第25話

ゴッ!という鈍い音と共に後頭部に走る衝撃。

僕の足元には血の付いた大きな石が転がっている。



「油断した……」



僕はゆっくりと後頭部に手を当てる。


ぬちゃっとした感覚。

慌てて手を見れば、その僕の手は赤く染まっていた。


そんな僕の姿を見た兵士たちはひとしきり笑い、満足そうに去っていく。


僕がこの国。

アィールさんの故郷へ来て数週間の時が過ぎた。


その間、僕は庭園の真ん中にただ立つこと以外は何もしていない。


真面目にやっていれば、状況は改善し良い方向へ向かってく。

そう信じて行動したけれど、現実はそんなに甘くなかった。


初めはただ退屈と戦う僕を、他の兵士達は馬鹿にして笑う位だった。

だけど、その嘲笑は時間と共に変化し、いつしか罵声となった。


その罵声の内容から察するに、何もしていない僕が姫の近衛騎士として扱われるのが気にくわなかったんだろう。


それは理解できる。


いきなりふっと沸いた人間が姫の近衛隊に所属する。

懸命に努力してきた人からすれば、さぞかし腹の立つ事だろう。


恨まれる理由は十分にあると思う。


でも、僕にだって譲れない物がある。

他人から非難された程度の事で、姫の護衛を降りる訳にはいかない。


だから、僕は罵声を正面から受け止め、ただ背筋を伸ばし庭園の真ん中に立ち続けた。


それから暫く経った時だった。

罵声と共に、石が飛んできたのは。


誰がか投げた石。

それは、僕の額に当たり顔に一筋の赤い線を作った。


後は時間の問題だった。

石の数は日ごとに多くなり、僕はそれを避けながら任務をこなすようになった。


ただ、少しでも油断すればこうなってしまう。



「はぁ~……」



石の当たった後頭部がジンジンと痛む。

まだ、日は高く治療すら出来そうにない。


ここで、何か問題を起こせば恐らく僕はここにいられなくなる。

その為の挑発であり、嫌がらせなんだ。



「……アィールさん……僕に出来るのかな?」



僕の心に問いかける。

ただ、返事なんて無い。


空を見上げればそこには雲ひとつない青い空が広がっていた。





「なんでこんな大怪我してるんだよ!!」



ルーチェはカンカンに怒っている。

ただ、その手は僕の頭を優しく添えられ、暖かい魔法の光を放っている。


僕は任務を終え、部屋に戻っていた。

そこで、頭の怪我を自分で手当している所を見つかりこんな状況になっている。



「ただの見張りでこの怪我は有り得ないだろ!」



ルーチェは初歩的な魔法であればどんな物でも扱える。

回復魔法もその一つだ。

ただ、それは傷口を閉じる程度の威力しかない。


それでも、暖かい魔法は本当に僕を癒してくれる。

傷は勿論だけど、ルーチェの優しさが本当に胸に染み込んでくるようだった。



「聞いてるのか?!」

「えっ?」

「ただ見張りだけで、どうして後頭部にこんな大きな怪我をするんだって聞いてるんだよ!」

「あぁ……それは……」



母親の様に怒るルーチェに、隠しきれる訳が無かった。

後頭部から血を流して、なんでもない。と言っても通じる訳がない。



「石を投げられるんだ……」



僕は言った。

虐められている子供の様に、視線を床へと向けながら。



「はぁ!!誰にだよ!」

「兵士や騎士達から……」

「騎士の誰だよ!いいから言え!俺が直接文句を言ってやる!!」

「いや、無理だよ。いっぱいいすぎて覚えてないし……」

「はぁ!!なんだよそれ!!」



ルーチェは今にも飛び出していきそうな勢いで立ち上がる。



「ど、どうしたの?」

「そんなの兵士や騎士のやる事じゃねぇ!!全員俺が一発殴ってやる!」

「ちょっと!!」



僕は慌ててルーチェの腰にしがみついて宥める。

それでも、ルーチェは全然止まらなくて、ズルズルと引きずられる有様だったけど。



「ダ、ダメだよ!それをすると悪化するんだ!」



僕の叫びにルーチェの足がピタリと止まる。



「……どういう事だ?」



その隙に僕は駆け足で説明する。

奴隷上がりの僕が近衛隊に入り、それが兵士や騎士の反感を生んでいる事。

それは日に日に大きくなっている事。


僕が知り得た事の全てを早口で話した。



「確かにあいつら血筋とかそういうのに固執するからな……」

「でしょ!だから、今何を言っても無駄っていうか、問題が大きくなれば僕も追い出されそうで」

「それはフィスが困るよな……」



ルーチェの体から力が抜けていく。

憮然とした表情のままだったけど、一応納得はしてくれたみたいだ



