21 夢の解釈(1)夢の中の「きみ」と「ぼく」

前略

 しばらく妙案が浮かびそうにないので、方法の問題は一時棚上げにしよう。きみが言うように、あれこれ考えても答えが出ない問題なのかもしれない。『考える前に行動しろ』というのは、大嫌いな言葉だが、夢の世界では有益な言葉かもしれない。あれこれ試してみるしか、今のところ策はなさそうだ。電化製品は叩いても直らないというが、それでもしばしばうまくいくのは、どういうわけだろう。もともとテレビやパソコンの仕組みなんて理解していないのだから、知る由もない。未開人がはじめてテレビを見て、魔法だと騒ぎ立てたとしても、それを笑う権利がぼくらにあろうか。実践あるのみである。それでもいよいよだめだというときは、魔導書を探す旅に出るしかあるまい。

 旅と言えば、きみは何通か前の手紙のなかで、不思議な願望を口にした。きみは「夢の中で自分探しの旅がしてみたい」と言ったのである。またおかしなことを言いだしたものだと思ったが、そのときは別の議論の最中だったので、流してしまっていた。

 話も一段落ついたことだし、いまあらためてきみのこの発言を取り上げてみたいと思うわけだが、きみの発言の具体的な意図や動機は何か、ここで勝手な憶測を並べたてると、また厄介な論争になりかねないので、きみの返答を待つことにしよう。ただ、きみがその発言をするきっかけとなったことならば、ぼくの手元にある手紙から十分読み取ることができる。

 きみは、ぼくの夢の中に「きみ」という人間が登場することに興味を抱いたのである。それは、ぼくの夢の世界の住人としての「きみ」であり、ぼくがきみという人間に対して抱いているイメージが具現化したものである。

 夢の中の「きみ」は、現実のきみに重要な点で似ているが、たぶん別の人間とみなしたほうがよいような誰かであるにちがいない。これまでの手紙のやり取りの中でも、きみはぼくがまったく予期しなかった返答をしばしば書いて寄こした。このことからしても、きみはぼくの知らない側面をまだまだ内に秘めているが、夢の中のきみは、そのような本質をまったく保持してはいないだろう。夢の中のきみは、ぼくが予想した通りの返答を示すだけである。もしそうでなければ、ぼくはその誰かを、きみの皮をかぶった別人とみなさざるをえない。なぜなら、ぼくの中にはきみという存在のイメージはひとつしかなく、まさにそのイメージが、きみかどうかを判断する唯一の基準となっているからである。

 だがそれも、あくまでぼくがイメージするかぎりでのきみでしかなく、ぼくが夢に見るきみが本当のきみでないことだけは、絶対に確かなことである。夢の中に出てきたきみがぼくに悪さをしたと言って、現実のきみを責めたり、もしかしたら現実のきみも似たような底意を内に秘めているかもしれないとびくびくしたりすることは、狂気の沙汰であろう。総じて夢のお告げなどというものがまったく信用に足らないものであることは言うまでもない。夢が現実の何かを暗示するなどということは、到底考えられないのである。

 ぼくが最も返答に困るのは、夢の中の「きみ」がどのような様子か、逐一報告してほしいときみが言い出した場合である。むろん賢明なきみは、そんな要求を書いて寄こしたりはしないだろうがね。他人が自分に対してどのようなイメージを抱いているかなんてことは、通常わからないし、わからないままでいたほうが身のためである。

 自虐的な傾向をもつ人が、他人の心の中に「自分」のイメージが描かれているというただそれだけの理由で、その人が「自分」を軽蔑しているにちがいないと思い込むのは、ある意味で筋が通っている。なぜなら、彼らの自己イメージにはつねにマイナスの評価が伴っているからである。むろんそのようなことは、真実にはまったく確かなことではない。自分の心の中にあるイメージと、他人の心の中にあるイメージが一致しているという想定は、自己中心性がもたらす幻想である。

 自虐的とは言えないまでも、自分のイメージを気にしすぎることもまた、破滅的な態度であろう。現実の自分と理想の自分とのあいだには、自分の中ですらギャップがあるのだから、自分が理想とする自己イメージを他人の心に抱かせようとする試みは、確実に失敗するだろうと予言することができる。なぜなら、きみが向かい合っているのは、現実のぼくであって、理想のぼくではないからであり、きみはある程度まで客観的に現実のぼくを引き写したぼくのイメージをただひとつ形成するにすぎないからである。

 最後に、ひとつだけ確認しておきたいことがある。よもや、きみの夢想する自分探しは、文字通りの意味ではあるまい。つまり、夢の世界の登場人物として、もうひとりのきみを探し当てようときみは考えているわけではあるまい。もし本気でそのようなことを考えているとしたら、やめたまえ。ぼくには、それは非常に危険な企てに思われてならない。夢の世界のどこかに、ぼくであってぼくでないような何か、つまりもう一人のぼくがうごめいていると想像することは、ぼくにとって、身の毛がよだつほど恐ろしいことである。ぼくにそっくりな誰か、ぼくのクローンや双子がどこかにいるという話なら、まったく恐れるに足りない。なぜなら、彼らはあらゆる意味でぼくとは別の個体だからである。過去や未来からタイムスリップしてきたぼくの異次元個体もまた、重要な意味でぼくとは別個体であろう。そういう人たちなら、こちらから探し出して、ぜひとも会ってみたいくらいである。

 ぼくが恐れるのは、ぼくの中にいるもう一人のぼく、ぼくでありながらぼくではないようなぼくが、いまも夢の世界のどこかでぼくのことをじっと待ち構えているという想像である。彼(ドッペルゲンガー)は、ぼくの暗い影であり、自分が真実にぼくという存在であることをインスピレーションによってぼくに告げ知らせる。彼は、ぼくの知らないぼくの本質を開示しようと、ひそかにもくろんでいる。自分こそがぼくの本質だと主張することによって、彼は、ぼくという存在そのものを根底から脅かすのである。

 夢の世界では、存在の転覆という予想だにしない事態も現実に起こりうる。どうもそのような気がしてならない。だが、いずれにせよ、きみが意図しているのはこのような事態ではなかろう。

 それでは、お風邪など召されませんように。今回ばかりは、きみがぼくの予想通りの返答を示すことを期待している。   草々

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