第22話 答え①

【七月二十一日 土曜日】




「あのさ、夏目君」


「何ですか、九条先輩」


「…………何、これ」




 良く晴れた週末の昼下がり。


 俺と彼女は、二人仲良く鈍行列車に揺られていた。


 車内はガラガラ。


 平日の朝は通勤通学に利用する人達で地獄絵図と化すこの車両も、週末の、そして今の時間帯にはゆとりのあるものへと変り、それもあってか、俺達は難なく座席に座ることができ、こうして余裕を持って目的地を目指せていた。




「だから、昨日言った通りですよ」


「いや、そうじゃなくて……」




 彼女は、少し恥ずかしそうに下を向きながら、




「どうして、急にこんな……」




 と、俺に言った。


 おそらく、彼女は怒っていたのだろう。


 昨日の、俺の行いに対して。




 昨日の昼、俺は三年生の教室に直接赴き、彼女に言った。


 自分の目的を果たすために、自分の思惑を果たすために。




「九条先輩、(明日、行きたいところがあるから、俺に)付き合ってください」




 と、確かにそう言ったのだ。




 ……いや、待ってほしい。


 分かっている、自分でも分かっている。


 言葉が足りないのも、紛らわしい言い回しをしたのも、そんな言い方じゃまるで告白みたいだというのも。


 でも、しょうがないじゃないか!


 俺だって緊張してたんだ!


 慣れない上級生の教室に行って、しかも女子の先輩を外出に誘うだなんて、陰キャの俺にはハードルが高かったんだ!


 だから、あんな紛らわしい言い回しになってしまったたんだ!


 俺は悪くないと思う……悪いけど。


 だから、聞いてほしい。


 俺の、言い訳を。




 初めに言っておくが、決して無計画という訳ではなかったのだ。


 誰だって注目を浴びるのは嫌だろう。


 ましてや、自分より年下のクソガキに、友達の目の前で男女間での遊びの誘い、すなわち逢引の誘いを受けるだなんて考えただけでも恥ずかしい。


 しかし、俺には彼女に直接伝える以外の連絡手段がなかったのだ。


 だから、俺なりに気を回し、彼女を教室の前の廊下まで呼び寄せて、誰にも聞こえないような小さな声でそう告げた。


 けれど、そんな配慮も結局は無意味に終わってしまった。


 緊張のあまり、ややこしい言い回しをして彼女を余計に困惑させてしまった。


 まぁ、それだけだったら、彼女を困惑させただけだったのなら、まだセーフだった。


 その場で釈明でも訂正でも何でもすればよかっただろう。


 けれど、違う。


 問題は、その後、俺が彼女を外出に誘った後にあった。


 俺は、気づかなかったのだ。


 彼女の友達が、俺の背後についてきていたのを……




 俺が彼女にそう言った直後、俺の後ろにいた女の先輩の一人が「えっ!」という驚嘆の声を上げた。


 その声に、俺も、彼女も、声を発した小柄な先輩の隣にいた背の高い先輩も振り返り、その場にいた全員が固まったまま数秒が過ぎた。


 そうして、少しの沈黙が蔓延った後。


 背の高い先輩が乱暴に小柄な先輩の口を塞ぎ、ニヤニヤとした顔をしながら「ごゆっくり~」と教室に戻っていき、俺の顔は青ざめ、彼女の顔は赤らんでいった。


 彼女は黙ったまま目を反らし、俺も何を言っていいのか分からずにフリーズ。


 そうして重たい雰囲気に耐えきれなくなった俺は、前もって時間と場所を書いておいた紙を彼女に押し付け、「明日、待ってますから!」とだけ言い残し、三年生のフロアから走って逃げて、何が何だか自分でも良く分からないまま、こうして今日に至るという次第だ。