「……理由は分かった。でも、こんな怪我ダメだ。いつかもっと大きな怪我をする。その時俺は絶対に黙ってないぞ」

「うん、だからもう2度と起こらないように王子に相談しようと思ってるんだ」

「本当だろうな?」

「うん!本当!」



ルーチェはジトッとした視線を僕に向ける。

咄嗟に出た嘘だけど、ここはその嘘を突き通すしかない。


僕はただ、必死に首を縦に振り続けていた。



「はぁ~。こっちに来いよ、まだ手当てが完全じゃない」



ルーチェは大きく息を吐き、ベットへと腰を下ろす。


そして、ポンポンと自身の膝を叩いていた。

僕に来いと言ってるんだ。


とりあえず、落ち着いたみたいだけど。

……それとはまた別の問題が発生した。


僕は思わず唾を飲んでしまった。

部屋着から覗く、ルーチェの艶やかな足。

それを見つめれば見つめるほど、動悸が激しくなる。



「じ、じゃあ、遠慮なく……」



僕は言われるがまま、ベットに横になる。

そうすれば、もうルーチェが騎士を殴りに行くことは無いはずだから。


ドキドキを隠し、自分でも分かる位に赤く染まった顔をルーチェの膝に乗せる。

すると怪我をした頭がポウっと暖かくなる。



「じっとしてろよ。あと、鼻息荒いぞ」

「ご、ごめん!」



ルーチェの膝。

それは、今までに経験したどんなベットよりも快適で気持ちのいい物だった。

少し冷たくて、丁度いい柔らかさで、なにより安心出来る。


……久しぶりだった。

こんなに安心できる場所で横になったのは。


すると、忘れていた疲れが目を覚ましたかのように僕に襲いかかってきた。

そして、僕の感じていたドキドキは次第に眠気へと変わっていく。



「ルーチェ……」

「ん?」

「ありが……」



僕はお礼の言葉を言い終える前に、こみ上げてきた疲れに負け意識を手放してしまった。

ルーチェの暖かい感触だけは頭に感じながら。



「礼なら……俺をフィスの一番にしてくれよ。でも、無理だよな。競うべき相手はもうこの世にはいないんだから……」



静かな寝息だけが響く部屋で、ルーチェの声がポツリと響き、そして消えていった。





「でな、そこで志願兵の奴らがな」



ルーチェは楽しそうに話す。

僕はその話に頷きながら食事を取っていた。


今日は任務が無い非番の日。

やりがいもない退屈な任務だけど、近衛隊のルールには沿って休みはくれるらしい。


だから、今日はゆっくりとルーチェと二人、食堂で食事を取っていた。

久々のゆっくりとした時間の流れだ。


ルーチェは僕が任務に当たっている間、何をしていたのか色々と話してくれていた。

その話は城内の事を知らない僕にとっても新鮮で、凄く興味を惹かれる物だった。


ただ、そんな繊細な時間を突然の衝撃が壊してしまう。



「あぁ、気が付かなかった」



それは騎士だった。

食事の乗せられたトレイを手に持った騎士。


たぶん、そのトレイが僕の後頭部をガンと叩いたんだと思う。



「……いえ、大丈夫です」

「そうか、悪かったな」



僕は頭を摩りながら答える。

ワザとだったのか、偶然だったのかわからないけど、ルーチェは表情を一変させ騎士を睨みつけていた。


ただ、向こうも謝ってくれたから、ルーチェもそれ以上は文句を言う気も無いらしい。

正直、ホッとする。


ルーチェは僕が怪我をしてから、兵士や騎士に対して敵対心を抱いている。

それも、なにかきっかけがあれば簡単に爆発しそうな位に。


だから、目の前の状況を見ると、痛みとか感じる暇すらない。

その感情がいつ爆発しても可笑しくないのだから。



「悪い。今度は手が滑った」



……冷たい。

今度は僕の頭から水が零れてくる。


騎士が小さな木樽に入った水を僕にワザとかけたのだ。

その水は僕の食事もビチャビチャに濡らしていた。



「あぁ、残さず食べろよ。臣民が命を削って収めてくれた食料だ」



騎士は侮蔑の篭った視線を僕に向け、立ち去る。

周りの人間からは、堪えきれない笑い声が溢れていた。



「……いい加減にしろよ!このグズ野郎!!」



そう声を上げたのは、ルーチェだった。



「なにが騎士だ!ただの陰険な奴らの集まりじゃないか!」



ルーチェは騎士に詰め寄り、大声を上げる。

その声に釣られるように、周りの人間も集まってくる。



「恥ずかしくないのかよ!こんな姑息な真似しか出来ない。正面から文句いう事も出来ない。男なら剣で挑む位の事してみろよ!なぁ!?そんな腰抜け揃いだから、この国は帝国に負けんるんだよ!!」



