第23話 答え②
「ここです」
駅から数分歩いたところに、今日の目的地はあった。
クリーム色の建物、かなりの台数の車を収容できる駐車場、大きな玄関。
それが、その目的地の外観から見て取れる大まかな特徴だ。
目的地に到着したと彼女に告げると、彼女は不可解な様子でその建物をまじまじと眺めながら、その名称を俺に確認する。
「体育……館?」
ご名答。
俺が彼女を連れてきたかったのは、市が運営するこの体育館だった。
俺達が住む街から、電車で数十分。
休日には室内スポーツや武道の大会も開催される、県内有数の大きさを誇るこの施設。
その場所に、俺の思惑を果たすための糸口があった。
「ここで何するの? スポーツ?」
「詳しい話は中に入ってからにしましょ、ここ、暑いですし」
質問を躱すようにそう言って、彼女を引連れて施設の中に足を踏み入れる。
受付でスリッパを二つ借り、一足を自分が履き、もう一足を彼女の足元に置いた。
彼女がそれを履き終えたので、俺は体育館の奥に進もうとする。
しかし、彼女に服の裾を掴まれてしまい、奥に進むことは叶わずにその場に停滞してしまう。
後ろに振り返り彼女を見ると、少し、不安そうな顔をしていた。
「本当に何するの? 私、動けるような恰好じゃないけど……大丈夫?」
白のサマーニットに、ネイビーのロングスカート。
確かに、彼女の服装は運動をするには際どいものだった。
そんな恰好で動いてしまえば人目が憚れる。
彼女が不安になるのも当然だ。
「大丈夫ですよ、別に動いたりするわけじゃないので。ただ、先輩に見てもらいたいものがあるんです」
「私に見てもらいたいもの?」
「はい、とりあえず俺についてきてください」
「う、うん……」
宥めるように俺が答えると、彼女はコクリと頷いて俺の服の裾を離してくれた。
しかし、頷きはしてくれたものの、納得はしていないようで、彼女の表情は以前曇ったまま。
まだまだ不安を拭いきれてはいないようだった。
肝心の、今日ここで何をするのかを、俺はまだ彼女に伝えていない。
それが、彼女をそうしたらしめている理由だろう。
スポーツじゃなければ、こんなところで一体何をするのか。
“私のためでもあって、夏目君のためでもある”こととは何なのか。
彼女の頭の中はそんな疑問でぐちゃぐちゃになっているはずだ。
しょぼくれた顔をされ、少し心が揺らぎそうになってしまうが、必死に堪えて廊下を進む。
まだ、目的は言えない。
それを言ってしまえば、彼女は臆するかもしれない。
ここから逃げられてしまうかもしれない。
だから、彼女に真実を伝えることは出来なかった。
まぁ、どうせ数分後には全てが明らかになる。
騙すみたいで気が引けたが、自分の目的を優先するために、俺は彼女には何も言わずに、ただ黙って館内の奥へと進んだ。
時刻は午後の三時を回っている。
指定された時間を少し過ぎ、俺は焦っていた。
すでにその人達は集まっているはずなので、余裕もなく、自然と歩くスピードも速くなっていく。
彼女もきょろきょろと周りの様子を見ながら後ろについてきて、俺達は二人、館内の奥にある部屋を目指した。
しばらく歩くと、一人、二人と疎らな人影が見えてきた。
いた。
おそらくあの人達だろう。
指定された場所に、言われていた通りの人数で、約束通りの時間。
全員が動きやすい恰好をしているので間違いなかった。
良かった、まだ始まってはいないようだ。
少し遅れてしまったが、それが始まる前に到着でき、安堵した。
「ここで少し待っててください」
足を止め、俺は彼女にそう言った。
当の本人は状況をあまり理解できていないようで、混乱した様子で「う、うん」と頷くだけ。
そんな彼女をよそに、俺はその人だかりの中心へと近づいていき、周りに支持を出している人物の前に立った。
「はじめまして、この間連絡させていただいた夏目です」
そう話しかけると、中心にいた人物は「あぁ、この前の」と笑いながら俺の肩に手を置いて「あんまり上等なものじゃないけど、気が済むまで見て行ってよ!」と声を掛けてくれた。
ありがとうございますと頭を下げ、彼女の元へと戻る。
彼女は見ると、未だに頭がこんがらがっているようで、いつもよりも落ち着きがないように見えた。
仕方がないだろう。
突然、知らない人間の集まりの中へと連れ込まれたのだ。
俺がもし同じようなことをされたら、彼女みたいにならない自信はない。
「誰? あの人達」
「あの人達は……」
そう言いかけた途中、先ほど俺が挨拶に行った人物が、良く通る声でそれの開始の合図を告げた。
俺は振り返り、彼女も振り返る。
「行きましょう、先輩」
彼女の手を引き、俺達はそれが良く見える場所へと移動する。
彼女は俺に連れられるがままにその部屋の端へと進み、俺達は、二人並んでその団体の様子を眺めた。
軽い体操、筋トレ、順を追ってその人達が行っていった事だ。
この時、彼女はまだこれが何なのか、彼らが何をする団体なのかを知らなかったと思う。
けれど、彼らが準備運動を終え、次に行ったこと。
それは、彼女にそれが何なのかを理解させるには十分すぎる材料だった。
単発的な言葉の発声、活舌を意識した発声、俺も詳しくは知らないが、以前彼女から聞いたあめんぼの歌だとか、外郎売とかいう素人には分かりにくい専門的な練習。
彼らがそれをやり始めた時、彼女の瞳に巣くう光の色は、一瞬にしてガラリと変化したように見えた。
彼女を一変させるもの、彼女を本気にさせるもの。
そんなものは、この世に一つしか存在しない。
そう、彼らが行っているのは“演劇”の練習である。
発声練習を終えると、今度は何らかの劇の練習を始めるようで、彼らは各々の役割に分かれて稽古を再開する。
そんな様子を、俺達は何も言わずに、ただただ眺めていた。
体育館の一室に、演者達の生き生きとした声が響いていく。
喜、怒、哀、楽。
全てを感じる声が響いていく。
その一室にいた人達の感情は、とても幸せに満ち足りていたと思う。
自分が好きなこと。
自分が得意なこと。
自分がやりたいこと。
それを現在進行形で行っている彼らが、幸せでないはずがなかったのだ。
けれど、その幸福は、俺の隣にいる人物には適わなかった。
彼女が、これが演劇であると気付いた時、俺は彼女の目の色が変わったと言った。
それは、確かなはずだった。
鈍感な俺にも分かるくらいに、彼女の周りを取り巻く空気は一変した。
しかし、それは前向きな、享楽的なものではなかったのだと思う。
はじめから分かっていた。
こんなものを見せられても、彼女は喜んだりはしない。
彼女は怒っている。
それと同時に、悲しんでいる。
彼女は何も言わなかったけれど、俺は知っていた。
現に、先ほどまでちらちらと俺の様子を伺っていた彼女が、それに気が付いてからは一度も、俺と目を合わせようとはしなかったのだから。
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