第6話 乗っ取られた悪役令嬢

なんだか体が軽いわ。

最初に思ったことはそれ。次に気がついたのは自分が宙に浮いているということ。

そして今まで[私]だった体が、私の視界の下にいること。


幽体離脱


その言葉を知らない幼い私は、空を飛んでるー! と嬉しくなったり、自分がもう1人いることがよく分からなくて首をかしげるばかりだった。

とりあえず屋根を突き抜け、朝もやの中を飛ぶ鳥と並んで空を楽しんでいると『はぁ!? なにこれ!?』という声が聞こえた。


自分の体の声だとなぜか分かって自室に戻れば

私の体は青ざめた顔でぶつぶつと不気味にひとりごとを言っていて、うわぁとドン引きしながら内容を聞いた。


いわく

私アマンダ公爵令嬢はレディ・アマンダと呼ばれる悪役令嬢で

将来、王子様と婚約するが、その王子様が子爵家の庶子の女に心変わりしていくのを見ていられず嫉妬して、その女をいじめ抜き、王子に嫌われ、婚約破棄され、すっごく歳上で辺境にお住まいのおじさんのところに嫁がされることになる。らしい。


婚約とかよくわからない。それどころかほとんど言ってることがよく分からなかったけど、王子様が危険ってことはよく分かった。なんだか私の体を動かしているなにかがとっても「婚約を避けなければ!」とか言っているから。


しかし彼女の努力むなしく婚約はなされた。でも婚約を破棄されるのが怖い、だから婚約したくないと激しい抵抗をした[私]の意思を無下にしてのものだからと、もし万が一婚約破棄などということになった場合には、王家が素敵な婚約者を見繕うという約束ができた。

そのときに、すでに婚約者がいる方から王命で奪うような真似はしないとお約束を、と[私]が言って、それも約束に加わった。

私はそこまで考えがおよばなかったから私の中の[私]はすごいのねぇと感心していた。今なら、年の功だとわかるけれど。


私は今も宙に浮いている。


[私]が寝入った夜の、すこしの間だけ私は私の体を取り戻す。

眠気にやられてすぐベッドに入ることになるけれど、その短い間に私はお父様とお母様のところへ行って「また来たの?」とか「もう寝なさい」とか言われながらも存分に甘えてから寝落ちる。ということをしたりしていた。


2人が「急にしっかりしてしまったが、やはりまだまだ子供だね。かわいい」と言っているのが聞こえながら眠りに落ちる。そして幽体離脱した私の代わりにお父様が私の体をベッドへ運ぶの。


そうして15になった。体を乗っ取られてから7年。もうすぐ私より[私]の方が私である時間が長くなる。

夜中、私がお父様とお母様に甘える日は減り、代わりに庭園に出て月夜の散策をしたり読書をする日が増えた。私は[私]と違って料理に興味はないけど花に興味があり、人とのおしゃべりよりも1人静かに時を感じるのが好きだ。いつも1人で漂っているからかもしれないけれど。


誰かとおしゃべりしたいという気持ちは、かつてはあったけれど、夜中の少しの時間だけでもお母様とお父様、執事やメイドとお話しして満足するように心がけていたから、そのくらいで十分という性格になったのだと思う。


[私]は順調に私を生きていた。


悪役令嬢にはいなかったらしい友達が増え、悪役令嬢では嫌われていたらしい王子様とも仲良くなって。

婚約破棄なんてされそうにない。

いまだに心配しているけれど、それは杞憂というものでしょう。はたから見ていると馬鹿らしいくらい仲がいい。


では私は、なぜここにいるのだろう。

いつまでここにいるのだろう。

このままこうしてふよふよしていたら、私は性教育を受けた時のいたたまれなさを超えるいたたまれない事態、そう[私]の性行為を見学するという苦行を課されることになるわ……!

それは、それだけは避けたい!

だって私、空を飛んでいても[私]の声が聞こえましてよ!?

このままではどこにも逃げ場はないわ……!


けれど私として人間関係を構築している[私]を追い出すのはなんだか罪悪感がわく。

そもそも私が乗っ取られているのだから、なにも悪くはないのだけれど。


もし私が体を乗っ取り返したとして、そのとき王子様はどう思うのかしら。

性格のまるで違う私に失望して、そして婚約破棄になるのでは?