ルーチェが叫ぶように言葉を紡ぐ度、周りの雰囲気は険悪な物へと変わっていく。


言い過ぎだ。

内容が内容だけに、周りの人間も黙ってはいられないんだろう。



「お前、覚悟は出来てるんだろうな?」

「あぁ!やんのかよ?!」



そんな周りの様子すら気が付かない程、ルーチェも怒っている。

ただ、周りは”やれ!やれ!”と無責任な言葉を喚き散らし、二人を煽る。


僕は小さく息を吐く。

そして、二人の間に割って入る。



「……すいません。僕の連れが失礼な事を言いました。この通りです。許してください」



僕は騎士に向かって、ただ頭を下げていた。

周りからは嘲笑と罵声が溢れ、目の前の騎士は僕を「この腰抜け!」と大声で罵る。


それでも。

何を言われようと、僕はただ頭を下げ続けた。


……これでいい。


目的を見失ってはいけない。

僕はここで問題を起こさずに過ごすことが最優先なんだから。



「腰抜け人間などここにはいらん!さっさとここから出ていけ!この卑しい奴隷風情が!」



騎士は下げたままの僕の頭を叩き、去っていく。

僕はそれでも頭を下げ続けた。


周りの兵士や騎士も僕を挑発するように笑い罵るが、決して動かない僕をみて面白くなさそうに自席に戻っていく。



「流石に食べれないかな……ははっ……」



誰も周りにいなくなってから、僕はやっと頭を上げた。

目の前にはビチャビチャの食事。


僕はそれを苦笑いを浮かべながら片づけ始める。



「フィス!ちょっと来い!!」

「ちょっと!」

「いいから黙ってついて来い!俺の方が腸煮えくり返ってどうにかなりそうだ!」



グイグイと僕の腕を引っ張るルーチェ。

ルーチェの手は信じられない位、力が篭っていて凄く痛かった。





ルーチェに連れてこられた場所。

そこは剣の訓練所だった。


土で出来た地面に、壁に立てかけられた沢山の木剣。

そこでは大勢の人が剣を振り、数組の兵士達が模擬戦をしていた。


その光景は、どこか剣闘士時代を思い出す懐かしいものだった。



「勝負しろ」



ルーチェその訓練所に立てかけたあった木剣を僕に投げてよこす。



「俺が勝ったらフィスをここから連れ出す!いいな!」

「いいけど、僕が勝ったらどうするの?」

「2度とフィスの事に口を出さねぇ」

「……いいよ」



その木剣の具合を確かめる為に軽く振る。

刃は丸く削られているけど、本気で打ち込めば命を刈り取れる位の威力は出せる。



「言っておくけど、俺本気で行くからな!」

「うん」



ルーチェは周りに試合をする旨を宣言する。

すると、周りは僕らの為に場所を開け、訓練を中断し興味深そうに集まり始めた。



「いくぞ!」



ルーチェは大きく深呼吸し、叫ぶ。

僕も頷いてそれに応える。


それが合図となった。



「!」



ルーチェは僕の想像を遥かに超える速度で向かってくる。

たぶん、魔力で体を強化してるんだと思う。



「たぁっ!!」



ルーチェの気合の入った短い声。


その声と共に繰り出される本気の突き。

初動から最短距離で繰り出される予測を超えた最良の攻撃だ。


スピードが乗ったその突きは、当たり所が悪ければ、怪我じゃ済まない。



「っ!」



想定を遥かに超える速度の突き。


それを僕は避けきれずに左肩で受けてしまう。

痛みが電流の様に走り、左腕がだらりと下がる。


力を込めても動かない左腕。

それは僕に左腕が使い物にならなくなったことを教えてくれていた。



「本気なんだね」

「ああ!ここから引っ張ってでも連れ出す!」



そう叫んだルーチェの目からは涙が溢れていた。


