第6話 悪キューピー

「奈々香さ、うちのカラダは大丈夫さー、もう心配要らないよ、なんも心配要らない。それにさ、このメンソールの煙草吸うじゃん? その後カカオ率高いチョコレートひとかけら食べてみー? チョコミントになんだよー。だからやめらんないじゃん?」

玉ちゃんは楽観的な素朴叙事詩の音色でくすくす笑いながらそう言った。

「玉ちゃん、玉ちゃん! それなら、最初からミント味のチョコ食べればいいんだよお。煙草吸う必要ないよう」

男装している分際で、男女の垣根のらしさとか忘れちゃってあた詩が甘えた声を出してそう身も蓋もありゃしなくつっ込んでも、玉ちゃんは堂々と山手線内でメンソールの細長い煙草らしきものをふかし始め、ミルクティー色の彼女のイデ/詩想/巻き髪、少し揺らし、

「うち、子供んときはさぁー、チョコボールとかいちごポッキーとか大好きだったんだよね。あと、ケーキね、奈々香がさっき詩人のおっさんと焼いてたああいう甘い夢、お菓子、ね。大人んなって大女優か有名なモデルになってお金もうけたら、十万円分いちごポッキーとかケーキとかチョコとかさ、大人買いして、仲間と食いまくるんだって想像してたりしたなあ」

って言って、自然に許されてわいてくる泉みたいに笑った玉ちゃんの、お世辞無しに綺麗な横顔をあたしは思い出した……。

 

 

……――体調が本気でやばいから山梨の実家にとりあえず帰るよん。バイトはぶっちする。またね☆――

って最期のメールをくれてから、玉ちゃんのスマホは解約されて連絡が付かないままだ。玉ちゃんがいつも飲んでた白い錠剤は、タイの病院から、違法で個人輸入してたダイエット薬だった、って、彼女が東京から去ってから、事務所の下っ端(したっぱ)威張(いば)りんぼう悪キューピー面(づら)の丸亀マネージャーが教えてくれた。その薬は、ほぼ覚せい剤みたいなもので、食欲が無くなるから確かに痩せるけれど、死んでしまったり中毒症状を起こして自殺してしまった人もたくさん出てる「死の薬」で、日本では許可されていない、すっごくリスキーなものだってことも悪キューピーマネ経由で知った。

おいおい知ってたんなら飲むの辞めさせるべきでしょ。もしも、もしもだけども、考えたくもないけども、玉ちゃんの命、体、精神に取り返しがつかない事があったら、痩せろ、痩せろっていう圧力とか、お前らは標準体型だから女優の卵のにすらなれない半端モンなんだよ、女としてもC級? ってか商品としてZ級なんだよ、せめて痩せるとか整形するとかは努力でなんとかなるんだからさぁ……っていう*************嗚呼***************…………



「労災とか、そういうんじゃないんですか?」

と、いつものようなぶりっ娘声じゃなくて、そう、男装をしている今みたいな時分の自分の低い一本調子の声で、悪キューピー丸亀マネージャーと資本社会をちょっと責め攻めするような口調であたしは言ってみた。

「は? いや、玉野さんは単に自己管理の失敗だからねえ」

と、呆れと怒気が混じったようなセンシティブさの欠片も感じられない声で、悪キューピー丸亀マネージャーはあたしの視線を避けて、テーブルの上にたまたま置いてあった、百円均一で大量にあたし達みたいに売られている銀色の平凡な灰皿を見ながらそう言った。

「いや、うちの事務所はイベコンの娘達にはさ、こういっちゃ悪いけど、そういうケアしない主義だからさ。他だってそんなにコンパニオンによくしないでしょーよ。女優さんとか、バラエティーで稼いでくれる稼ぎ頭のタレントになればいいだけだからねえ。だいたいさぁ、コンパニオンの子たちは、時給、すごくいいんだから、ねえ?」

 と、やっぱりまったくあたしという人間体のほうを見ないで、人相が更に悪くなったキューピー面(づら)を傲慢に誇示しながら、お前は空っぽの頭でつまんねえこと考えなくていいんだよ、そんなことよりとっととブログやインスタグラムでの営業や整形しろっつうの、つうか黙ってネイルだの、洋服だの枕営業先のことだけ考えて、可愛い女のふりしてろ、このC級、体ぐらい売る気概も無い才能もない芥(くず)。

