第20話 僕と彼女と彼女の秘密⑥

 夕日の光と暗闇が混じり合ったアスファルトの道を、何も言わずに黙々と、淡々と歩く。


 下校時刻を迎えようとしていた学校を後にした俺は、一人、帰路についていた。


 その帰り道は言うまでもなく物寂しく鬱々としたもので、自分でも参ってしまうくらいに心は沈んでいた。


 彼女の抱えている問題は、俺ごときが関わったところで解決するほど単純なものではない。


 そもそも、彼女が演劇をあきらめると決断したのなら、むやみに口出しすること自体が彼女の足枷となってしまう可能性もあるのだろう。


 しかし、“本当にこれで終わってしまっていいのだろうか”という気持ちも、俺の中にはあった。


 たとえ一人でも、驕らず、努力を欠かさず、技術を高め続けた彼女が、周りの環境によってその行いを、積み重ねて来た結晶をあきらめてしまっていいのかと思ってしまう。


 そんな不条理があっていいのかと、そう思ってしまう。


 俺にできることがあるなら、どんなことだってやってあげたい。


 けれど、俺にできることなど存在するのだろうか。


 家族を思い、幼いころから抱えてきた彼女の闇を、最近知り合ったばかりの、どこぞの馬の骨とも知らない俺が、晴らしてあげることはできるのだろうか。


 可能性で言えば、それは限りなく低いだろう。




 問題は他にもある。


 それは、俺が彼女を助けようとしようがしまいが、全てを円満に解決する方法なんてそもそも存在しないのではないかということだ。


 仮に、俺が彼女を説得して、何とかその気にさせたとしよう。


 彼女を部活でも養成所でも、とにかく本格的に誰かと演技ができる場所に導いたとする。


 しかし、そうなれば彼女の母親はどう思うだろうか。


 今まで、演劇というものから無理やりにでも引き離して育てた娘がその道を選んだら、演劇というものに裏切られた経験のある彼女の母は何を思うのだろうか。


 相当に傷つき、不信を募らせるはずだ。


 そんな事、俺以上に彼女は分かっているはず。


 母親が傷つくと知った時点で、彼女がその方法を取ることはない。


 彼女は今までもずっとそうやって生きてきたのだ。


 自分の本心を隠し、縛り、犠牲にしてまで母を気遣ってきた。


 それを、ある日突然捻じ曲げるなんてできるはずがないだろう。




 ならば、これからも今まで通り、自分の本心を隠したまま影で細々と演技を続けていくのはどうだろう。


 彼女の母を思いやりたいという気持ちと、演劇をやりたいという想い。


 その両方を尊重してはどうだろうか。


 あぁ、違う。


 これでもダメだ。


 それでは結局、彼女のあの一言が消えないじゃないか。


 彼女の本心を孕んだ、“いいな”の一言が。




 自分がどうするべきなのか、それが分からず困ってしまう。


 終着点が決まっていればおのずとやるべきことは見えてくるが、それを知らなければ、どこに進んでいいのか分からずに迷ってしまう。


 何をしたっていいが、何になるかは分からない。


 自由であって、自由じゃない。


 それゆえに、慎重になってしまう。


 答えのない問いに、悩み、もがく。


 何かいい考えをひらめかないかと、ぼーっと住宅街の景観を眺めながら歩き、落ち着いて考えようとその場に立ち止まって熟考するも、結局何も思い浮かばず、夕日が消え入りそうな色が映えた、薄暗いアスファルトの上を歩きだす。


