第10話 囁
ボサボサの頭を気にしながら第三小隊の扉を開けた僕の目に入ったのは、左側の壁に寄り掛かって腕を組んでいた藤崎だった。長袖の青いワンピースに身を包み、ちらりと僕に視線を這わせた彼女は、鼻の上に皺を寄せて『着替え位しなさいよ』と呆れて言った。
部屋の真ん中、ソファーをたっぷり沈ませて「よう」と手を挙げたのは霧島局長。その向こうで机に脚を投げ出して思考に耽っているのが我らが隊長、今宮ナガセ。昼より夜のほうが似合う男だ。少し暗めの照明が、影のある美貌を際立たせている。
そして。
「悪いな、セイ。お疲れみたいじゃねえか?」
ソファの上からニヤリと笑った髭局長に、僕は笑顔で応える。
「いえ、少し寝ていたので大丈夫です」
「ったくもう、筋トレ位でへばっててどうすんのよ? なんか汗臭いし、風邪引いたら元も子もないじゃない」
藤崎の叱咤には苦笑い。
「ははっ、だから風呂には入れって言っただろ? 汗臭いと女にもてねえぞ」
「すみません。後で入っときます」
ニヤニヤ笑う隊長が、局長へと顔を向ける。
「おっさん、御覧の通りうちの新人は相当疲れてるみたいだ。用があるなら手短に頼むぜ」
それだけ言うと隊長は机の上に足を投げ出し、頭の後ろに手を組んで背もたれに体重を預けた。
「そうみたいだな。んじゃ、まあ、セイ。マドカちゃんに聞いたんだが、お前、例の墜落事故で父親を亡くしてるよな?」
「はい」
「それはいつだ? できるだけ詳しく言ってくれ」
局長の真剣な顔に僕は少し驚いた。
「ええと、日本時間で去年の八月二十三日ですけど……それがどうかしましたか?」
「なはっ、まあ、そう硬くなるな。ちょいとした事情があってな。確認だと思って楽にしてくれ。で、親父さんが亡くなってから魔力検査を受けたのはこないだのが初めてか?」
「ええ……そうです」
一つ一つ、僕は思い出す様にして時間を掛けて答えていく。
何か大切なことなのだろうか?
そうやっていくら質問と時間を重ねても、局長の目は全く意図が読み取れない色をしていた。
「親戚なんかは、いないんだったよな?」
「はい。そう聞いています」
「そうか。わかった」
僕はちらりと藤崎の顔を窺う。何が起きているんだよ、おい?
少し申し訳なさそうに肩を竦めた藤崎の代わりに、局長の言葉が続く。
「……まあ、なんだ。セイ、俺にとっては残念なお知らせなんだが、お前はやっぱり突然魔力に目覚めたわけじゃなさそうだ」
言葉の意味がわからずに局長を振り向くと、彼はテーブルの上に波打つグラフや数字の並んだ数枚の紙を広げ始めた。
「まあ、どうしたってそういう可能性は捨て切れなかったからな、悪いが引越しの時に勝手にお前の実家を調べさせてもらったってわけよ。……んで、その結果が出た。風呂やらトイレの体毛なんかからごく微量に検出された成分がある」
そう言って局長は印刷されたグラフの一つをトン、と指で弾いた。
「
「……ディスペル?」
聞きなれない言葉を僕は思わず聞き返す。
「魔力を抑える薬で……まあ、要するに鎮静剤みたいなもんだ」
「それが、家に?」
「ああ。本来とっくに顕在化してなきゃならないはずのこいつの魔力が、今の今までバレない程度に抑えられてたんだろうってことさ。ま、とりあえず、このデータちゃんをご覧あれってな」
彼が隊長に示した紙には、おそらく英語の文章と共に『Sei Odajima 6: tipe C』といった具合に、六歳からの僕の魔力を一年ごとにグラフ化した波がいくつも印刷してあった。
