を欠いた人間だからそうなのだろうか。あるいは、宗教というものとはおよそ無縁な教育環境で育ってきたからそうなったのだろうか。いやいや、そんなことはない。一部の宗教学者は、現代の日本人の大部分は無宗教であると断言するが、ぼくにはとんでもないことだと思われる。神や仏を信じて先祖の墓に手を合わすのも、既存の宗教体系とは必ずしも相容れない迷信や祟りの類を信じるのも、はたまた占いや手相、足つぼなんかを信じるのも、ぼくには等しく宗教的心情の発露であり、結局は同じ穴のむじなとしか思われない。重要なのは、何を信じているかではなく、信じるべきものがあるかどうかだ。

 人間は神や仏を信じれば信じるほど厚かましくなっていくようにすらぼくには思われる。「お守り」の効力など、ぼくはまったく信じていないが、そもそもこんなものが世間でもてはやされていること自体が、ぼくには信じられない。日本は仏教の国だろう。ぼくが理解しているかぎりでの仏教は、そもそも現世利益などとは本来無縁な宗教だったはずである。むしろそんなものとは一切手を切ることを勧めたのが釈迦の教えだったように思われる。しかし、仏教が社会に浸透していくにつれ、人々の欲求に呼応するように、現世利益を仏教へと密輸入したのが「密教」であった。現在では、世間で信仰されている仏教宗派のほぼすべてが何らかの形で密教の影響を被っていると考えてよい。うちは浄土真宗だが、祖母が毎日熱心に仏前で唱えていたのは『現世利益和讃』であり、ぼくが住んでいた地域で絶大な人気を誇っていたのは、歓喜天を祀った寺であった。これについて、とやかく言う権利があるのは、ぼくではない。釈迦のほうである。もし彼が現代によみがえったとしたら、『カラマーゾフ』の有名な「大審問官」章で描かれたのと似たような悲劇が演じられるのではないかと、ぼくはひそかに疑っている。

 葬式仏教、観光仏教、おおいにけっこうだが、現在の仏教の在り方が本来の姿からますます遠ざかっていることだけは確かだ。利己的な動機こそ、人々が宗教を信じる重要な動機であり、ましてや、それのみに突き動かされている者によって、偉そうにああだこうだ人の道を説かれるのは、ぼくには我慢のできないほどむかつくことである。ビジネスをしているんなら、もっと謙虚にやりたまえ。話はそれからだ。人々にかしずかれて偉そうにふんぞり返ってみたところで、ぼくにはなんの迫力も感じられない。死後の世界があるとすればあいつこそ地獄行きだろうと口の悪い人から後ろ指を指されないようにしたいのなら、もうちょっと自分の人生と謙虚に向き合ったほうがよさそうである。

 もちろん、こんなことはきみに言っても仕方のないことであった。しかしね。本質的なことは、しばしば「言うに事欠いてそんなことを」と真面目に取り合ってもらえないものなんだよ。自分によくしてくれる人こそ立派な人だなんてばかな考えをきみが抱いているとしたら、いますぐ放棄したまえ。もちろんぼくも祖母が好きだったし、大切にしてくれたことを心から感謝している。しかし、彼女が人間として立派だったかどうかは、まったく別の問題なんだ。そう考えなければ、道徳なんてものは成り立たないと思うわけだよ。   草々

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