第4話 遮光

 ――今から数十年前に現れた魔の海域。太平洋のやや南の真ん中辺り、広大な世界地図の上に零れ落ちたコーヒーの染みの様なその空間は、現実では近づくこともできず、肉眼は勿論、どんな衛星でも内部を観測できない真っ暗な闇としてそこにある。

 そして、その小さな染みにかつて社会は混乱の際にまで追い込まれた。

 なぜなら、人類最後の秘境とまで騒がれたその海域から異形の悪魔が現れたのだから。

 その姿形から当初「蟲」と呼ばれた異形の者は、その羽で、あるいは人間の理解を超えた現象として海を渡り、人を喰らい、人間世界を蹂躙した。そこで彼らを敵とみなした人間は、度を越した威力を誇る兵器で異形の蟲を焼き払い、打ち落とし、殲滅して、勝利した。


 しかし、定期的に飛来する蟲の殲滅は太平洋の沿岸諸国に国防予算という多大な経済負担を与え、強力な兵器を空にばら撒く彼らの正義は他国を恐怖させるに十分だった。


 見返りの無い負担を被り続ける国民の不満と、隣人が殺戮兵器を使用している緊迫感。


 こうして、人間を守るための戦争が皮肉にも人間社会を崩壊に近付けていったのだ。

 しかし、その戦争の歴史は急転直下で解決する。


『フロンティア構想』


 日本とアメリカ。魔海の西と東。太平洋沿岸の魔法使いの発祥国と、科学技術の超大国。

 その二国を中心として、魔海の西側と東側に世界は再編成された。


 曰く、魔法使いや超能力者と呼ばれる種類の人間の能力が、使い減りすることのないその力を利用した兵器が、あの蟲に対して非常に有効でありまたこの上なく平和的で経済的でもある。そして皮肉にも蟲はその性質として彼ら――『魔法使い』をこそ好んで捕食するのであるが故に、魔海を挟むようにして東と西に一つずつ『人類防衛の最前線フロンティア』を建設し、そこで『私達の世界』を蝕む『ファージ』から守るために、彼らを中心とした『対捕食者殲滅軍アンチバイラス』に戦ってもらう。

 簡単に言えば、それがその構想の内容だった。


 そうして、ファージ共をおびき寄せ殲滅する場として建設された東西二つの島のうち、魔海の西側諸国の金を集めて作られたのが僕が生活を送るこの島である。

 ここまでは、教科書でだって触れられている簡単な歴史だ。

『つまりは現代版の魔女狩りですね』と言った教師の顔が浮かぶ。

 しかし、そこに集められた魔法使いの中でも、その能力の差異によって魔法やそれを元に開発された兵器を扱ってファージと戦う力のある者と、確実に奴らを呼ぶためだけに島での生活を要求されている単なる「餌」がいる。これは、ほんの少しその気になって調べれば誰にでも簡単に確認できる、確かな事実だった。


 大きめのベッドとソファーに冷蔵庫。それしかない部屋に一人になると、僕は溜息を吐き出した。去り際に局長が伝えてくれた明日の予定が耳に残ってしょうがない。

 学校行って、終われば訓練。

 隊員だからな、と言われてしまえばそれまでだ。魔力に目覚めた人間は、本土に住むことは許されない。誰の意思も、どんな例外もなく、この無国籍の島へと送還される。もし本土に残るだけの理由があるのなら、その理由ごと島へと押し込む。大多数の「無力な人間」にとってそれが最も確実で、唯一安全なやり方なのだ。事実、それ以降『人間へのファージの被害』と『魔法使いの犯罪率』は激減したという。


 ベッドにごろんと転がった。

 仰向けになって天井を眺める。

 ふと思い出したのは、家に押しかけてきていたマスコミの人達。

『どうしてあなたが生き残ったのですか?』

 知らねえよ。

『亡くなった方々に言うべきことは?』

 何も無いって。

 あの連中、僕がファージに食われて死んだら何て言うだろうか。

 窓から差し込む夕日は鬱陶しくて、それを遮ろうと伸ばした右腕が憂鬱で、目を閉じてしまうのが一番だった。

 そうして寝転がったままでいても、どこか遠い国の話だったはずの現実が僕の体に染み込んできて、それを吐き出すように僕は笑った。声に出して笑った。



 薄暮に染まる壁にぶつかり、床の上に砕けたそれが、

 静かに

 重たく

 積み重なった。


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