秘剣・満月返し〜後編・剣術小町、怒る〜
「冴。このような書状など受けて立つものではない。キリが無くなるぞ」
「お嬢。我々に任せて下さい。お嬢が直に受けずとも、我々が盾になります」
ある夜、道場の奥にて言葉が交わされていた。
冴に向けて叩きつけられた、果たし状についての会話だった。
父と高弟の制止に対し、冴は首を横に振った。
「私を気遣ってくださり、ありがとうございます。しかしここで私が赴かなければ、差出人は私を張子の虎だと言い触らすでしょう。逆に今完膚なきまでに叩き伏せておけば、他の者も不用意に仕掛けますまい」
冴は自身を過剰には見ていない。しかし己の腕前を確信はしていた。
父からの免許皆伝と、門弟との日々の鍛錬。
これらによって、自らを正しく認識していた。
「分かった。冴に預ける」
「お嬢、くれぐれも用心は絶やさず」
結局、冴が自ら指定された地、開けた野原へと向かったのだが。
そこへ現れたのは敵の群れである。
三十あまりの人影に、ぐるりと取り囲まれたのだ。
「卑怯とそしるつもりはないが……。果たし状からの騙し討ちとは、少々狡いな」
冴はぐるりと敵を見渡す。うち一点の向こうに、頭巾をかぶった男がいた。
目元だけは見えているが、闇夜に遠間である。
顔はおぼろげで、何者かまではわからない。
「お主がこの騙し討ちの首魁か」
頭巾の男は、いかにもと言わんばかりにうなずいた。
冴は小さく息を吐いた。怒りの温度が、一つ上がる。
言葉として、吐き捨てる。
「新崎の門下か、あるいは私に打ち負かされた他流の者か。誰かはともかく、自身の手で堂々と打ち掛かる度胸もない。恥を知れ」
「ぬ、ぬかしおってぇ……! 勝てばよかろうなのだ、勝てば! お前達、数で包んで押し潰せ!」
吐き出された言葉に、頭巾の男は逆上した。
叫ぶように、群れへと指示を放つ。
「人数でもって取り囲み、私が手傷を負えば上々。疲れさせるだけでも上出来。そんなところか。小狡いな。」
冴はもう一つ息を吐いた。
果たし状を叩きつけられ、いざ来てみれば数を頼みにこのこの体たらく。
斬り捨てる気さえも起こらなかった。
「この女、好きにしてええですな?」
「構わん! それも含めて報酬だ!」
無頼の徒も混じっているのか、群れの中からは下卑た声もした。
冴は太刀を返す。刀の錆にするのさえも、許し難かった。
「来い」
彼女が静かに告げると、四方八方から包囲が狭まった。
***
頭巾の男が仕掛けた包囲網は、四半刻も経たない内に崩壊した。
「な、な……!」
頭巾の男の、驚愕の声が響く。
冴の周りには肩や腕、足などを押さえてうめく有象無象。
汗一つさえもかかない、圧倒的な、勝利であった。
草むらをもってしても、冴の足運びは揺るぎなかったのだ。
「確かに数で囲むのは良策だ」
冴は一歩、また一歩と男へ向かう。
頭巾の男は動かない。
「だが、連携もなく襲いかかるようでは私に届かぬ。烏合の衆だ」
刀を構え、間合いを詰める。
男を見据えて、冴は言う。
「頭巾を取り、刀を抜け」
「う……ぐうう……」
男が唸りながら刀を抜いた。だが頭巾は脱がない。
最後の矜持がそこにあるのか、刀を大上段に構えて冴に襲いかかった。
「ああああああああああ!」
「そうか、取らぬか」
冴は淡々と言った。既にこの男に対する始末は決めていた。
父には禁じられているが、この男は徹底的に打ち倒さねばならない。
談義の際に述べたように、『覚悟のない仕掛け』を今後防ぐためにもだ。
「いいいいいいやああああああああああああ!」
咆哮一つとともに、頭巾の男の刀が振り下ろされる。
唐竹割りを狙う一撃は、それなりに速いものだった。
しかし、冴はギリギリまで引きつけて。
禁じられていた『技』を放つ!
「秘剣・満月返し」
それはほんの一瞬のことだった。
目にも留まらぬ早業が唸りを上げた。
迫る刀を打ち払い、男の頭巾を両断していた。
「……」
空中で回転した刀が、地面へ縦に突き刺さる。
両断された頭巾が、風に舞ってはらりと落ちる。
ほとんど同時に、ことは起きて。
頭巾の下、傷一つない顔があらわになった。
「ほう、新崎の若君。もしかしたら我が夫となっていたかもしれぬ人物であったか」
冴はしっかりと覚えていた。
かつて紹介された時には、間抜け面のまま顔をジロジロと見つめられた。
嫌悪感を隠せなかった。
二月経っても、嫌悪感そのものは変わらない。
だが間抜け面は少々引き締まったようだった。
「逐電した父に背き、私に挑みかかった度胸は認めよう」
「あ……」
男が膝をつく。
視線を下に向けて、冴は気づく。
男は失禁していた。
刀を振り上げ、厳しく告げる。
「だが失禁しているようでは肝が足りん。出直すが良い!」
刀を二度振り下ろし、冴は男の両肩を砕く。
それが落着の印となった。
***
果し合いの決着とほぼ同時刻。
灯りもなく、なにも見えない道場にて、父は座禅を組んでいた。
思い浮かべるのは娘の冴。妻には先立たれ、他に子はない。
彼女が婿を取り、道場を継げば安泰この上ないのだが。
「かつて見た夢が真ならば、あの子にこの道場は狭すぎる……」
道場主たる父は、かつて奇妙な夢を見たことがあった。
武神として崇敬の高い
「汝の娘に無類の剣技を授けた」
「汝の娘に一つ所は狭すぎる」
「汝の娘は幾多の苦難を背負うであろう。ただしその分栄光も得る」
「汝の娘は剣とともにある限り、誰一人にとて害されぬであろう」
娘についての予言を残し、去っていったのだ。
あまりに奇妙な夢である。父も最初から信じていた訳ではなかった。
しかし冴と稽古を繰り返し、やはり無類の腕前を秘めていると悟った。
「お主に免許皆伝を授け、道場の代表とする。冴、怠るでないぞ」
「無論であります」
新崎との戦いの前夜、父は道場の命運を冴に託した。
この時点で、彼女を道場に縛り付けておく理由はなくなった。
「あの子の強さは、神がかりの強さだ。故に技を禁じて育てたが……。いよいよ明かさねばなるまい」
全てを明かした上で、娘の決断を尊重する。
それが父の決断だった。
茨城冴が自身の宿業を知る。
その日は確実に近付いていた。
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