第39話 夢を見たペテン師

「いやいや、さすがに若いねえ」


 そう言って、藤崎が出て行った扉の向こうから、ロビ霧島の大きな体が姿を見せた。


「……この島には、禁煙って概念はないんですか?」


 病室ですら煙草を咥える彼の姿に、さすがに呆れて僕は言う。


「はっ、シュガーなんかやってるやつに言われる筋合いはねえな」

「それはどうも、すみませんね」


 だははっと豪快に笑って、局長は煙を窓の外に吐き出した。

 一瞬だけ、その煙が月にかかる。


「随分具合がよさそうじゃねえか。調子はどうだ?」

「ええ、おかげさまでぐっすり眠れましたよ」

「おお、そりゃあ良かったな。人間、健康が一番ってな。どうだ、快気祝いに一本吸っとくか?」


 差し出された煙草を一瞥して、僕は小さく肩をすくめて見せた。


「遠慮します。体に悪そうですから」


「ところがどっこい、中毒になっちまえばそんなこともなくなるんだぜ。逆にこれがねえと駄目なくらいよ」


 薬ってのは怖いねえ、と科学者が笑う。


「……局長はあってもなくても駄目ですけどね」


 何が『だぜ』だ。本当にダサいじゃないか。


「だははっ! こりゃあいい。すっかり嫌われちまったぜ」


 局長は大げさに両手を広げてヤニ色の歯を見せた。


「それに、身体に悪いのは煙草じゃなくて、あなたが触ったもの全部ですから」

「おうおう、言うね、気持ちいいじゃねえか。なんだ? 俺はばい菌ってか? これでも三日に一回は風呂に入ってるんだぜ?」


 僕は、じっと彼の目を見る。


「今思えば、僕が馬鹿でしたよ。単純に、酔っぱらって気前よくおごってくれてるんだと思ってました。『しょうがない人だなぁ』なんてアホみたいに思いながら、何を考えてるのか分からない人間の用意したパンを藤崎のとこに運んでたんですから」


「はは、そう怒るなって、藤崎藤崎ってムキになるなよ」


 局長は煙草をくゆらせる口元をニヤつかせた。


「……あれに、ディスペルか何かを?」


 そうだ。たまたま偶然藤崎の減退率が異常になるなんて、この科学信者を前にして、そんなことがあり得るはずがないじゃないか。それから風呂は毎日入れ。


「言っただろ? 俺は奇跡なんてもんは信じねえんだ。なあ、坊主、恋愛だって一緒なんだぜ? ははっ!チャンスって奴は自分でしっかり作らなくちゃな」


「……一体、何が目的ですか? 藤崎を危険にさらしてまで、何がしたいって言うんですか?」


 ウインクなんかしやがった気持ちの悪いおっさんは、その質問は意外だという顔をする。


「何だ? 噂くらいはマドカちゃんに聞いたかと思ったのによ。相変わらずオタクだな、お前さんは。良くねえぞ、セイ。そうやってお互いに遠慮して秘密を増やしてるといつの間にか溝ができちまうってもんだ。それも、相手を思えば思うほどに大きく、だな」


「嘘しか吐かない局長よりはマシだと思いますけど」


「ははっ、だからそんなに怖い顔するなって、なあに、俺にマドカちゃんをどうこうしようなんてつもりはさらさらねえさ。俺が一生懸命作ったのは、お前さんがやる気満々で薬を飲むっつう、そういうシチュエーションの方だったんだ。お前ほどの聡い奴ならわかってんだろ? ん?」


「それに藤崎を巻き込む必要がどこにあったのかと聞いてるんです」


 はははっ! と、ロビ霧島は笑った。煙草の煙を吐き出しながら、さも愉快そうに大口を開けて笑ってみせた。


「そんなん、お前に気に入られちまったからに決まってるだろ? それとも何か、やっぱりお前もカナちゃん派か? 意表をついて今宮の坊主か? 笘篠のおっぱいが恋しいか? ハハッ、違うだろ? お前が一番気にかけてたのは藤崎マドカだ。だからあいつが利用された。だったらあいつを巻き込んだのは俺じゃねえ、俺達だわな」


「随分な屁理屈を吐くんですね、科学者らしくないんじゃないですか?」


「アホ、俺は魔導科学者だ。それもとびっきりのマッドなんだぜ? 必要な現象を起こすためなら、方法も理論もペテンで十分。理屈もモラルもとっくの昔に置いてきたさ」


 ――なにせガキを薬漬けにするような男さな。


 そういって親指を立てた霧島に、僕は小さく舌打ちをする。


「……泣いてたんですよ、あいつは。あんたや僕も含めた人達を守るために戦って、傷ついて、それでも全部自分のせいにして、他人が傷ついてしまったことを泣いてたんです」


「だからよ、セイ。甘えんな。お望み通りの結果だろ? マドカちゃんすら敵わなかったあの化者を倒したのは間違いなくお前なんだぜ。……だけどよ、セイ。出過ぎた力は歪を生むのさ。藤崎マドカが嫌われ者なのと同じようにな。だからお前が飛行機にのりゃそれは落ちるし、かわいこちゃんと仲良くすりゃあその子は上手く利用される。ましてや独裁者の後を継ごうってなもんなら、世界中に敵を作るんじゃねえか。言ったよな? それが嫌なら、お前は隅っこでおとなしくしてるべきなのよ」


