第24話【四月二十八日夕方~内藤省吾~】
いろいろあって、なんだかいつも以上に疲れた。足も痛いし、下校時刻には少し早いけれど、もう帰ってしまおう。香織もいないし。
足を引きずって、下駄箱の前にたどり着くと窓から差し込むオレンジ色の陽の中に針金みたいなシルエットが立っていた。
「省吾。帰るの?」
校内にいるなら、部室にくればいいのになにをしているんだ。いぶかしむぼくに頓着せず、無表情の香織の顔がまっすぐにこっちを向く。
「カバン持つわ」
「え?い、いいよ」
「持つわ」
勝手にカバンが取り上げられる。
すたすた。
香織が迷いなく、ぼくの靴箱へ移動するとスニーカーを取り出してしゃがみこむ。
「足、出して」
「あ、あのさ、香織。もし、ぼくが怪我をしたことを気に病んでいるなら……あまり気にしないでくれないかな」
正直、香織らしくなくてやりづらい。香織は、ぼくに理不尽なことばかり命令する理不尽女王なはずだ。
「足、出して」
しかたなく、靴箱に手をついて上履きを履いた足を差し出す。香織がぼくの前にかがみこんで、両手で上履きを脱がせる。
妙に心拍が高まる。
怪我したほうの足に換える。香織がひときわ足に顔を近づける。ほとんど舐めるみたいな距離に近づいて、力を加えないように慎重に上履きを脱がせる。スニーカーの紐をつま先付近まで丁寧にゆるめて履かせる。ぼくの足を下ろす。スカートから伸びる膝をタイルに押し付けて、かがみこんで紐を順番にゆっくりと締める。制服に包まれた薄い背中を丸めている。スカートと上着の隙間に白いインナーシャツが見える。
靴を履かせ終わると、香織はカバンを二つ持ってぼくの横を歩く。いつもの背筋を伸ばして、まっすぐに前を向いた香織。
でも、いつもの香織じゃない。
どうしたんだ?と聞いても答えてくれないだろう。
足を怪我している今は重い教科書の入ったカバンを持ってもらえて助かる。理由は詮索せずに、好意に甘えることにする。
◆◆◆◆
あれ?
家の前まで帰り着いて、ふと足が止まる。上原家の二階を見上げると今朝まではなかったものがついている。柵だ。二階の窓全体を、柔らかいカーブで装飾された柵が覆っている。
そうか。
香織のご両親が転落防止につけたんだろう。実際、先日のフラッシュバックは危なかった。二階くらいの高さで死んじゃったりはしないだろうが、深刻な怪我くらいはしかねない。ただでさえ、骨と皮みたいな香織なのだ。骨折くらいはするだろう。
正しい安全策だ。
「香織?どうしたの?」
横を見ると、香織がその窓をじっと見上げていた。いつもの無表情から香織の考えを読み取ることはできない。
「こわいわ」
「こわい?安全だよ。あれがあった方が…この間みたいに落ちたりしないよ」
そう言うと、香織の頭がぐるりとこっちを向く。しばし無表情でぼくを見る。なにか、まずいこと言っちゃったかな?
……と思っているうちに、香織がすたすたとうちの方に向かって歩く。そっちは、ぼくのうちなんだけど……まぁ、いいか。
香織と家に戻る。
玄関で、香織がしゃがみこむ。
「あ。い、いいよ。家では廊下に座れるからさ」
香織はガン無視でスニーカーの紐を緩めてくれる。落ち着かない。それでいい。これに慣れてしまうと、美少女にひざまずかれてなんとも感じないことになってしまう。
「あ、ありがとう……」
香織にお礼を言うのにも慣れない。なにせ、香織はぼくがお礼を言うようなことを、十年くらいしたことがない。
香織も言われなれていないのか、目もあわせずカバンを持ってさっさと階段の方へ歩いていく。階段の下でしゃがみこむ。
「なに?どうしたの?」
今日の香織の行動は、いちいち意味が分からない。
「背負うわ」
「なんで?」
「階段だもの」
「いや。手すりもあるから大丈夫だよ」
だいたい香織がぼくを背負えるとも思えない。香織の脚は、自重を支えているのすら不思議なレベルだぞ。
香織は立ち上がると、そのまま階段を昇っていく。
廊下のドアの前でまた立ち止まる。
「部屋に入って大丈夫?」
「大丈夫だよ。なんで?」
「エッチな漫画とか、エッチなdvdとか、エッチな本とか、エッチな抱き枕とか、LLサイズのスクール水着とか、汚れたブルマとか片付けるなら待ってるわよ」
「ぼくは、そんなすごい上級者じゃないからね」
LLサイズのスクール水着ってなんだ。それは、ぼくが着用する用途なのか?
