27 夢のコントロールの探求(10)

 早速のお返事どうもありがとう。なんやかんやの生活上のわだかまりは、未来への志向をさまたげる点で、夢の理解にも悪い影響を及ぼすというきみの指摘は、ぼくの考えと合致するものでこそあれ、対立するものではあるまい。

 ところで、黒猫がどうの、青い鳥がどうのと、真剣に議論しているさまは、合理主義の権化たるぼくにおよそふさわしからぬことだときみは笑うが、まったくもってそうではない。いまでも黒猫が目の前を横切ると、どきっとすることがある。きみだから打ち明けて言うが、なんら根拠のないことだとわかってはいても、なにか嫌なことがありはしないかと、思わずびくびくしてしまうのだ。

 誰しも小さいころに聞いた話を心のどこかで信じ続けているものだ。合理的な思考によって心の片隅に追いやられても、それでもひっそりと生き続けているものたちがいる。彼らはなにかの拍子に、ひょっこりと顔を出す。ときには不合理な信念で、人間の心を満たしてしまうこともあろう。だが、人間にとりつくのは、決して悪い霊ばかりではあるまい。人間が悲嘆と絶望の淵に追いやられても、容易に死を決意しないでいるのは、ひょっとしたらそのようなものたちのおかげなのかもしれないのだ。

 猫好きな人なら怒り出しそうな話だときみはからかうが、カラスだって、コウモリだって、生きている。人間に好かれるかどうかで、動物たちの運命が完全に決まってしまうわけではないが、人間に神聖なものとしてあがめられ、傷つけることはおろか、むやみに触れることさえ禁じられている動物たちがいる。そうかと思えば、人間に忌み嫌われ、つばを吐きかけられるみじめな動物たちもいるのだ。ふだんぼくらが目にすることさえ嫌がるような忌まわしい生物が、夢の中に繰り返し現れてくるのは何故だ。彼らが夢の中でぼくらに復讐を企てていると考えてみるのも、あながち見当はずれだとは言えまい。

 憎しみという感情は無益であり、そこからは新たな憎しみしか生まれないという金言は、しばしば宗教家たちが強調したがる言葉で、たいして面白みのない主張ではあるが、誰かが憎しみの鎖を断ち切らなければ、その後長々と悲劇の連鎖が続いていくであろうという予測は、それ自体としては、しごく的を射たものであるように思われる。とはいえ、誰かによってなされた悪行を被害者の側が文句を言わずその身に引き受けるべきだという主張は、この世界を善意で満たすことが理屈抜きに正しい選択だとしてもなお、到底納得できるものではあるまい。悪の芽をつみとらずして、どうしてこの世界を善意で満たすことができようか。

 人間は不注意から過ちを犯す生き物だから、罪を赦すのはたいへん結構なことであるが、純粋な悪意をもって意識的になされた害悪は、決して赦されることはなく、神は罪人を情け容赦なく地獄に落とすのだと断言できなければ、坊主たちはなんのために物事の道理をあげつらうのか、理解に苦しむと言わざるをえない。善人には幸福を、悪人には不幸をもって報いること以上に、明快で異論の余地のない道理など存在しない。ところが、不幸なことに、あらゆる点でそうなっていないのがいまの世の中なのである。まことに悲痛で、惨めなことだとしか言いようがない。大事なのは、自分が変わることなんだ、自分の生き方を変えることこそが重要なんだと自分に言い聞かせてみたところで、虚しくなるだけである。自分が変わっても、世の中は変わらない。ただ変わったように見えるだけだ。

 ところで、なぜいまぼくはこんな話をしているんだろう。筆が滑って、話がとんでもないところに向かってしまったようである。最近のぼくは、やっぱりどうかしている。宗教にけちをつけるなんて、まさに天に唾する行いだと笑ってくれたまえ。

 今日はこれで筆をおくことにしたい。世間では風邪が流行っているようだ。きみも体調を崩さぬようお気をつけて。それでは。

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