「見ての通りしっかり人間の範囲を保っちゃいるが、男にしちゃあ安定感が無さすぎる。溺れた蛇さんが必死こいて水面に上がってくるのを、誰かさんが意地悪してるみたいにな」
――見るやつが見りゃ、明らかに異常だ。
局長は喉の奥で笑いながら、僕の人生をなぞってゆっくりと手を動かしていく。
一際大きなグラフの中に真横に引かれた、人間と魔法使いを分ける一本のライン。
異常値を示すその赤い線の下で、僕の魔力を表すうねりは確かに浮き沈みを繰り返していた。
そしてその溺れた蛇は、局長の指先で突然水面を超えて浮上する。
意地悪していた誰かさんを食い殺したかの様に高々と、荒々しく。
「それがこの間の検査でドーン、だ。どうしてだろうな? 何でだろうな? 去年の検査から一年間でこいつにあった出来事は、墜落事故と魔道科学者であった父親の死亡。んでもってその家庭からはディスペルが発見されましたとさ。だから、なあ、セイ。この優秀な科学者さん――つまりお前の親父さんは、この薬でお前さんの魔力を意図的に下げることで小田島セイという魔法使いを匿っていたんじゃないかと、そういう仮説が成り立つわけだ」
彼の言葉の内容に、僕の頭から少し血が引く。
魔法使いの
彼らに常識は通用せず、法則では捉えきれない。故に彼らは法律すら超越し得る。
だからこそ、人間は《魔法使い》を隔離し閉じ込めた。ファージという存在は都合のいい口実に過ぎなかったのだという説があるほど実にすんなりと、議論の余地も無いほど速やかにフロンティア構想は進んだのだ――言うまでも無く、当然の様に、民主的に。
それだけ魔法使いというものは社会から嫌われ、弾き出された存在なのだ。
なのに、それを
僕に黙って、薬を使って?
「親父が……僕を?」
「お前が自主的にやったっていうんじゃなけりゃあな?」
局長は組んだ手の上に顔を乗せ、僕の目をまっすぐに見る。だけど、その目はどこかいたずらな子供のように笑っていた。思えば、確かに僕は小さな頃から薬を飲む習慣があった。身体が弱く、低学年の頃には給食も吐き出してしまうことさえあったから。
(それは、いつまでだった?)
頭の中に響いた声に、僕は小さく頭を振る。
「……良く、わかりません」
局長はニヤリと口の端を歪めた。
「だろうな」
「だろうなってのは何だ、おっさん?」
ギイッという音がして、隊長が身を乗り出してきた。
「まあまあ、あせるな今宮。要するにセイが犯人じゃないのは俺が保証するってことだよ」
「それはどういうことですか、局長?」
藤崎の問いかけに、霧島局長はわずかに思案して、
「まあ、簡単に言えばこれはさすがにやりすぎなんだよ。この成分は今じゃオーバーヒートした魔法使い用でおなじみだが、元はもっとえぐい実験なんかに使われた薬だ。それを微量とは言え長年投与し続けられてるのよ、こいつは。精神はもちろん、肉体にも影響はある。どうだセイ、自覚はあるだろ? 原因がわかってるならやめるだろうし、自殺志願者ならもっと安くて確実な薬はいくらでもある」
意味が鼓膜の内側に響く度に、底の見えない暗い闇が局長の後ろに広がって。
僕の頭の中は、何かにかき混ぜられたみたいにぐちゃぐちゃだった。
「とりあえず言えるこたぁ、期待の新人さんがまともになるのは当分先の話だってことだ」
何を言っているのか良くわからない。
僕は昔から魔法使いで、親父がそれを隠してた? そんな危ない薬を、僕に?
嘘だろ?
