第22話 空、どちらかが失う場所

 右から左へ流れる様に飛んで来る小虫の左を、ドン! 上から現れた奴の正面を、バン!

 視界の中、意識が空間にロックオンした瞬間に頭の中の引金を引く。

 刹那、弾速など関係ない小爆発が大型犬程度の大きさのファージを空間ごと木端微塵に砕いていく。リロード時間なんて、一秒もいらない。そうやって飛び回る羽虫の一つ一つをシューティングゲームの要領で吹き飛ばしつつ、藤崎マドカは蟲共の向こう側に向けて、真っ直ぐに左掌を伸ばしていた。

 その掌に収束させた魔力が、何とも寂しい。


 これで、ホントに大丈夫?


 考えを巡らすマドカに向かってギシギシと気味の悪い音を立てて飛んで来た低級ファージが、その後ろから現れた黒い風に呑まれて数匹まとめて消えていく。


 尻尾だ。


 十全に魔力に覆われた三本の棘つき尻尾をぐるぐる振り回して威嚇している。


「つっ!?」


 右斜め下から目の前をかすめた一振りを仰向けになって躱し、その先端辺りを視界の端で爆破する――が。バグンッと弾けた空間から、棘つき尻尾はそれ程のダメージを負うことなくシュルシュルと蛇の様に逃げ出していってしまう。


「ちっ」


 本体の動きからは想像できないその素早さに舌打ちしたマドカは、再びゆっくりと旋回しながら様子を見ることにした。


 妙になめらかで光沢のある黒い皮膚に、尖がった大きな口から洩れる荒い息。狐とトカゲのあいのこみたいなそいつは、かなり緩慢な動きを補うように、体長に比べて異様に長い数本の尻尾を使う戦い方。

 特殊部隊の面々が身に着けたカンテラに引きつけられてはいるものの、むやみに距離をつめてくることもなく、慎重に慎重に目の前の敵(あたし)と相対している感じ。

 恐らく奴にとって魔法使いは単なる餌ではなく『獲物』であって、この戦いは狩りなのだ。姿だけではなく動きの質がそれまでのD級上位種とは全く異なるその相手に、第三小隊は苦戦していた。


「っ! のやろっ」


 真下から足を狙った尻尾をバク宙しながら視線の爆撃で弾き飛ばし、同時に左腕を薙ぎ払ってそちら側にあった棘つき尻尾をけん制する。


『藤崎、右っ!』


 空耳かと思う声に振り向いたマドカの目の前に、振り下ろされた三本目の矢。


「マドカさんっ!」


 ガギュッとカナの魔銃が火を噴く音。


「いっ!」


 ――避けきれない。


 咄嗟に判断したマドカは、身体の周囲に四重の膜を作って拙い防御を試みる。

 頭の上、重ねた防御膜がグシャリと衝撃に潰されるのを感じた瞬間。


「ぅりゃっ!」


 さすがの速度で接近していたカナが、強烈なムーンサルトキックで黒尻尾を青空へと蹴り上げた。


「んナイスッ!」


 思わず相棒に向かって親指を立てながら、体勢を立て直したマドカは打ち上げられた尻尾の脇を滑る様にしてグロテスクな本体へと突っ込んだ。二度三度と繰り返される突き刺し攻撃を目の前の尻尾を利用して躱しつつ、慌てて引き戻されていくその影から一気に獣の頭上へ突き抜けた。


 顔面がら空き!


「爆ぁぜぇええ……ろっ!」


 空と太陽を背負った銀色の魔女が、胸の前に抱えた魔法の爆弾を振りかぶったその時。


『逃げろ! 藤崎!』


「へ?」


 ガパッと大きく開いた獣の口内に、牙とは違う何かが見えて――。


『ギャアオアオアオアアオア!』


 と、とんでもない音の塊がマドカの身体にぶつかった。


「いいいいいいっ!」


 身体を覆っていた防御膜を突き破る大音声に、思わず両耳を押さえて蹲る。全身の肌をびりびりと切り裂くような痛みが走る。


「……こ、の……っ」


 守り切れない。と思うより早く、マドカは防御を捨て去った。

 最初から、一番最初のあの時から、藤崎円の《願い》は守る事では無く、壊す事。

 気に入らないモノ全てを、ドカンと爆発させること。

 誰よりもそれを知っていて、誰よりもそれを理解している自分だから。


 切り裂かれていく髪や肌にもお構いなしで蹲ったマドカは、その小さな身体で抱きしめた世界に着火する。刹那、音も光すらも無く爆発した彼女の意思が、周囲の全てを飲み込んで膨らんでいき。


 ――ぽつん、と。制御する空間を満たした自由の中で、たった一人。ひとりぼっちの寂しさに擦り切れてしまいそうな意識の奥で、カナが安全圏にいることを確認して。


「っっ……らぁああああああっ!」


 瞬間、一気に四肢を解放した。

 胸の前から急速に広がっていく彼女の純粋な意志が、邪魔な音を呑み込み、襲い掛かる尻尾を肉片に変え、その本体をも爆散させて、やがて自分以外の全てを掻き消した。


「……んっ」


 すっかり静かになった世界の中、くらり、と糸が切れたかのように落っこちかけた身体を慌てて引き上げる。


 と。


「……大丈夫ですかぁ、マドカさん?」


 ところどころ裂けたマドカの白い肌を、降り注ぐ海水と血液の雨から守るように頭上に寝転がったカナの逆さまの顔が、心配そうな微笑みで覗き込んでくる。


「……当然でしょ? 余裕よ、余裕」


 ふん、と鼻を鳴らして目を閉じながら、切れかけた集中力を取り戻そうと努力するマドカの耳元で、隊長の低い声が聞こえてきた。


『……作戦終了。ご苦労さん。次のサイレンまでしっかり休め』


「は~ぁい」「了解です」


 カナに腕を引っ張られるようにしてフロンティアへと帰投しながら、三本目の尻尾に狙われた時と咆哮の直前に頭に響いた声の持ち主について、マドカは呆けた頭で考えてみた。


 結論。……それでも、セイはセイ。みんなが言ってるような『代用品(オルター)』なんかじゃ無い。


 そう思ってきりっとキメた顔の傷に、潮風が染みて痛かった。

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