ルーチェは僕の事を本気で心配して、なんとかしてくれようと思ってくれている。

それが、ひしひしと伝わってくる。


本当に感謝しかない。

こんな無茶苦茶な僕に着いてきてくれる……。


ただ、嬉しい。

絶対に守らなきゃいけない人だと改めて思う。


でも、それでも。

僕も負けるわけにはいかない。

勿論、ルーチェだって大切な存在だ。


でも、これだけは譲れないんだ。

アィールさんが命を賭けて僕に願った事だから。


僕はその願いを叶える為に生かされた。

生きている限り、もう無理だ。と思うまではそれを返す義務がある。


それも全部分かった上で、ルーチェは向かってきてくれる。

だから僕も全力で応える。


高ぶった気持ちを魔力に変え、全身に行き渡らせる。

ルーチェの本気に応える為に。



木剣のぶつかり合う音だけが訓練所に響く。

ただ、その音の間隔が時間と共に短くなる。


並みの剣闘士を遥かに凌ぐ速度で、ルーチェの素早い剣が連続して向かって来ているのだ。


それでもルーチェは満足しない。

剣を打ち込む度に、さらに剣速を上げ、一瞬の隙間すら作らずに連続攻撃を打ち込んでくる。


徹底的に効率化された剣の運びによって、初めて成せる業。

剣を振った力さえも次に繋げる、ゼノンさんの剣だ。


ゼノンさんの弟子であるルーチェはその技術を正確に受け継いでいた。


でも、その剣筋は僕に通じない。

ゼノンさんと何度も訓練し、その剣捌きや特徴の全てを記憶している。


だから、僕は右腕一本でルーチェの攻撃を正確に受け止め、いなしていた。



「おぉ~~!!」



そんな歓声が周りから上がる。


一撃ごとに剣速が増す、素早いルーチェの連続攻撃。

その全てを正確に受け止めいなす僕。


見てる分には面白いかもしれない。

ただ、剣を受ける僕はそんな余裕なんてない。


一度でも読み違えればやられるのは僕。

そんな戦いだ。



「はぁッ!!!」



僕は気合の声を上げ、気持ちを入れ替える。

油断をしていた自分の気持ちを捨て、本気で戦う合図だ。


初めはたったの一撃だった。


ルーチェの怒涛の連続攻撃を掻い潜っての反撃。


ただ、その反撃の回数は、時間の経過と共に増えていった。

徐々にルーチェの剣が僕に追い付かなくなってきたのだ。


それは僕の剣が劇的に早くなったんじゃない。


僕の剣はルーチェとは違う。

効率的な剣の捌きが出来る訳じゃない。


ただ、潰す。

ルーチェの長所を徹底的に潰しているだけだ。


効率的な剣捌きによる剣速増加がルーチェの強さなら

その効率的な剣捌きを徹底的に潰す。


時に想定以上の力で木剣を叩きつけ剣の軌道を変え、剣の振り初めに剣を合わせ勢いを殺す。


ただ、それだけの事でルーチェの剣速は格段に遅くなる。

その瞬間、僕は力技でほんの少しだけど剣速を上げ続ける。


たったそれだけ。


イカサマみたいな行為だけど、そんな簡単な事でさらにルーチェは焦り、余計に剣筋がブレる。

剣筋のブレは、剣速を落とす。負の連鎖だ。


それとは逆に、僕は徐々に剣速を増していく。


きっと、ルーチェは僕の剣が異常に早くなったと錯覚しているはずだ。


ルーチェの実戦経験の無さ。

それを僕は容赦なく突く。


焦りと剣筋のブレ。

それは段々とルーチェの攻撃は減らし

ついに僕の攻撃はルーチェの反撃をも許さない一方的な物となった。


それでもルーチェは必死に抗う。

僕に勝って僕をここから連れ出す為に。


ただ、それはもう最初に見せていたルーチェの剣捌きとは似て非なる物でしかなかった。



(ありがとう)