 ちなみに、「付き合ってください」という言葉の言い間違い、誤認については、今日、駅に集合した時に謝っておいた。


 その言葉の真意を伝えると、彼女は呆れたように笑いながら「そんなことだろうと思ったけど……」と言って許してくれた。


 けれど、その笑顔は心なしか引きつっているように見えた。


 彼女があの後どうなったのかは分からない。


 けれど、彼女のその引きつった笑顔と、彼女の友達のあのにやけた表情から察するに、俺との関係を根掘り葉掘り聴取されたのは必至だろう。


 掛ける言葉が見つからない。


 申し訳ない……と良心が痛んだ。


 しかし、こうして紙に書いておいた集合場所に来てくれているので、まだ嫌われてはいない……と思う……ような気がする……嫌われてなかったらいいな~。


 情状酌量の余地があるのなら、聞きたい。


 単純に、あの後どうなったのかが気になっていた。


 だから、俺は彼女に、遠慮がちに聞いてみた。




「……あの後、大丈夫でした?」


「…………」


「あの、何かすみませんでした……」




 彼女は、無言で俺を睨んだ。


 えぇ……滅茶苦茶怒ってる……


 あの後、一体何があったんだ……




「……君さ、もうちょっと場所とか時間とか選べなかったの!?」


「す、すいません……」


「おかげで理紗と葉月にあの後散々……」




 そう言いかけた途中で、彼女は溜息を吐いた。


 理紗と葉月と言うのはおそらく俺の背後にいた先輩達のことだろう。


 どっちがどっちなのかが分からず気になったが、彼女は怒っていたので、二人の先輩に関してはおいそれと聞くことができなかった。


 まぁ、でも、彼女の疲れ切った表情から察するに、あの後、その理紗と葉月という先輩達から相当な辱めを受けたのだろう。


 本当、申し訳ない……




「……それに……突然付き合ってくださいって君……」


「それについては……本当に申し訳ありませんでした……」


「まったくもう……紛らわしい……」


「うっ……」


「どこかに行くから付き合ってほしいって意味であったとしても際どいよ。それってデートって意味じゃん。友達の前でそんなこと言われたら恥ずかしいよ」


「……でも、先輩だってこの間俺の事映画に連れて行ったじゃないですか」


「こ、このあいだのはそういう意味で誘ったわけじゃないし!」


「じゃあ、あれ何だったんですか?」


「それは……」




 何か思うところがあったのか、彼女は言葉を詰まらせた。


 彼女にとって俺はどのような存在で、普段どのような気持ちで接しているのか。


 それは、前々から気になっていたことで、確かめておきたい疑問の一つだった。


 だから、俺も無言で彼女の返答を待つことにする。


 すると、彼女は少しだけ上擦った声で言う。




「そ、そんなことより、今日はどこに行くの?」




 お世辞にも上手とは言えない彼女のそのはぐらかし方を見て、思わず笑ってしまう。




「ついてからのお楽しみです」




 少し不機嫌そうな彼女を前に、もう少しだけからかってみたくなった俺は、あえて彼女と同じようにはぐらかした言葉を返す。


 すると、彼女はジト目で俺を睨み、プイっと顔を反らすと、そのまま黙り込んでしまった。







 そうしてしばらく無言のまま、無言ではあるけど居心地の悪くない空気と共に電車に揺られていると、唐突に彼女が口を開いた。




「ごめんね、夏目君」


「え、どうして謝るんですか?」


「この間、私が変な話したから、気を遣ってくれてるんでしょう?」




 なぜ謝るのか、不思議に思って聞くと、彼女はそんな答えを返してきた。


 おそらく、彼女は俺に対して負目を感じていたのだろう。


 自分のわがままに付き合わせて、それを突然終わらせて、自分の後ろ暗い話を聞かせて。




「それで、休みの日に無理してまで私を励まそうと……」




 だから、彼女は謝ったんだと思う。


 俺にまた気を遣わせているんじゃないのか。


 俺にまた迷惑をかけているんじゃないのか。


 彼女の表情が、そう考えているのを物語っているように思えた。


 けれど、それは、




「違います」




 間違いだった。




「九条先輩のためじゃないって言ったら嘘になると思います。でも、本当にそれだけのためにこうして出てきたわけじゃないです」


「じゃあ……どうして……」


「これは、自分の、俺のためでもありますから」




 俺がそう言うと、彼女は少し怪訝そうな顔をした。


 “俺のためでもある”


 その言葉が、彼女の中で引っかかっていたのだろう。


 その反応は正常だと思う。


 確かに、訳が分からない。


 けれど、それは真実だった。


 彼女のためでもあって、俺のためでもある。


 それが、俺の出した答えなのだ。




「次の駅ですね。降りましょう、九条先輩」




 偶然か、はたまた必然か。


 話の切りがいいところで、丁度よく今日の目的地のある駅に到着した。


 俺は彼女の手を引き、電車から飛び降り駅へと降り立つ。


 本格的な夏を迎えようしていた俺達の地元は、黄金色の太陽に今日も嫌になるほど照らされている。




 俺は今日、彼女に嫌われてしまうかもしれない。




 二度と、顔を見たくはないと言われてしまうかもしれない。


 それくらいの、嫌がらせと思われても仕方がないことを、今から彼女にしようとしていた。


 けれど、もう後には引けなかった。


 決めたんだ、自分の中で。


 彼女のためにできることをする。


 俺だけができることをする。


 それだけは、もう覆せなかった。




 だから、俺は。




 彼女のために、俺は。




 彼女にとっての悪役になることを、決意したんだ。

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