 唇を噛む僕を見て、依然としてからかうような笑いを浮かべたままロビ霧島は続けた。


「悪かったな、セイ。もう戻れねえぞ。お前さんの有用性がばれちまった以上、いまさら隅っこでおとなしくは出来ねえ」


 ふうっと白い煙を吐き出して、ロビ霧島はパンパンに膨れ上がった携帯型の灰皿に火のついたままの煙草をねじ込んだ。そうして彼は、開け放していた窓を静かに閉めて。


「……俺は、きっと焦りすぎた。お前の言った通り科学者の仕事をさぼってたおかげで、随分頭が緩くなってたみたいだ」


 くしゃくしゃと僕の頭を撫でまわした。


「触らないでくださいって!」


「ははっ、かわいいな、お前は。今宮所長が必死こいて隠してたのも分かるってもんだ。俺みたいなばい菌はすぐにちょっかい出したくなっちまう」


「不穏な発言は止めてください。男色家フラスコはお嫌いなんでしょう?」


「がはは。違いねえな。んじゃまあ、どうだ、セイ。お前の人生を狂わしちまったお詫びに、何でも一つ質問に答えてやるってのは?」


 壁に寄り掛かってニヤニヤと笑う科学者は、じっと僕の目を見つめてくる。昆虫の羽を興味本位でむしる子供の様な、無邪気な瞳で。


「ははっ、どうしたよ、セイ? いいんだぜ? この際マドカちゃんのスリーサイズもレントゲン写真も大公開しちまうぞ?」


 レントゲンは行き過ぎだ。その一歩手前――僕は小さく首を振った。


「………なかなかに魅力的な提案ですが、お断りします。それと、軍人である以前に藤崎は普通の女の子なんですから。関係ない事に巻き込まないで下さい」


 ロビ霧島は、大きな目をぱちくりと瞬かせてからハハッと笑う。


「成程、普通の女の子と来なすったか」

「そうですよ。藤崎は、砂糖の塊でもましてや金のなる木でもない、あなた達と変わらない普通の人間です」


 言い切った僕を、科学者が笑う。


「よせよせ、俺を魔法使いなんかと一緒にするな」

「だから、そういう――」


 言い返す声よりも強く、低い声が病室に響く。


「気を付けろ、セイ。ああいう中途半端が一番危ねえんだ。ふわふわ飛んでっから自分がどこにいるのかも分かってねえ。人間も魔法使いも守りたいなんて甘い事を言ってたら、いざってときに泣きを見るぜ?」


「あなたの常識なんて、あいつは軽く飛び越えますよ。知らないんですか? あいつは藤崎マドカなんですよ。それでも、それが現実だとか言うんなら、僕がそれを壊しますから。そのための兵器なんでしょう? せっかく作ってもらって悪いんですけど、僕はもう、何も考えない静かな人形じゃない。僕が叶えるのはあなた達じゃなく、藤崎マドカの願いですから」


 しばらく、そのまま、僕と局長は睨み合う。ペテン同士の意地をかけて。

 窓の向こうの波の音さえ聞こえない、静かな夜。


「悪い悪い。どうにもかっこつかねえな。本当は最期の挨拶ってやつを気取りたかったんだけどよ、あんまりお前らがいちゃいちゃしてやがるから、つい意地悪な事を言っちまったぜ」


「……最後?」


 入院中で汚れている上、ぐしゃぐしゃにされて気持ちの悪い髪の毛を直しながら僕は局長の顔を見上げる。


「ああ、言ってなかったか? さすがにちょっとおイタがすぎちまってな、お迎えが来ちまったってわけだ」


「? ……お迎えって、局長、東側の人だったんですか?」


「だはっ、どうだろうな。でもよ、向こうにゃこんな俺を待ってる嫁がいるんだぜ」


 黄ばんだ歯を見せつける彼に僕は尋ねる。


「……それって、メスシリンダーですよね?」

「ぶはは! どうだかな。んじゃ、最後にそんなモテる男からとっておきのアドバイスだ」

「耳が腐るので遠慮します」


 髭を震わせ笑った局長は、嫌がる僕の頭を強引に撫でまわすと、ひょいと片手を上げて部屋を出て行く。そして彼は、五人程の人間が待っていた廊下と病室の間でふと立ち止まり。


「気を付けろ、セイ。次の王になろうって奴はこの島にぞろぞろいる。んで、玉座ってもんは一つしか無い」


 両手を白衣のポケットに突っ込んだまま、振り向くことも無く。


「――だから、疑え。お前に話しかけて来た奴全てを。お前を利用しようとする奴らを、全部。誰が何を喋ったか、何を隠したのかを忘れるな。この島でお前がどこかへ歩こうと思うなら、肉親だろうと親友だろうと道を違えれば敵になるし、逆に目指す場所が一緒ならどんなクズとでも手を組まなくちゃならねえ。だからよ、セイ。考えろ。考えて考えて、そしてお前の結論に納得するな。かわいこちゃんにも素敵なおじさまにも、俺みてえな悪い奴もお偉いご老人も、もちろんてめえ自身にも。誰にも騙されちゃあ、いけねえぜ」


 餞別のつもりか、僕の頭の上に玩具の様に小さな煙草の箱を残して。


「なあに、お前ならきっとできる。お前さんは、父親よりもよっぽど出来がいいのさ


 一人きりになった病室に広がる月明かりと波と空調の音の間。敗れた人間が残した小さな煙草の箱に書かれた皮肉な名前をなぞっていた僕の耳に、真っ白な舞台の方角から、冷たい銃声が聞こえた気がした。

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