僕は心の中で呟く。

その直後、ルーチェの木剣がカラカラと音を立て地面へと転がった。


僕の木剣がルーチェの手首を叩いたのだ。



「……まいり……ました」



ルーチェは地面に膝まづき、絞り出すように言う。

僕もすぐに木剣を捨て、ルーチェの腕を気遣う。


いくら木剣で手加減したとはいえ、強化魔法を使った一撃だ。

何かあっても不思議じゃない。



「大丈夫?」



火照ったルーチェの背中に、僕はそっと手を置く。

熱を帯びたルーチェの体は小さく震えていた。



「やっぱりフィスは強いよ……勝てないよ……」



打たれた手首を押えながら、ルーチェは泣いていた。



「フィスは奴隷王だろ……最強の剣闘士だろ……どうしてその強さを見せつけてやらないんだよ……悔しいよ……あんなやつらフィスの足元にも及ばないのに……」

「ルーチェ……」



その姿を見て初めて僕は気が付いた。

僕だけではなく、ルーチェもまた傷ついていた事に。


思い出せば。

いや……思い出すもまでもない。


ルーチェは僕の事を本当に心配してくれて……怒ってくれて。

今もこうやって、僕の事を本気でどうにかしようと動いてくれている。


”感謝”なんて言葉じゃ足りない。

僕がアィールさんを殺して、自身を見失った時だって。


救ってくれたのはルーチェだ。


僕は間違っているのかもしれない。

僕が本当に取るべき行動は……



「凄いな!!」

「どうやったらあんな動きできるんだ!!」



突然、周りから割れんばかりの拍手が巻き起こる。


ワッと沢山の人が、僕とルーチェの周りに群がってくる。

その意外な光景に僕だけでなく、今まで泣いていたルーチェも顔を上げて驚いていた。



「アンタつええな!!流石、奴隷王って呼ばれてるだけあるな!」

「あんな戦い初めて見たよ!!なんていったらいいか分からんけど、凄いな!!」



興奮した様子で、沢山の人が次々と質問を投げかけてくる。

その目は輝いていて、侮蔑の視線など何処にも感じられない。



「えっと、みなさんは?」

「ここにいるのは、みんな志願兵なんだ。国を守りたいって集まってきた人たちだ」



ルーチェが目を擦りながら答えてくれた。

ああ、食堂で話していた人達だ。



「フィス。こいつらに剣を教えてやらないか?皆剣を学びたいのに誰も教えてくれないんだ」

「え?あ、うん。非番の時で良ければ……」



その僕の返事に、周りからは歓喜の声が上がる。

僕は握手を求められ、ドンドン人の輪が出来ていく。


その輪から外れたルーチェは沢山の人に頭を下げられていた。


その時、ふと思った。


もしかして、ルーチェは僕の居場所を作ろうとしてくれてたんじゃないかって。


それを聞いてもきっと”偶然だ”って否定する少女は、僕の視線に気が付くと、赤くした目で小さく笑みを返すだけだった。





「まずは基本の形を体に叩きこんでください。考えながら戦う事も重要ですが、考える前に体が動かないと話になりません」



僕は剣を教えている。

と言っても、全部アィールさんから奴隷時代に教わった事を繰り返してるだけだけど。


後は暇さえあれば模擬戦を求められ。

その全てに僕は勝利し、その時に気が付いた弱点とその克服方法について話し合う。


それが凄く評判を呼んでいるらしく、今では普通の兵士まで参加するようになっていた。