体を取り戻す試行錯誤は、幼いうちにいろいろ試して無意味に終わったけれど、もし今取り戻せるとして取り戻すのは得策だとは思わない。私は[私]にくっついて授業を受けたりはしてきたけれど、見るとやるとは大違いだろうし、サボってその辺ウロウロしていたことは多かった。


貴族とかしきたり多すぎてめんどくさいし、体に戻っても[私]がいなくなったという不本意な悲劇の渦中に投げ込まれることになっていやすぎる。それにもうこれは別人の人生だもの。この体の人生はもう私であって私じゃないもの。私はもう望まれていない。

身を引くのが正しいこと。それがみんなのため。


いいえ、違うわね。そんな綺麗な話じゃないわ。正直に言いましょう。


私はもう、諦めたの。





諦めてからの私は[私]のそばにいることが減った。

遠くにいても声だけが聞こえる。もうそれも雑音のように聞き流せるようになった。


獣や犯罪者に襲われる心配のない幽体だから、暗い森の中へも好奇心のまま入り込む。

冬の妖精が住まい万年雪の降る氷雪の森、春の妖精が住む常春とこはるの山。季節の名を冠する妖精は、それぞれの季節ごとに血が繋がった家族だと聞いている。生まれ方は分からないけれど、数は少ないそうだから人間とは繁殖方法が違うのかもしれない。


今日訪れたのは氷雪の森

季節の妖精以外にも、花の妖精、風の妖精、陽光の妖精などさまざまな妖精が存在する。ここには白一色の雪の妖精がたくさんいたけれど、誰も私には気づかない。

妖精と幽体は別次元の生き物なのだなぁと、妖精とならお話できるかもと期待していた頃の私は落ち込んだものだ。


「おや、奇妙な気配がするね」


雪解けの雫の音のような、静かで耳に響く声が聞こえた。

見回すと、しゅるりと雪が集まって美しい人の形になる。背に白いしもでできたような羽のある人だけれど。


「ふむ? この辺りかな?」


水色の髪の美しい妖精、毛先は雪に変わって空気に舞う。人間くらいの大きさのそれは、もしかして冬の妖精だろうか。髪が長いから女性に思えるけれど、声の感じは男性にも思える。妖精に性別はないのだろうか?


そんなことを思って見ていると、白い指先が私のいるあたりでくるりと円を書く。とたん、わぁんと、耳に入り込んでいた水が抜けたみたいな、そんな開かれるような感覚がした。


「やはり。迷える幼子よ、よくきたね。僕は冬の妖精。君は何者か分かっているかな?」


「私が見えるの…?」


「見えるよ。君がいる場所は我々に近いからね。見えるようにするのは簡単。ふふ」


「私……」


いきなりのことに頭が追いつかない。ただ、なにか、言わなければ、と口だけが急いで、あの、とか、私よくわからなくて、と大して意味のないことばかり話してしまう。


「落ち着きなよ。時間はたっぷりあるんだ」


「はい。あの。ありがとうございます」


「ふふ、僕はまだお礼を言われるようなことはしていないけどな? どういたしまして」


冬の妖精の、黄色と水色のまじる不思議な目にやさしく見つめられて、胸にぎゅっと熱いものがしみた。


「こうして今の私を見てもらえるだけで、とても、嬉しくて」


「泣くほどつらかったか。どれだけの間その状態だったんだ?」


「もう7年になります」


「7年? 長いな。君は死霊ではないだろう? 本体はどうしているんだい?」


「なにか別の誰かが動かしているみたいで」


「ああ、乗っ取られたのか。たまにあるね、確定された未来に拒否反応を示した魂が抜け出て、変えることのできる何者かが入り込むんだ。直に見るのは初めてだが。ふうん」


アゴに指をあてて考え込む秀麗な妖精は、少ししてからニコッと私に笑いかけた。


「時に非条理な運命を背負う人がいる。君は運命にあらがったんだね」


そうなのだろうか。あの[私]が言うような悪役令嬢の未来はたしかに悲しいものだと思うけれど。


「私は運命なんて知らなかったのに」


「本能というのかな、運命の人に出会うと直感でそれと分かるように、己の未来も直感で理解するものなのだよ、とくに邪気のない幼子のうちはね。君は無意識にそれを拒否したんだ」


「運命……不幸になる運命なんて、何のためにあるの?」


「さぁ、僕は神ではないし、神がいるかも知らないし。予想するに、ただの不具合ではないかな?」


「不具合?」


「人間の作ったものに完璧はない。王妃教育なんてあるようだけど、そうして人の性質を強制された人は自分の幸せが何か分かるのかな? 人は政略結婚も作ったが、人は恋もする。そういった事象の間にうまれた不具合が、君の避けられない運命だったのだろう。それでも幸せを願った君は体を手放したのさ。その環境でも幸せになれる適任者にね」