「じゃあ、入っていい?」
「いや。ちょっとだけ待ってて」
ふと思い出して、ドアを少しだけあけて身体を滑り込ませる。
「《リボルテッククイーンズブレイド クイーンズゲイト 門を開く者アリス》フィギュアがあるのね」
「え?なにそれ?」
「海洋堂のおもらしポーズの取れるフィギュアに決まってるわ」
決まってない。
「ないよ」
そう言ってドアを閉じる。おもらしフィギュアはないけれど、ベッドの脇の棚には、都祭さんの水着写真が出しっぱなしだ。同じ部活の友達の水着写真と言うのは、ある意味おもらしフィギュアより威力がある。場所的にもまずい。マットレスの隙間に押し込む。
「い、いいよ!」
間をおかずに、香織が部屋に入ってくる。そういえば香織が部屋に来るのってしばらくぶりだ。
香織は、部屋の中を興味深げにくるくると観察している。
どんなに観察してもエッチなものはないぞ。
探索モードの香織の視線が停止する。
あれ?なんか、まずいものあったっけ?ないはずだけどな。
香織の視線を追う。その先には、カーテン。大丈夫。普通のカーテンだ。世の中にはカーテンを可愛くする勇者もいると聞いたが、ぼくは違う。
香織がカーテンを開ける。正面に香織の部屋の窓。今は、柵に護られている。
「この間は、そこのひさしに乗って、ブロック塀の上に足をかけて、そのあと道路に降りたんだ。いきなり道路にジャンプしたわけじゃないよ」
ベッドに腰を下ろして、靴下を脱ぎながら解説する。湿布を換えないといけない。本当は制服も着替えたいのだけど、香織の前で着替えを始めるわけにもいかない。
「湿布を換えるのね。私がやるわ」
香織がベッドに上がってくる。
うわぁ。
相手が幼馴染とは言え、ベッドの上に香織級の美少女が制服で四つん這いになっているのは、男子高校生的に冷静でいられない。
「い、いや。いいよ!自分でするから!」
やばいやばい。
「自分でするなんて言わないで、やらせて」
ぐはぁ。
「大丈夫です!自分で湿布を張り替えます!」
言語中枢が壊れかけて、丁寧語になる。湿布を張り替えるという部分を自分に言い聞かせる意味もある。
「そう?」
香織がようやく諦めて、ベッドから降りる。ほっとしたような。残念なような気がする。
香織は、部屋の隅から隅まで周囲を歩き回り始める。うろうろうろうろ。
加水医院でもらってきた薬袋から、湿布を出して貼りなおす。
香織は、カーペットの上に転がって両手を頭上に掲げている。んばっ。
湿布の上から、靴下を履く。
香織は、回転して部屋の端から端までローリングで移動している。ごろごろごろごろ。
……。
いちいち香織の奇行を気にしないくらいの生活の知恵はついている。
それにしても、細長いやつだなぁ。両手を頭上に掲げてカーペットの上に転がっている香織を見て、そう思う。仰向けの状態で香織がストップする。両手を身体の横に戻す。
「省吾」
カーペットの高さから呼びかけられる。
「ん?」
「荷物増えてないのね」
「パソコンが増えたよ」
高校に入ってから増えたものといえば、机の上のパソコンだ。用途は主に映画を観るのに使っている。dvdも見れるし、定額九百八十円で映画観放題だったりするし、エア脚本を書くのにも使えるし、ミュージックプレイヤーにもなるし、あと少々エッチな写真などは暗号化して完璧なセキュリティで隠しておける。もう母さんにエロ本を机の上に積み上げられたりしない。パソコン便利すぎる。タブレットでは、こうは行かない。
「仁美も買ってもらってたわ」
「香織は持ってないんだっけ?」
「いらないわ」
「便利だぞ。映画観たりもできるし」
「一人でしか使えないもの……」
そう言いかけて、香織がむくりと起き上がり部屋を出て行く。ばたばたと階段を駆け下りる音が聞こえる。
あ。まずい。
ぼくもベッドから降りて、手すりにつかまりながら階段を降りる。予想通り、トイレのドアが開いている。かがみこんだ香織のスカートと、黒のハイソックスを履いた脚だけが出ている。
「香織、大丈夫?どうしたの?」
便器に向かって、いつものようにじゃーじゃー吐いている香織に声をかける。
「……ん……」
ちいさく頷いて、またひとしきり吐く。
最近の香織はやっぱりおかしい。部室に入らずに、廊下で吐いていたのもおかしければ、フラッシュバックの後、泣いたのもおかしい。自分から映画研究会をやめると言い出したのもおかしい。生徒会に突撃したのは…まぁ、いつもの香織の奇行の範囲内かな…。でもなにより、ぼくと二人でいるだけのときに吐いたりするのがおかしい。そんなこと今までに一度もなかった。
「なんでも……ないわ。とりあえず……帰る……」
香織がトイレのコックをひねって流しながら立ち上がる。水音を背景にフラフラと玄関に向かう。玄関で靴に足を突っ込みながら、振り返る。
「省吾…あの……」
「うん……」
「……また来てもいい?」
「いいよ」
おかしい。香織が、そんなことを確認するなんておかしい。これが映画なら宇宙人が香織に化けているところだ。香織が歩き始めるときに右足から踏み出すのか、左足から踏み出すのか覚えてなくちゃいけなかったな……。
すっぱい匂いを残して、ドアが閉まる。
ぼくは階段を昇って部屋に戻る。
窓の向こう。十メートル先。新しく出来た柵の向こうで、カーテンが開く。香織の指が、花型をした鉄柵をなでる。
あの柵があれば、香織はもう転落したりしない。安心するべき。
安心するべき。
ぼくは、そう言い聞かせる。
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