初めは僕を負かしてやろうと、意気込んできた兵士も今は普通に訓練している。


こないだなんて、”どうすれば戦いのときに怖気づかなくなりますか?”とか、心構えまで聞かれる様になった位だ。


そのおかげなのか、近衛隊の任務中に石が飛んでくる数も激減した。



「すまない。手合わせをお願いできないか?何かつかめそうで」

「あ、はい。いいですよ」



といっても、僕に威厳は無いみたい。

話しかけられる口調は友達に話すような気軽な物で、ちょっとしたことでも色々と聞かれ反論だってされる。



「ただ、剣を振るなよ!何を目的とするのか何のために剣を振るのか常に意識しろ!剣の軌道を揃え、次の攻撃を常に最短で振れるようにしろ!」

「はい!」



ただ、ルーチェに対してはみんな違った。

敬語で話すし、口答えなんて誰もしない。


ルーチェの方がよっぽど威厳があって、人気がある。


ワザとヘマをして怒られる兵士も出てきてるみたいだし。

まぁ、雰囲気は凄く良いし、みんな本気で強くなれる方法を模索してるからいいとは思うけど……。


ちょっと妬ける……よね。



「じゃあ、向こうでやりましょうか」



僕は空いている場所を見つけ、木剣を手に取り模擬戦の準備を始める。

その時だった。



「誰の許可を取って剣を教えてるんだ?!」



そんな良い雰囲気をぶち壊す集団が、訓練所に入ってきた。

白い鎧に揃いの剣。


騎士だ。

しかも5人位の部下を連れて。


その騎士の顔には、見覚えがある。

食堂で僕に嫌がらせをしてきた、あの騎士だ。



「解散しろ!弱い奴に剣を教わっても何にもならん!!」



訓練所に入るなり、その騎士は皆に解散するように告げる。

皆騎士の方を向いてはいるが、誰もその言葉には耳を貸さなかった。



「どうした?!さっさと解散しろ!!」



兵士たちが言う事を聞かない事に腹を立てたのか、怒気を孕んだ声で騎士はもう一度告げる

それでもその騎士に従う者は誰もいなかった。



「みんな真面目にやってるんだ。邪魔するなら出て行ってくれ!」



そう吠えたのはルーチェだった。

騎士の前に出て、正面から睨みつける。



「奴隷専用の売女は黙ってろ!」

「黙るか!弱い癖に陰湿な事ばっかしやがって!」

「なんだと?!」

「皆言ってるぞ?この国の優秀な騎士は、城の外で魔物を必死に討伐していて、今この国に残ってる近衛騎士以外の騎士は身分だけのただの使えない飾り物だって」



ルーチェの言葉に騎士は顔を赤くして怒る。

こないだも思ったけど、怒ったルーチェは結構厳しい事言う。


ただ、奴隷専用の売女って……

そのルーチェへの悪口を聞くだけで、胸の奥底から黒い何かが沸き上がる。



「お前……覚悟は出来てるんだろうな?」



騎士は腰に下げた剣に手をかける。

それは訓練用の剣じゃない。


本物の剣だ。

例え威嚇だとしてもやりすぎた。


僕は無意識の内に拳を握りしめ、騎士を睨めつけていた。



「はっ、お前ごときやられるくらいなら、街へ買い物すらいけないさ。そこいらにいる犬だって強敵さ」



小馬鹿にするようなルーチェの発言に、周りから笑いが起こる。

その笑いは大きな渦となり、訓練所を包んでいた。



「さ、無駄な時間を過ごしちまったな。訓練を再開するぞ!」



ルーチェの声に周りの兵士たちが従っていく。