「私がゆずったということですか……」


「ただの予想だよ? そうと決まっているわけではないよ」


「いえ、でも、なんだかしっくりします。ふに落ちました。逆恨みせず諦めがついたのも無意識にそれを覚えていたからかなって」


「ふふ。君は素直な子だね」


「でも、それでは私はこれからずっとこのままなの…?」


「ふふ」


同情でもなくあわれみでもなく、面白がる妖精の声に首をかしげました。まだなにかこのかたは知っているのかしら?


「君はいま選択の場にいる」


すっと真面目になった声は、雪解けの雫のように耳にしみる。


「小さな妖精は二つの生まれ方をする。一つは自然の気が寄り集まっての自然発生。もう一つが、行き場をなくした魂が妖精の気をまとってなる作為的な発生。作為的発生をできるのは僕のような季節の妖精の力によってだけだ。僕は君を妖精にしてあげられる。妖精になればもう寂しい思いはしなくてすむけれど、本体とのつながりは消える。どうする?」


「私が妖精に?」


「そう。いや?」


「いやではないですけれど」


急に言われても決断ができない。でも、心はもう答えを出している気がする。


「ふふ。妖精になりたくなったらまたおいで」


「あの、もし、このままいることにした場合私はどうなるのですか?」


「聞いたところによると、本体の死亡と同時に死霊となってあるべき流れに戻るそうだよ」


「そう、ですか」


「ふふ。またおいで」


ふらふらと空を飛んで、いつの間にか自室に戻ってきていた。冬の妖精に別れの挨拶もしないまま。無礼なことをしてしまったけれど、気にしていないだろうともなんとなく思う。


誰もいない自室。耳には雑音にしていた[私]の声がとどく。


『もう! もう! なんなのよ殿下ったわ。シナリオだとアマンダのこと嫌いなはずなのに、あんな思わせぶりなことして! 好きになっちゃうじゃない! それでヒロインが来たらそっちに惚れるの? とんだ浮気者ね!』


プリプリ怒りながらも嬉しそうな声。

人生を生きる明るい声。

それに背中を押された気がした。






私の羽は冬の妖精のような、霜で作られたような白で、形は蝶の羽と同じ。

小さくなった体で、たくさんの妖精に挨拶をした。私は雪の花の妖精らしい。雪の花は氷雪の森にしか咲かない花で、雪が3年積もったままの場所に咲き始める白い花だ。


ひらひら、夜の王都の空を王城目指して飛んでいく。

お城の中の隙間をぬってぬって、目的の部屋にたどり着いた。


まだ魔法灯の光るその部屋では、金の髪の美しい青年が書類に目を通している。


「王子様」


一度も、私のままでは会うことのなかった婚約者。

呼びかければピクリと反応して周囲を見回す「アマンダ?」私の声はそのまま彼女の声らしい。本体のアマンダを探す王子の目が私を見つけた。本体そのままの姿形で妖精になった私に、彼は目を丸くする。


「アマンダ? え、ちいさ、え、小さくないか? はは、また何か変なことをしたのかい?」


私を[私]だと思っている王子様に、私はふっと微笑み返す。

人間はあまり妖精を見ることがないから、私を見てすぐ妖精とは思わないようだ。


「アマンダ…?」


「王子様。一度、お話ししてみたかったのです。私はアマンダ。レディ・アマンダ。あなたの知るアマンダとは別のアマンダですわ」


「別の?」


「私が本当のアマンダ。でも、彼女もアマンダ。だから、もう、よくわからないわね」


「どういう意味?」


美しいかんばせで、美しい青い瞳で私を見る王子様。

私が私として生きたなら、私はあなたに恋をしたのかしら。


「一度、直接お話したかったの」


「一度?」


私の結婚するはずだった人。私を捨てたかもしれない人。

深い理由はない。でも、話してみたかった。なんとなくね。


「そう、一度。難しいことは考えないで、たった一度だけの不思議な夢と思って。私とお話いたしましょう? 王子様」


「……君は、俺を殿下と呼ばないのだね」


「ふふ。そうですね」


なぜか切ないような顔をして、王子はそっとその長い指で私の小さなほおにふれた。


「なぜだろう。その願いを叶えてやらないといけない気がする。いいよ。話をしよう。何を話す?」


「お優しい王子様。ありがとうございます」


いろいろなことを話した。

かつて好きだったお菓子の話。好きな花の話。人々の寝静まった夜に空中散歩すると見える、月夜に照らされた静かな街の景色の中で、ぽつりと灯る夜勤の兵のいる兵舎の明かりのなんと幻想的なことか。