いやぁ、まぁ、さすがに現実にはそこまで賜ってはいないけれども、なんでふか? そんな感じで彼は計算して流砂の中の不安をふんずけるのです。

あたしはダイエットやイベントコンパニオンのバイトで履き続けなきゃならない12cmの細い細い心もとない細いヒールのついたルブタンのハイヒールでくたくたに疲れきった足が、その死の流砂の中にもぐりこまないように、この砂漠の風景をぶち壊したくなって、それでも、なんにも思いつかなくって、気弱な媚びたみたいに見える顔だけは絶対しないぞと涙をこらえて、山手線がちょうど浜松町駅にもうすぐ着くなぁと車外が我がお国の浜辺のリーム/脚韻に浮つき始めた頃、昔玉ちゃんのすずらんの指に触れた時の杏の冠をとりもどし、事務所の机の下で自分の中指をこそっと、しかし精一杯立ててみた。

――ファッ句 ユー――

 それで、机の上の、百円均のアルミの安っちい灰皿で、キューピー丸亀の頭をぶち割るアリラシオン/頭韻を印刷機みたいに想像してみた。

そうしたら現実に丸亀キューピーのきれいに禿あがった頭がパカッと割れて、「うはぁ!ギャギャギャッ」と思ったけれど、彼のパッカ割れた禿頭からはオレンジジュースの血飛沫がプハッと勢いよく上がり、そのオレン血に流されて桃太郎みたいな小さな小さな体長15cmぐらいの赤ちゃんの全裸のキューピー丸亀数匹が勢いよく出てきて、

「おい、俺だって雇われてるんだよ。それからキューピーって呼ぶなよ。悪、はいいけど、キューピーは嫌なんだよ中途半端なD級男女」

とかん高い子でシャウトした。あたしは、

「うるせー、もうキューピーの人形買わないよっ!」

と意味不明な負け惜しみを言ったけど、丸亀マネを悪キューピーって影で読んでるのは、あたしや玉ちゃんたちの間の内緒のことだったので、小人キューピーマネ達は、

「は?」

と間抜けな声を出し、

「あっそう。まぁいいけど。時代はキューピーちゃんよりkittyちゃん系だしねえ。マライヤとかハリウッドスターもみんなもkittyちゃん好きでしょうが。芸能人になりたいなら、そこらへんのアンテナも大事なわけ」

と勝手に一人でご高説を賜り始めるつるぴか禿の悪キューピー小人集団。そんな性能の悪い蓄音機みたいな体長15cmぐらいのうぜーうぜー赤ちゃんの全裸のキューピー丸亀達は、さすがに山手線内の空気を読んでか、

「ケーキの薫り、消えちまったな……」

と、お前等に似合わないんだよう、そんなキザっちい物言い、といふ台詞を言い残し「ゲーテの絵本」に閉じ込められ、もう山手線は廻れない。


嗚呼、よかったと安心したらば、山手線映画が始まり、昔イベントに出演するため、イベコンの待合室で化粧直ししてる時、パフをつまんだ玉ちゃんの指を見るのが好きだったな、って心象が車窓のスクリーンに流れ始めた。玉ちゃんの折れそうに細くて白い指すずらんの花アートのメランコリックな絵画のアップから始まる長回しの映像……。


「いいなぁ、玉ちゃんの指……」

「ん?」

「細くって、綺麗な指。うっとりする。本気でみとれる」

「そう? こないだ、カメコ(コンパニオンの追っかけの盗撮カメラ小僧)には、枯れ枝みてぇって言われたよ」

「そんなことない。すっごく、すっごく、綺麗だよ玉ちゃんの指……」

 映画の中のあたしはそう言って、つり革を柔くつかんでる玉ちゃんの左手の中指に少し触れてみた。そしたら、なんだかやたら玉ちゃんの指は冷たくて、体温なんて持たない、石とか、ダイヤモンドみたいなすずらんのlylic。

「へへ、ありがと」

 いつもわりとクールだった玉ちゃんがはにかんでお礼を言ったのがちょっと意外に感じて。


(続きます…)

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