第28話

「お目覚めになられましたか?」



一人の男が微笑みながら、クリティアに声をかける。



「随分とお疲れのようでしたからね、しっかりとお休みを取って頂けて何よりです」



柔らかなベットからクリティアは上体を起こす。

目の前には、ゆったりとしたローブに身を包み、優しそうな笑みを湛えた男がいた。



「貴方は?司祭様……ですか?」

「これは失礼しました」



柔らかい物腰にクリティアはどこか安堵していた。

訳も分からず知らない場所で目が覚めたが、目の前には優しい笑みを称えた人がいる。


それだけで何故か心が落ち着くようだった。



「メリス教の敬謙なる信者でございます」

「まさか……」



ただ、その安堵はすぐに恐怖へと変わる。


メリス。

それは、邪神と呼ばれる存在。


クリティアは勿論、誰もが知っている有名なおとぎ話に登場する一神だ。


世界を構築した四神の内の一神であるメリスは、人類を滅ぼそうした存在だと語られている。


人間を滅ぼす為に自らの肉体より魔人を生み出し、人類を全滅の一歩手前まで追い込んだと語り継がれている。

そのおとぎ話では、英雄達が命と引き換えにメリスを封印したと締め括られている。


そんな神を信仰している教団がある事は聞いてはいたが、実際に目にするのは初めてだった。

人を滅ぼす神を信仰するなど、クリティアには到底理解できる物ではない。



「しかし、実に驚きました。とてもお優しいのですね。初めて会ったばかりの子供を信じ、お金を工面してあげるなど。色々と策を用意していたのですが、全てが無駄になってしまいました」



男は小さな袋を掲げてみせる。

それはクリティアがニトに渡したはずの金貨の入った小袋だった。



「何故……貴方が?」

「お気づきになりませんか?クリティア姫」



男の絶やすことの無い笑み。

ほんの少し前までは安心を与えていた笑みは、底知れない恐怖へと変わっていた。


その瞬間、クリティアは全力で部屋の唯一の出口である扉まで駆ける。


ここにいてはいけない。

本能的に感じた恐怖から出た行動であった。


ただ、扉は開かない。

当然というべきか、扉には外から鍵がかかっていた。



「……何が目的ですか?」



開かない扉を背に、クリティアはあたりを見回す。

部屋には逃げられそうな場所はおろか、窓の一つ存在しない。


ただ、簡素な部屋に相応しくない高級そうなベットが置いてあるだけだった。



「ご安心下さい。私どもは貴方を傷つける気などありません。ただ、一つ貴方がクリティア姫だと証明できる物を頂きたいのです。例えばその王族しか所持を許されない指輪など」

「だれが渡すものですか!」



クリティアは咄嗟に左手を隠す。

王族しか所持を許されない指輪を隠すように。



「お渡し頂けないと?」

「あたりまえです!」

「残念ですね」



司祭風の男は持っていた鈴を鳴らす。

その途端、クリティアの背後の扉がドンと鳴った。


クリティアは小さな悲鳴を上げ、慌てて扉から離れる。


鈍い音を響かせながら、ゆっくりと扉が開き、ゾロゾロと黒い布で顔を隠した男たちが入ってくる。



「ニト!」



その中に、轡をされたニトの姿があった。

ニトはクリティアを見るなり何か”んー!!”と言葉にならない声を発している。



「もう一度、聞きます。その指輪お渡し頂けませんか?」

「何を……する気ですか?」

「こうするのですよ」



司祭風の男が合図した途端、男たちはニトを掴み上げニトの両目にナイフを突き立てる。


ニトは声の限り絶叫する。

ただ、男たちは暴れるニトを無理やり床に押さえつけ、悶絶する事すら許さなかった。



「イヤーーー!!!」



クリティアは悲鳴を上げる。

目の前の惨状に、ただ叫ぶ事しか出来なかったのだ。


ただ、司祭風の男はそれを心地良い歌でも聴くかのように、微笑んでいた。



「言ったでしょう?私達は貴方を傷つけるつもりはないと。ですから別の手段を講じさせて頂いている訳です。我々はあくまで自主的に貴方にご協力頂きたいとお目覚めをお待ちしていたのですから」

「どうして!何故!!」

「もう、お答えしたと思いますよ?まずは心を落ち着かせては如何でしょうか?」



まるで子供をあやすかのように、司祭風の男は言う。



「貴方はまだご自分の立場を分かっていないようですね。困ったものです」



司祭風の男はそう言うと、再度男達に合図する。

すると、男たちは持ってきた斧を構え、地面に押さえつけられているニトの足に狙いを定めた。



「わかったわ!!わかったから、やめなさい!!」

「それが人に物をお願いする言葉遣いでしょうか?」

「やめて!!!やめなさい!!!」



クリティアが叫ぶ中、斧がニトの足へと振り下ろされる。


地面を叩く鈍い音が響く。

斧は正確にその目標を捉え、ニトの両足を完全に切り落としてた。


ニトは初めこそ声にならない声を上げていたが、しばらくすると体をピクピクと震わせ動かなくなった。



「なんてことを……」

「あ、言い忘れておりました。ここから逃げ出しても構いませんよ?見張りも鍵も解除しておきます。すべての選択はあなた次第です。貴方の行動の全ての責任はその少年が取ってくれますから」