「君はずいぶんおしとやかだな」


「そうですか? 私よりあっちのアマンダの方が勉強もなんでも真面目にこなしていますよ」


「はは! アマンダは努力家だよね」


そう言う王子様の目は愛しさで染まっている。


「少しだけ私も王妃教育を見ていましたけれど、私があれをするのはとても厳しいと思いましたわ。きっと、そのうち癇癪かんしゃくを起こしたのではないかしら。つらくて、つまらなくて、苦しくて」


「王妃教育を詳しく知らないんだが、そんなに?」


「ええ、もっと、気を強く持って、自分の意見を強く主張しなくてはいけなくて、でも人の話を全く聞かないのもいけなくて、でも人の意見ばかり聞くのもいけなくて。もうよくわからないわ」


「はは! 王もそんなものだよ。結局は自分で考えろということさ」


「そうなのですね。でも、きっと私には耐えられなかった。私は空を飛ぶのが楽しいし、静かな時の流れを感じるのが楽しいし、みんなが楽しそうにしているのを見ているのが楽しい、そう、まるで脇役のような性格なの」


「向かなくもないと思うけどな? 指導的な王妃ではないけど、みんなを支えるいい王妃になりそうだよ。ああ、でも」


「それが許される時流ではないですね」


王妃教育、という確固とした求められる形がある。

そこから逸脱いつだつして変えるには相応のカリスマ性がいるが、そのカリスマ性こそ私に不足している。


「そうだな。でも、なんとかしてみせるよ、アマンダのためなら、がんばるさ」


そう言う彼はきっと、私がもし私のままで婚約者となり、苦しみもがき彼の好意を得ようとあがいていたとしても、好意を持ってはくれなかったのだろう。今の言葉を言うことはきっとない。なぜかその確信がある。

そして婚約破棄へたどり着くのだ。


そのもしもの世界でも彼が私に好意を抱いてくれる可能性が高かったなら、私はこうなっていなかったと思うのよ。

……実際に失恋したわけではないのに、なんだか悲しい気持ちになってしまったわ。

結局、この人が望むのは私ではない。


「お話ありがとうございました、王子様。どうかお元気で」


もしかしたら愛したかもしれない人。

い求めたかもしれない人。

今は、よく知らない赤の他人。


「ああ。君はどこにいくんだ? もう来ることはないのか?」


「仲間たちのところへ。たぶんもうこないと思います」


「妖精のところ?」


「はい。空を飛んだり、月明かりを浴びたり、光る花の中で踊ったり。朝露をあつめたり。妖精は自由で楽しくて、みんな優しくて。とっても居心地がいいんです」


「そうか。どうして妖精は人を嫌うのかな? 仲良くできればいいんだが」


「さぁ、どうしてかしら。でも私もあまり人に関わりたくない気がします」


「そうなのか。本能なのかな? もう会えないのは残念だけど、君も健やかに。妖精のアマンダ」


「はい。ありがとうございます」


この人に望まれる未来はきっと私にはなかったけれど、幸せを願われたことがなぜかとても嬉しかった。憎しみのこもった目で見られないことが、なぜかとても嬉しかった。


王子が窓を開けてくれて、そこから夜の王都に躍り出る。

青い月明かりは世界を神秘的に照らしている。城の周りに珍しく妖精が複数集まっていて、月光を反射しきらきらと輝いていた。


「アマンダー無事ー?」


「王子と話せたー?」


「すっきりしたー?」


「はい。いっぱい話して、満足です!」


「よかったー! じゃあ森に帰ろう! そろそろ祭りの時間だよ!」


「そうそう! 明日は春の妖精の誕生日だから、もう祭りが始まるんだよー!


雪の妖精、陽光の妖精、花の妖精に、雫の妖精。みんなに連れられて森へ帰る。

振り返った王城では、開いた窓辺に金の髪の王子が立っていた。後ろ髪引かれる思いを、ふっと振り切って背を向ける。


春祝いの祭りで、決まりなどない自由なステップでみんな思い思いにダンスを踊り、歌を歌って花の蜜を舐める。


人からあぶれて妖精になって、私は今幸せです。

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