もはや誰も騎士の命令など気にすら留めていなかった。




「……この売女ッ!!」



騎士はワナワナと震え、手にかけていた剣を抜く。

ブンという大きな音を立てた剣は、真っすぐにルーチェ振り下ろされていた。



「……あぶねぇな。真剣で不意打ちとはお前……随分とクズだな」



ルーチェはその一撃を難なく躱していた。

ただ、空を切った騎士の剣は地面を砕き、当たれば間違いなく怪我では済まない事を示していた。


その瞬間、周りの空気は一変した。

何人もの兵士が我先にとルーチェの前に立ち、殺気を纏った視線を騎士へ向ける。


僕も例外じゃない。

その光景を見た瞬間、胸の奥底から溢れていたドス黒い何かが弾けた。



「どけ志願兵風情が!!切り殺されたいの……」



ゴガン!

金属を叩く鈍く大きい音。


その音が響いたと同時に、騎士の体は宙を舞っていた。

暫く空中で弧を描いた後、ガシャンと大きな音を立てて地面に転がる。


地面に落ちた騎士の腕も首もだらんと垂れ下がり、指一つ動かさない。


ただ、木剣の刃。

丸く削られた訓練用の木剣の刃が騎士の鎧にめりこんでいた。



「……フィス?」



僕の握っていた木剣は柄の部分を残してポッキリと折れていた。


ルーチェに剣が振り下ろされた直後

……体が勝手に動いていた。


沸き上がる魔力で体を強化し、堅い地面を蹴り、手加減なしの一撃を僕は騎士に向かって放っていた。


その僕の一瞬の行動に、ルーチェも他の皆も呆気に取られていた。



「ルーチェに手を出すな……殺すぞ」



抑えきれない殺気を放ち、僕は騎士の部下に告げる。


もし、ルーチェに剣が少しでも触れていたら僕は間違いなく騎士を殺していた。

騎士の部下たちは、ゆっくりと後ずさりし、僕との距離を取ろうとする。



「早く出ていけ!!」

「は、はい!すぐに!」



僕の大声にビクッと体を揺らし、部下たちは慌てて騎士を運び出す。

その背中を僕はただずっと睨みつけていた。


周りの兵士達も、僕に異様な視線を向ける。

それは決して好意的な物ではない。


恐怖の様な感情が入り混じった嫌な視線だった。



「フィス、やっちまったな!」



そんな中、僕の背中に柔らかい感触がのしかかる。

ルーチェが僕の背中に飛びついたのだ。



「どうすんだ~?俺は知らねぇぞ~」



僕の背中で、楽しそうにルーチェは囁く。

その声は勿論、表情も仕草も全てが喜んでいるようだった。



「えっ?あっ……」



沸き上がっていた激情が一気に引いていく。

冷静になればなる程、自分のした事が重大さに気が付いてしまう。



「だーなー。知らねぇぞー?」

「……どうしよう」



頭を抱えて蹲りたい。

これじゃあ、何のために今まで我慢してきたのか分からないじゃないか。



「まぁ、遅かれ早かれこうなってただろ。それにみんな腹立ててたみたいだしな」



ルーチェが声をかけると、周りから同意の声が上がる。

ルーチェの態度が皆の視線をいつもと変わらない物へ戻してくれていた。



「でも、これじゃあ……」

「シシッ。そうだな!お前はダメな奴だなー」



気落ちする僕に向かって、笑いながらルーチェは言う。

その声はとっても嬉しそうでただただ上機嫌だった。

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