よいこのデザイン

もりさん

第1話 よいこのおえかき

 午後、うらうらとした気候の中、パソコンのキーを叩く音や、量をこなすコピー機の甲高い機械音などと同じように、会社の中ではただ単に私が怒鳴られているだけの、誰もが見慣れていて、口を出すこともないシーン。

別段だれも気に留めない相変わらずの風景。

入社してから、二日と空けずに同じ景色が繰り返されていて日常化しているのだ。


 パートを含めて従業員が五十人に満たない食品の卸売の会社で「あのさぁ…」から始まる部長の声で、身をすくめていた。


 そもそも、このチラシが何を言いたいかわからないというのが、部長の話だった。


「広告ってさぁ、うちの看板なわけだからさ、こんな感じで進めていいわけじゃないでしょ?舐めてんの?うちの会社。」「おい!こいつの上司だれだっけ?」


 部長は、課長を当て擦りながら呼びつける。たった五十人程しかいない会社だ。部長は私の上司が誰か、普通に知っている。


 課長は、一旦身を竦めて、おずおずと部長の前にやってきた。


 小さい会社だからこそ、そういったパワハラめいたことが許されていて、その従業員の中では、そんな嫌味な言い方も「部長のせい」ではなく、その「部長を怒らせた私のせい」で嫌味を聞かせられるんだ勘弁してよ…という反応でしかない。


「これ、許可したのお前?」


 刷り上がったチラシをとん、とん…と、二回ほど指差して、課長の顔を覗き込んで言う。


 私は、冷や汗をかきながら、俯き加減の横目で課長を盗み見ながら(課長ごめんなさいごめんなさいごめんなさい)と心の中で呟いていた。なにせ、一人しかいない広報宣伝室の上司だ、課長に慣れないチラシの仕事で迷惑をかけてしまった。

 私は、課長は、部長に対してすみませんと言うものだと思っていて、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 ところが、課長は、今知ったという顔で「は、はじめてみました…。なんですか?これは…」と言った。


 私は、一瞬課長が何を言っているかわからなくて、茫然と彼の顔を眺めたが、彼はそのまま私に向き直り「許可もしないのに、勝手にチラシ頼んじゃったの?」と目をわざと見開いて覗き込むように大声で言う。オーバーアクションなのが、いつもの気弱な課長とは違った雰囲気で怖かった。


 私は「は?」と疑問を挟もうとした瞬間に、課長は言葉を続けた「君には決裁権とかないじゃない?どうやって発注したの?」そう、課長は言った。


 ため息まじりに「困った新人を雇ってしまったみたいだねぇ…。」と部長は言う。「そんな社内での操作までできちゃうわけ?そんなとこは優秀なの?」と。


(いやいやいやいや…なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、)


(もしかして、課長に出した稟議書の他にも何か書類必要だったの?でも、これ総務の人、稟議書にハンコ押してあったら大丈夫だって教えてくれたし!え、どこに聞けばよかったの?課長、いいねこれって褒めてくれたし、見せてたし。稟議書にもハンコ押してくれたし…なに?なに?なに?なに?なに?なに?なに?なに?なに?なに?なに?なに?なに?なに?まだ手続きがどこかで必要だった?なに?なに?なに?なに?なに?なに?なに?なに?なに?なに?なに?なに?なに?誰に聞けばよかった?)


 と、頭が混乱して「え?あの…あの…」と言葉を繰り返すばっかりだった。


 部長は「お前さ…仕事できねぇのは知ってたけどさ、なにしてくれてんの?これ、給料から差っ引くよ?五万枚のチラシの印刷代と倉庫の利用費用。わかってんの?」と凄んだ。


 入社して三ヶ月目。

 初めての企画室ができて、新人として配属されたけど人員は私一人。

 一般顧客を扱う営業課の気の弱そうな課長がかけもちしている上司で、その下でチラシを作ってきた。


 今まで、自作のチラシをプリンターでたった百枚程プリントアウトして、週に一度ポスティングに行く。それが、主な業務。

 百枚以上プリントするなよ。というのが会社の方針だったけど、百五十枚くらいドキドキしながら、人の目を盗んで印刷して、それを抱えて近隣のポストに入れに行く。

 集合住宅の集合ポストに投函したら、あっという間になくなってしまうので、今週はこのエリア…と自分で決めて配っていた。


 そんな私の業務を見て、他の部署の人達は、会社で正々堂々とお絵かきできて羨ましいと通りすがりに揶揄されてきた。あまり何度も言われるので、自分でもお絵かき要員だと思っていて、だんだん営業のみんなに養ってもらってる気になってきていた。愛想笑いが板についてきた頃だった。


 同期は、みんな元気に営業に行って、利益を出しているのに…。


 そんな中、会社で販売促進のために、ちょっとしたイベントが催されて、久しぶりにチラシを印刷屋に頼むことになった。「私のデザインが五万枚印刷されて新聞とかに織り込まれる!」その日はスキップして帰宅した。


 デザインを作って、入稿して、浮かれていた矢先の話…大好きな刷り上がりの印刷のインクの匂いを肺にいっぱい思いっきり吸い込んで「これ間違いなく幸せになるドラッグが混入されたインクだわー、芸能人みたいに逮捕されないかしらん…やばい薬みたいに効くんですけど…」と、心の中で呟いたばかりの時だった。


「おい!お絵かき!」部長の声がした。


 私は、大江和希という名前だったけど、おおえわきという文字と語感が『おえかき』に似ていると、誰かが言い出して、呼び名が『おえかき』になった。


 参加したくない飲み会だったけど、歓迎会という名目だったので参加しないわけにはいかずに、すみっこで上長たちとは離れて座ってひっそりと飲んでいたはずなのに、大盛り上がりで命名式が行われて次の朝から『お絵かき』と呼ばれ始めたのだった。苦笑いだけど、あまり悪い気はしなかった。なぜなら私は、デザインすることが好きだったから、そんな呼ばれ方も名誉でしかなかったから。


 そして、今、なぜか私が単独で五万枚のチラシを勝手に印刷所に依頼して、納品されたことになっていて、説教されているという「イマココ」感満載の状態である…。


「お前がくばれ!折込代なんか出せんからな。五万枚お前が一人で配ってこい!」そういう結論で説教が終わった。


 五万枚を、一人で配るのかぁ…。私は首がもげそうな勢いでうなだれているに違いなかった。

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