5 明晰夢を見るための方法(3)「岬の小道」
前略
お勤めご苦労様。ちょっと疲れがたまってきているんじゃないか。仕事も大事だが、休息も大事な務めだ。息抜きに外出するのもいいが、ほどほどにしておかないと、体の疲れは抜けないよ。寝るのが一番だ。寝ないと夢も見れないしね。
そうこうするうちに、ぼくはまたちょっと不思議な体験をしたので、きみにも報告しておこうと思う。これまでの明晰夢はすべて、通常の夢から明晰夢へと移行するタイプだったが、それとは別に、就寝後、夢を見始めると同時に、それが夢だとわかるタイプの明晰夢も存在するようだ。実は、三日前に見た明晰夢がこのタイプだった。このタイプの明晰夢は(ぼくはまだ一回しか経験がないが)、覚醒時の意識との連続性を保ったまま夢に突入するので、自分がいま夢を見始めたということがありありとわかる。以下ではその時の様子を、順を追って、できるだけ詳しく書いてみよう。
最初、まどろむ意識の中、まぶたの裏の暗い背景に、幾何学模様が生じた。細い線で描かれた模様は、移動したり、形を変えたりしていたが、やがて消滅した。すると、今度は突然、高原のありありとしたイメージが脳裏に浮かび上がってきた。青々とした草木が茂り、色鮮やかな花々が咲き誇っていた。その鮮明さといい、リアルな質感といい、空想などとは次元の異なる様子に、ぼくはいままさに夢が始まろうとしているのだと感じた。(ただし、そのイメージは、目の前にある大きなスクリーンで映画を見ている感覚に近く、自分がその風景の中に立っているという感じはまったくなかった。)
そのイメージはしばらくすると消えたが、やがてまた別の、やはり自然の中の風景に切り替わり、今度はぼくもその風景の中にいて、草原の小道で自転車をこいでいた。目に映る景色は非常に鮮明で、実際に自分の目で見ているとしか思われず、まるで現実の出来事のようであった。
自転車で小道を進んでいくと、やがて視界が開け、青々とした海の情景が目に飛び込んできた。(どうやらぼくは海がそうとう好きらしい。)そこは、海に細長く突き出た岬の小道であった。道幅は非常に狭く、両側は急斜面になっており、柵のようなものもなかったので、ちょっとでもハンドル操作を誤れば、海に転落する危険があった。とはいえ、仮に落ちたとしても、これは夢だとはっきりわかっていたから、命の心配をする必要はなかったし、不安や恐怖も感じていなかった。むしろ愉快な気分ですらあったね。
ぼくはゆっくりと自転車をこぎながら、周囲の様子を観察した。良く言えば、光に満ち溢れており、悪く言えば、目が痛くなるような光景であった。このときの夢の色彩は、やや興ざめであった。海の青も草の緑も、自然の色というよりは、チューブから出した絵の具のような色をしていた。奇妙に思われたのは、日差しがそれほど強くないにもかかわらず、海や草がどぎつい色を放っていたことである。まるでそれら自体が光を発しているかのようで、どこか異様な感じがした。見る人が見れば、その様子を神々しいと評価したかもしれない。
ぼくは、海の様子をもっとつぶさに観察したいと思い、自転車をこぐのを中断した。斜面はほとんど崖のようになっており、海面までの距離は三十メートルくらいだろうか。ぼくは目を凝らして、海面に立つ波の様子を観察しようとした。だが、なかなかうまくいかなかった。夢の中で、遠くにあるものに焦点を合わせたり、何かを凝視したりすることは、実は非常に気を使う難しい作業なのである。その理由は、説明していると長くなるので、別の機会に譲る。とにかく、ぼくは慎重に目を凝らし続けた。すると、それまでぼやけていた海面に細かな波がざわめいているのが鮮明に見え始めた。
このとき、ぼくを驚嘆させたのは、幾千の波がざわめく精妙さであった。波がざわめいている。一見、なんでもないようなことだけれども、この光景はいままさにぼくの脳が作り出したものなのである。人間の脳は、なんと驚くべき能力を持つのであろうか。いったいどれほどのマシンパワーを駆使すれば、これと同じ映像を人工的に作り出せるだろう。この圧倒的な情報量は、ちょっと想像のつかない規模のものである。眼下に広がる海は、ざわめきながら、水平線のかなたまで続いていた。ぼくは夢の中でいたく感動した。見ている光景の美しさよりも、その光景をぼくの脳が作り出しているという事実に、ぼくは感激したのだった。
その後、この夢はちょっとおかしな方向に脱線してしまったので、ぼくが海を見て感動したところで、今回は筆をおくことにしたい。それでは、お風邪など召されませんよう。Tにくれぐれもよろしく。 草々
追伸
就寝後即座に突入するタイプの明晰夢に関して。ぼくは非常に貴重な体験ができたと思っているが、世間にはこれと同じような種類の明晰夢を見た人がどれくらいいるのか、ぼくは気になっている。しかし、ここではそれを知る手立てがない。
もしきみがどうしようもなく暇なときに、このことをネットか何かで調べてぼくに報告してやろうという殊勝な考えを抱いたとすれば、ぼくはそれをどんなに喜ぶかしれない。
(是非にとは言わないので、気が向かなければ、追伸は不注意から読み落としていたことにしていただいてよい。)
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