背中を這うような痛みが、後頭部を伝って眉間に届く。
父は、小田島リュウは、確かに魔導科学の研究者だと言っていた。
自らの頭脳とデータを信じ『科学者は奇跡なんてもんは信じない』と言うのが口癖だった彼が、墜落事故の『奇跡の生還者』になれなかったのは当然と言えば当然だ。
だけど、じゃあ、本当に。
あの時、僕は――。
「……セイ? セイ? ちょっとあんた、大丈夫なの?」
心配そうに覗き込む藤崎の声で気がついた。
「あ、うん。ごめんちょっと、分からなくなっちゃって…」
目の前の銀色の髪が少し揺れて、藤崎は隊長の方を振り向いた。
「隊長、少し休憩を頂いていいですか? セイが混乱しているみたいです」
その言葉で、俯いていた今宮隊長の顔が上がる。何か悲しい出来事に触れたような顔をした彼は、明るい声で答えてくれた。
「ん? ああ。そうだな。おっさん、話はまだ続きそうか?」
「……いんや。んじゃまあ、後は大人同士の話と行こうか。なあ、今宮?」
「へいへい。じゃあ、お前らはもういいぞ。セイ、お前はあんまり考えすぎんなよ?」
少し寂しげに笑った隊長に『失礼します』と頭を下げて、僕は小隊室を後にした。
非常灯の薄明かりと窓から差し込む月明かりで浮き上がるように光る廊下を、どこかに向かって歩き出す。
ああ、嫌だ。
一歩歩く度に、誰かの悪意の中へと引きずり込まれて行くような気がした。
そうやってずぶずぶと引きずり込まれた青い夜の闇の中。
誰かがそっと。僕の頭の中に囁いた。
(あの日)
やめてくれ。
頭の中に響く声を振り払おうと、眉の上を拳で叩く。
(あの時)
違う。違う。違う違う違う。
(本当は――)
「違うっ!!」
ふらついて手を付いた窓に、夥しい数の蟲、蟲、蟲。蟲がいる。
「っ!?」
息を飲んで背中をぶつけた反対側の壁の中から、無数の手が這い出して来る。大人の手、子供の手、女、男、老人。
まるで、助けてくれと僕に向かってすがるように。
「っ!」
逃げ惑う頭が、何かにぶつかる。外国人の、太った男。
彼の血だらけの口が静かに開く。
やめろ。
(君が、)
言うな。
(僕達を)
分かってる!
(見殺しにした)
「違う! 違う違う、違うっ!!」
闇の中から無数の手が一斉に伸びてくる。まるで僕を責めるみたいに。まるで僕をどこかへ引きずり込もうとするみたいに。
(どうして)
「知らないっ! 知らなかったんだっ!」
自分が魔法使いだなんて。自分が、あの悪魔共と渡り合えるだなんて。
(うそ)
「違う! だから違うんだって!」
食い散らかされた身体、頭を抱えて蹲っていた人、無力な人間のまま蟲の前に立ちふさがった男、腹を食い破られてもなお誰かを守ろうとしていた男、彼が守ろうとしていた男の子――僕の代わりに、死んでしまった人。たくさんの人達の声。
(ひどいな)
今日の僕の背後に沈んでいる、いくつもの明日。
(本当は、君が僕だったのに)
僕が、魔力を持った人間が、あの飛行機に乗ったから。なのに。僕だけが。
悲しみもせず、憤りもせず、ただ言われたままにのうのうと。
「違うっ! 僕は……僕はっ――――っ!」
言い訳の言葉すら続かずに、絡み付いてくる手と言う手を必死で振り払おうとした僕の腕が、突然グイッと何かに掴まれた。
「ぃっっ!?」
「ちょっと! セイ! セイ! 大丈夫!? 何ボーっとしてんのよ!?」
内臓が持ちあがるほどの恐怖で我に返ると、銀髪頭の女の子が僕の腕をぶんぶん振り回しながら叫んでいる所だった。
「…………ボーっと……してた? 僕が?」
「してたでしょうが! こんなとこでボーっと突っ立って……さっきから呼んでるのに全然聞こえてなかったじゃない! どうしちゃったのよ!? 大丈夫!? ねえ!」
ほっとして、それからすごく心配して、そんな藤崎のわめき声が耳に響く度、頭がずきずきと痛む。
「……いや、大丈夫。少し、気分は良くなった」
大丈夫。僕は本当に大丈夫なんだ。無敵の藤崎マドカが、わざわざ心配する様な事じゃない。逃げる様に振り切ろうとしても、痛いほどに肘を握った藤崎は離してくれず。
「……嘘。だってあんた、真っ青な顔してるもん。絶対駄目。絶対大丈夫じゃない」
ほんのりと赤みの差した瞳でじいっと僕の目を見つめた藤崎は、何かを決めた様に頷いて。
「ちょっと、こっち来て」
言うが早いか、僕の腕を引っ張るように青白い月に染まった廊下を走り出した。
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