 そんな意味もない事を繰り返しながら進んでいると、突然、ポケットの中に入れてあったスマートフォンが震え出した。


 ビクリ、と一瞬驚いた後に、すぐさまポケットからそれを取り出して画面を確認する。


 ディスプレイには白い文字で“西野光汰”と表示されていた。


 その白い文字の下には緑色の電話のマークがあったため、これが西野からの着信であるのが分かった。


 すぐに着信に応答し、用件は何だと西野に言う。




「おぅ、隼人、元気か?」


「何だよ、突然」


「いや~あの後どうなったのかなと思って」




 西野は少し心配そうな声でそう聞いてくる。


 翌々考えてみれば、西野には事の顛末を報告することができていなかった。


 昼休みは時間ギリギリに教室に戻り、放課後も授業が終わった後真っ先に屋上に向かったので、西野と顔を合わせる時間がなかったのだ。


 こいつは俺と九条先輩との間での揉め事というか、何かしら良くない事が起こったと思われる場面に一緒に遭遇している。


 それを目の前で見ていたが故に、その後俺達がどうなったのかを気にかけて、こうして電話を掛けてくれたのだろう。


 西野の気遣いには、本当に頭が上がらなかった。




「おぅ、一応ちゃんと話すことはできた。ありがとな西野」




 あの時、西野が俺の背中を押してくれなかったら、俺は九条先輩のあの言葉をうやむやにしていたのかもしれない。


 それを思うと、少し怖くなる。


 西野があの場にいなかったら、こうやって悩むことはおろか、真実を知ることすらままならなかっただろう。




「そうか、まぁ、なんかあったら相談しろよ」




 西野のその言葉に、俺は心の芯の部分が熱くなった。


 西野は信用できる。


 もうこのまま洗いざらい全てをこいつに話して助言を求めたいくらいだった。


 けれど、さすがに彼女の家庭の事情を許可もなく他の誰かに話してしまうのはまずいので、なんとか押し黙り、自分の気持ちにブレーキをかける。




「あ~あと……」




 俺がそうやって黙り込んでいると、西野は少し気まずそうに言葉を伸ばした。


 俺が不思議に思っていると、西野は少し申し訳なさそうに、溜息交じりに言う。




「あと、後ろ見ろ」




 言われるがままに、俺は後ろに振り返った。


 そこには、西野がいた。




「……おまえ、いつからつけてた」


「校門出たあたりからだな」




 最悪だった。


 ということは何か。


 俺が立ち止まってうなだれたり、頭を抱えていたのも全部見られていたのだろうか。


 恥である。


 いや、これは西野が立派な犯罪者だろう。




「趣味悪いぞ」


「いや、声掛けようとしたんだけどな、お前すごい憂鬱そうな顔してたし、何かおかしな動きとかもしてたから……」


「うっ」


「というか、電話の時点で気づくだろ、普通」




 西野の言い分に反論することができずに、無言で西野の肩を小突いた。


 すると、西野は「悪かったよ」と言いながら笑って謝ったので、俺もそれで今回の件は不問にすることにした。


 確かに、そんな奇行を知り合いがしていては、声も掛けづらかろう。


 今回に限っては俺の方にも非があったのかもしれない。




「で、結局どうだったんだ? 仲直りできたのか? 九条先輩と」


「…………」


「失敗したのか」




 俺の微妙な反応に、西野が苦笑いをする。


 細かく言ってしまえば、仲違いなど初めからしていないのだが、彼女との関係を解消した今、西野が言っていることもあながち間違いではないのかもしれない。


 西野はそれ以上、何も聞いては来なかった。


 おそらく、こいつなりに気を遣ってくれていたのだろう。


 こういう風に場の空気をうまく読むのを俺は苦手としているので、何となく、西野がうらやましく思えた。


 やはり、こいつは人間関係においては俺より数段上手なのだろう。


 だったら、少しだけでもこいつを頼ってみるのも一つの手なのだろうか。


 実際の所、こういった時に西野が、他人がどう動くのかは気になっていた。


 俺とは違い、西野は友達や知り合いが多いので悩みや相談を受けるのも多いはず。


 そこで培った経験値は同世代の高校生たちと比べても桁違いなはずだろう。


 ならば、俺が知らないことでも、西野なら知っているという可能性は大きい。


 それに、俺が相談できる相手なんて西野しかいなかった。


 手を伸ばすなら、こいつしかいない。


 そんないわれもない確信を持ちながら、俺は真実をある程度濁して、西野に助けを求めた。




「なぁ、西野」


「ん?」


「お前にやりたいことがあったとする。けど、それを選んでしまえば何か大切なものを失ってしまう。逆に大切なものを選んでしまえば、やりたいことはできなくなる」


「何だよ、急に」


「もし、そんな状況に陥ったら、お前ならどうする?」




 聞くと、西野は怪訝な顔をした。


 しかし、俺がどうしても教えてほしいと頼み込むと、西野はうーんと悩むような唸り声をあげた後に、少し恥ずかしそうに俺のその問いに答えてくれた。




「事情にもよるけど、俺だったら自分のやりたいことやるな。だって、やりたいことやらなかったら後悔しそうだし」




 西野の答えは若者らしいというか、高校生らしいというか、とても前向きなものだった。


 そうだ、その通りだろう。


 自分がやりたいことはわがままを言ってでも挑戦したい。


 それが一般的な高校生が出す答えのはずだ。


 けれど、九条先輩は、彼女は違う。


 環境が、その生き方が、彼女をそうさせなかった。


 異常なまでに、彼女は自制が効いているのだ。


 未熟な、子供であるはずの高校生とは思えないぐらいに。


 彼女は全てに向き合っているのだ。


 みんなが幸せで、みんなが悲しい思いをしないように。


 それを追い求めた結果、自分の身を切り崩す羽目になっている。




「お前だったらどうするんだ?」




 西野が、不意にそう聞いてきた。


“俺だったらどうするか”


 そんな事、考えたこともなかった。


 俺にはやりたいことなんてない。


 いつも、どうやったら楽になれるかばかり考えて生きてきた。


 だから、西野のその問いに答えることもできなかった。




「…………悪い、分かんない」


「なんだよそれ」




 俺の返答に、西野は呆れたような笑い声をあげて、俺も西野と同じように笑った。


 本当にそうだと思った。


 西野の言う通り、本当に「なんだよそれ」だ。


 人には聞くのに自分は答えられない。


 自分の不甲斐なさを、俺は笑っていた。




「まぁ、そういう時はまず何をやりたいか考えるより、何ができるかを考えるべきなのかもなぁ、俺はそうはしないと思うけど」


「どういう意味だ?」


「簡単な話よ、何をやりたいかって言うよりは、今、その状況でできる範囲でやるってこと」


「それだと、思い切ったことはできないんじゃないか?」


「だな、そんな折衷案みたいなやり方じゃあんまり大きな成果は得られない。やりたいこともやって、大事なものも守りたい。そんな理想論、現実じゃ通用しない。何かを得れば、何かを失う。それが世界のルールってもんよ」


「……だよな」


「でも、やらないよりはマシだろ? ほんの少しだけでも前に進んだほうが、何か得した気分じゃん」


「……確かに、そうかもな」




 冷めたというか、冷静と言うか、意外と達観している西野の発言に俺は驚いていた。


 やはり、経験の差なのだろうか。


 俺と同じ時間を生きているはずなのに、西野は俺よりもよっぽど大人に感じられた。


 チラリと西野を盗み見る。


 どこにでもいる、アホ面の高校生がそこにはいた。


 人は見かけによらないのだろう。


 その事実を改めて実感することになる帰り道だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る