異世界ダンディズム
黒山 シノブ
入門ダンディズム
序章 ダンディを目指す男、異世界に立つ
その男は今夜、横浜のレンガ造りなショッピングモールの近くに悲壮な顔で一人佇んでいた。
見渡せば周囲にはカップルばかりで余計に鬱々な気分になる。
何故彼が一人だと気が滅入りそうな場所にいるかは単純明快。
つい先程、彼女に振られたばかりなのである。
振られることとなった原因ははっきりとしているのだ。
悲しいかな、振った本人である彼女に面と向かって言われてしまったからなのである。
「顔に似合わずダンディじゃない」
一年間付き合った彼女にそう言われ振られた騨出は、海を挟んで見える夜景を一人で眺めるしかなかった。
というかその場から動けなくなった。
「ダンディってなんだよ…」
一人嘆きを呟いてから自分の姿を確認してみる。
仕事帰りにデートをしたためスーツ姿な彼だが、よく見るとこうだ。
入社時に購入して今年3年目になるアイロンもされていないくたびれたスーツ。
傷だらけで一度も磨かれていないセール価格5千円で購入した革靴。
これまたボロボロになったナイロン製ブラックカラーのリュック。
顔はともかく遠目で見てもカッコイイとは言えない装いであり、今の表情と相まって警察が来たら職務質問でもされそうだ。
「ダンディはともかくこの格好じゃあ振られるもんなのかな。はぁ……」
溜息を一つ、振られてしまったものはしょうがないと、自分に言い聞かせ歩き始める。
帰宅する前にまずはダンディとは何かを調べ、本屋で書籍を買うと心に決めた騨出。駅に向かいながら早速スマホで件のワードを検索にかけた。
調べてみるとこう記載されている。
"ダンディとは、身だしなみ・言葉の使い方が巧である。また、余裕のある趣味嗜好を己の精神の中で追及し、それらを愉しむ者のことである。"
三叉 羅網 『ダンディズム辞典』 紳談出版 1985年
(身だしなみと言葉使いについては理解できるが後半はサッパリだ。意味がわからん。)
抽象的な理由で振られたかと思うと余計悲しみに襲われるも、グッと堪えて彼は足を進めた。
ネットの情報だけでは薄いと考えた騨出は、書籍を求め駅の改札前にある本屋へと赴く。
本屋で購入するものはすでに決めているのだ。
騨出ですら知っていたメンズファッション雑誌『LION』。
この雑誌は中高年層の紳士向けになっており、スーツや靴、小物など数多のアイテムが掲載されている。
ダンディな身だしなみを理解すべく、まずはファッション雑誌からという浅い考えだ。
一冊だけでは資料不足かもしれないため、バックナンバーと他の雑誌も数冊を購入しボロボロのリュックに詰め本屋を出る。
(帰ったらダンディについて研究だ。見返してやりたいな……)
そう考えながら本屋のすぐ正面にある改札へと向かうが、駅とは思えないほどに周囲が静かなのだ。普段はどの時間であろうと人が出入りしているこの駅に、前を向いて見える限りでは人がいない。
いつもと少しだけ違う空気感に戸惑いつつも、交通系iCカードを手に改札機を通り抜けた瞬間に何か起きた。違和感が全身を襲ったのだ。
周囲からは音が消え、視界が急に明るくなったのか眩しさから目が開けにくい。
空気感が変わったことを肌で感じ取れたため鳥肌が立つ。
駅の匂いではない気がする。もっと自然な香りだ。
違和感は分かるが、視界が無ければ状況が掴めない。光にもようやく慣れ改札の先、いつもの癖で少し上を向けば見えるであろう運行情報を見ようとした。
が、しかし、そこに運行情報は無かった。
紛れもない森があった。
見たこともない種類だが背を高くして生い茂る木々。
目の前には透き通った池。
池の中心には水面から1m程の高さに透明な球体が一つだけ浮かんでいる。
極め付けには、空を眺めると非常に大きな鳥達の群れが見えた。
そう、非常に大きい鳥の群れだ。
鷹や鷲などが小さく感じる程に巨大な鳥が群れをなしている。
現実離れした光景を目に、絞り出た言葉はこちら。
「……はい?」
この男、つい1時間ほど前には彼女に振られ悲壮な面持ちをしていたはず。
しかし今、その男の表情は既に悲壮な表情ではない。
目を丸くさせ口もぽかんと開いており非常にマヌケな顔になっている。
騨出 伊洲武 25歳、異世界に立つ。
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