葉桜の日 ⑧-1-2

『男の料理はセックスである。

男はセックスにおいて、女をいかにヨガらせていい声で鳴かせるかを至上の命題としている。

女を喜ばせることは男にとって更なる快感へと続く王道である。

鍵はミラーニューロンだ。男は女がよがる姿を見て自己の快感を高める。目を閉じてされるがままの女とは根本的なセックスアーキテクチャが違うのである。

人はこのミラーニューロンを鍛えんがために様々な経験を欲しようとしているといっても過言ではない。つまりセックスとは、人が生きていく中で獲得した技能【愛】における一つの祭事なのだ。

人々を幸せへといざなうという行為において男ほど理にかなう担い手はいない。男とは、人類の半分に無差別に愛を放てる生き物であるのだから。』



これは私が料理の手引書として愛読している【料理の黄金指・鷹】という本からの抜粋だ。


正直、「愛を放つってなんだよ」と言うのがぶっちゃけた私の感想である。


料理がセックスなのかは甚だ疑問ではあるが――しかし熱量だけはかろうじて伝わってくる。


やはり料理とは熱量こそがその出来栄えを左右する最も重要なファクターであろう。その点だけは私にも納得できるところだ。


本日、私が選択した朝食は鍋。


朝から鍋。


鶏がクックドゥードゥーと鳴くより早く起床した私はまず米を研いだ。無論最初に米から着手した理由は浸水時間を取るためである。


次は肉や野菜の下ごしらえ。鍋だからと言って野菜をぶつ切りにしてぶち込むような真似はしない。


鍋はアートである。


状況によって刻々と変わり続ける出汁。その状態を監視し管理し続け、食の進行を司るまでが料理人に課せられた責務。その姿はさながら戦争を指揮する指揮官が如き。


白菜の葉と茎を分けて用意するのは当たり前。茎部分は斜めに切りより出汁を吸いやすくする工夫を。ニンジンや大根もピーラーで薄めに切りそろえより出汁をしみやすくする工夫を施す。


鍋に出汁を投入する前には鶏肉の皮目と一口大に切った長ネギを鍋で焼き、焦げ目をつけて香ばしい風味を加える。


全ての工夫は愛を目指して、一つ一つ、着実に確実に積み上げられ積み上がっていく。


美味しいと相手を喜ばせるために。


「こんなの初めて」と言わせたいがために。


相手をエクスタシーへと導く伝道師になりたくて。そのために私は料理を覚えたといっても過言ではない。


女の料理とは違う。


男の料理とはその一作一作が魂を込めた一射なのだ。ほとばしるパッションなのだ。射精をしたことのない女子供にはわからぬ境地に立っているのだ。男の料理の工夫には女が大好きなキャラ弁のような小手先だけの遊びはないそんなものは工夫ではないそれだけで完結したりなどしないそんな生易しいものではないファンタジーお花畑のふわっとしたものではない。そういう芸術性は確かに大事ではあるが女の工夫は大抵は美味しさという肝心な部分が抜け落ちた自己満足の塊、調理技術の疎かさが目立つものばかりだ。だから女子の作ってくる弁当は見た目だけの工夫にとどまった味はいまいち料理なんだよてめーの焼いたたまご固すぎっから! 

ほんと女さんらって見た目以外どーでもいいって思ってる生物だよね俺の悪口をその口から捻りだす前に俺が不快ならお前が俺の元から去ればいいじゃんお前がどっかいけばいいじゃん黙って移動すらできねーのかってあと真夏に寒いとか言ってエアコンの温度上げるなお前がなんか羽織れお前のおしゃれ都合なんぞ知ったことかよ。


「よし、米が炊き上がるまでにサラダを二品作って終了だな。ここまではパーフェクトリーだ」


窓の外は既に明るく、上は雲ひとつない真っ青な晴天が広がっている。


新しい朝が来た。希望の朝が。


思えばこんな朝を迎えられたのは何年ぶりのことか。過去の私はいつからか、当たり前だった日々から切り離されて空の色すら知らない人生を歩んでいたようだ。


「さて。ククリ様を呼んで来るか。我が寿命に抗わんがために」


私は家の外に出て、実は桜の木であると明かされた大樹の元へと向かう。


――見たかったな桜。今じゃすっかり葉桜だけど。


今日の朝食は愛だけでなく感謝も加わってしまい、いつもより品数が増えてしまったが、それは食客たちのあずかり知らぬことである。願わくばチップ増えたらいいなと現金な下心を忍ばせる初出社トゥ葉桜の日であった。

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