膝を落とし泣き崩れるクリティア。

その目前に、ベチャと音を立ててニトの足が投げつけられた。


さっきまでニトを支えていた足。

それは、クリティアの心を折るのに十分な仕打ちであった。



「指輪は差し上げます。これでどうか……」

「おや、これはこれはありがとうございます」



クリティアは泣きながら、自らの指輪を外し差し出す。

それを司祭風の一礼して受け取る。



「しばらくしたら一筆書いて頂きたい書類もあります。後ほどお持ちしますので、これからも我々に協力してくださいね。そうすればこの子も含めて厚遇しますよ」



司祭風の男は微笑みながらクリティアに告げ、周りの男たちにニトの手当てをする様に命令する。


ニトの潰された目と足は、魔法で傷口が塞がれ清潔な包帯が巻かれる。

ただ、切られた足や潰された目は修復されず、死なない為の最低限の処置しかされていない。



「さて、他にも何か必要な物があれば気兼ねなく言ってくださいね。すべてご用意させて頂きますよ」

「……ありがとうございます」

「どういたしまして。では、ゆっくり寛いで下さいね」



クリティアとニトを残し、男達は全員部屋から出て行く。



「お願い……クレセントお兄様……助けて」



ニトと二人。

残された地下室で、クリティアは涙を流しながら祈る。

この世には存在しない相手に向かって。


それ以外に出来る事をクリティアは思いつかなかった。



-----------◆----------------------------------------------------



「追え!!」

「2人も殺られた。何が何でも探し出せ」



荒い息が収まらない。

それでも必死に音を立てないように呼吸をする。


苦しい。

気を抜けばそれだけで、気絶してしまいそうだ。


それでも、僕は懸命に息を殺し呼吸を整えた。


追手の足音も聞こえなくなった頃、やっと荒い息が収まってくれた。


人を一人抱えて逃げるのがこんなに難しいとは思わなかった。


人を背負えば重さや速度は勿論、体のバランスが著しく変わる。

剣もロクに振れなくなる。


通常の3分の1も動ければいい方だ。


そんな思いまでして僕が運んだのは、目の前で気絶している薄汚い男。

さっき僕を襲ってきた人物だ。



「知識はあるけど、実際にやるのは大違いだ」



改めて盗賊という職業の難しさを痛感する。

僕には向いていない。


それだけは確信できた。



「今はそんな事考えている場合じゃないか」



今は1秒だって惜しい。


僕は自分を叱咤し、剣を抜く。

目の前で気絶している男の頬を叩く為に。


そんなくだらない動作でも、抜き放たれた魔法の剣は白い残像を作っていた。



「……うっ」



冷たい剣に急かされるように、男は小さな声を上げた。

ぼんやりとした目で僕を見つめている。



「今日捉えられたクリティアという名前の女性がいるはずですが、何処にいるか教えてください」

「だれだ……お前?」



男は呆けた声を出し、僕を見つめていた。



「時間が無いんです。ふざけている暇は無いんですけど」



僕は呆けて開いた男の口に履いている靴を突っ込み、剣を素早く翻す。



「んー!!!!」



耳障りな声が響く。

僕の剣は、男の片耳を素早くそして確実に切り落としていた。



「もう一度聞きますクリティアという女性はどこにいますか」



靴を男の口から外し、再度尋ねる。



「言うわけな」

「そうですよね。無理ですよね」



やっぱりうまくいかない。

僕は叫ばれないように男の口に再び靴を突っ込む。


見よう見まねで盗賊の技能が習得出来れば、だれも苦労はしない。

小さなため息を吐き出し、僕は剣を握りしめる。



「……ふぁにを」



男の咽が上下し、唾を飲み込むのが分かる。


なるほど。

怯えている。

人は無意識にする動作ほど、心情を良く表しているんだ。



「話して貰えるまで、足先から少しづつ切り落とします」



「う、うふぉだろ?」



嘘だ、と言っているのかな?


まぁ、どっちでもいい。

僕が聞きたいのはそんなどうでもいい言葉ではないのだから。


僕は剣を振り上げる。

白い残像を作りながら。



「ふぁふぁった!っふぁふぁた!!」



分かった。といったのかな?



「叫んだら、先に喉を潰しますからね?」



男はコクリと頷く。

それを見て、僕は靴を男の口からゆっくりと抜く。




「地下だ。この町の中央にある建物。そこの地下に捕らえられている!なっ、もういいだろ?!」

「本当ですか?」



剣を振り上げたまま、僕は静止する。



「ああ、俺たちはただ警備を依頼されただけだ。情報の秘匿は依頼に入ってねぇ!だから黙っている義理もねぇし、嘘をつくメリットも理由もねぇ!」



男は必死に言葉を紡ぐ。


確かに説得力のある言葉だ。

剣の腕はもちろん、身のこなしなどはどちらかといえば盗賊寄りだった。


信頼できると思う。

これで聞きたい事は全部聞けた。



「わかりました。ありがとうございます」



僕は短く礼を言い、剣を振り上げ男の心臓に剣を突き立てる。


肉を貫く感触と命が急速に失われる感覚が剣を通して伝わってくる。

ほんの少しの間を開け、男は”どうして……”と呟き、絶命した。


今は目的を達成するために、最善を尽くす。


例え、恨まれようと、どんな犠牲をはらっても。


それに今この男を生かしたとして、リスクしか発生しない。

ならば今考えられる可能性は詰んでおく。


全てはクリティア姫を救うため。

そして、無事に帰りルーチェに心から謝る為に。


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