第2話 原宿の胡桃沢先生

っと。少々脱線しちゃいましたが。御話をコストリに戻しまして。て。

今回は、薄い革生地のショート丈のジャケットに細身のジーンズを基本装束として身にまとい、目深にかぶった青いニット帽、そして、そして、足元は新作のコンバースなわけで、身長百六十五センチの細身の美少年、風の、多分そういう人、できあがりな感じを目指す方向です。

あたし、ここ三年、雑誌で言ったら『AneCan』系のアプリコットティー色のロングのデジタルパーマ巻き髪な人だったんですが、黒髪に戻し、バングス(前髪)長めの、ウルフカット風ショートに、たくさんシャギーを入れてばっさカットしてから、なんだか男装がきまりやすくなって。本格的な男コスさん方は、男コス仕様メイクもきちんとする方も多いそうですが、あたしはまぁ、所詮、病人のコストリでありますので、そこまでは徹底してはおりません。

女の子用の普段のメイクをがっつりとってしまい、すっぴんにたえられるよう、ふき取りピーリング化粧水、保湿化粧水、美容液、乳液できちんとお肌を調え(これ大事! 仮想男らしさは、素ではなく、素っぽさが命だからです)、ただひとつ、眉毛だけはまぁそれなりに気を使ってお作りしてゆきます。こげ茶色のRMCのアイブロウペンシルで眉を書き足してゆくんですが、本来のあたしよりも、眉毛と目の間隔を狭くし、自分の元眉を生かしながらも、グイっと凛々しく上げてゆきます。太さは一定さを保ちます。徐々に細く、短く、なんていう地方の甲子園球児がよくやっているあれだけはいけません。本当にあれだけはいけません。

ちなみに、あたしの男コスバイブル眉は、V6岡田准一君眉ですね。男コスを始めたばかりのころ、街やネットや雑誌で世界中のイケメンズや宝塚の男役の眉を拝見しまくったのですが、太さ、長さ、上がりのカーブ具合、色艶、どれも岡田君こそが、あたしの中でパーフェクツだったんですもの。

そして、口元が赤々としていると、なぜだか女性的に見えてしまうので、本日、あたし、唇の血色がいいな~と思う日は、軽くファンデーションを唇に塗って、赤みを消すと、ぐっと男らしさがアップするのです。そして、ここからはあたしの個人的な事情による作業なんですが、頬っぺたが、かなり、ぷくっ、と、していまして、これが、ううんと唸る肉的な女性らしさ、なので、頬からあごにかけて、肌色よりも二トーンほど濃い色のファンデーションでシェーディーング(影入れ)をして、頬が引き締まっているように見せるのです。これをすると、男っぽくなるばかりか、顔が細く見える奇跡までやってきます。

あたしは、割と女の子顔だなぁと我が人生二十九年の中で自負してきたのですが、意外や意外、メンズ眉作りと頬のぷくっ消しと心持ちしだいで、きりり、とした、え? ジャニーズ? え? 宝塚の男役? なんていう、勘違いの可能性も存分に含みつつ、そんな男前顔になるもので。はっ、お顔、出来上がりです。

お次は、やっぱり、胸! 何といっても、男コスの肝「胸潰し」であります。治療のはじめの方は、Eカップ分の胸のふくらみ、ここは見えないふりをしていたのですが、だってホモサピエンスの宿命、ボディの性、こればかりは仕方のないことですかんね。無いところに盛ることは容易くともとも、有るところを無いことにすること、これっていうのは、もう殆ど不可能なこと甚だしく。

ただしかし、男コス上級者になるにつれ、やはりシルエットが気になりだし、何より、この胸の膨らみにより、男として不自然なのが自分自身、許せなくなり、あぁ、もう、男コスをしている自分にのれないよ、全然男コスじゃないじゃん、あたし、ただのボーイッシュな女の人じゃん、ダメじゃん、あたしはやっぱりダメじゃんという巷でも平凡な鬱思考状況になってしまい。人生の半分ぐらいの獲得物を、この胸の膨らみで稼いできたダメ方向への斜めながんばり屋さんであったあたしではありますが、この胸が! この胸が! この胸があるから、あたし、病気のままなんじゃん? 病原菌みたいなもんだよ、このおっぱい、と我がバストに呪詛をぶつけるようにまでなってしまい、これでは治療に支障が出てくると思い、思い切ってある時、胡桃沢先生に相談したところ、

「うん、それはねっ、誰もが通る道だから思いつめないで大丈夫だよっ。なべシャツがあるよっ。なべシャツッ。奈々香さん、あなたはこれは保険利かないけどねっ」

と、ハスキーヴォイス&語尾を江戸っ子風に上げ上げ気味で小気味よくきる独特の話し方で、ちょっと内股気味で椅子に座ってらっしゃる先生は、真正面からあたしの目を見て、なべシャツの存在を教えてくださいました。思い返してみると、この時の先生のくるりんくるりんとカールのかかった前髪越しの目は、なぜか、ちょっぴりだけ、いつものカウンセリング時よりも、きらりんこしていたような気さえします。

「先生、なべシャツ……とは、それは??」

興味津々、のあたしは、身を乗り出して、先生に問いました。

「あのね奈々香さん、男装する患者さんがたは、腰痛用のコルセットやらねっ、さらしやら、ガムテープでのテーピングやらで胸を潰してきたのっ。でも、先生は、これはお勧めしないなっ。体型が崩れやすくなってしまうしっ、肌なんかにも負担が大きいからねっ」

「へえー。あ、ガムテは、確かにはがすとき、いたそ、ですね?」

「そうだねっ。なべシャツっていうのは、本来、性同一性障害の方のために開発されたねっ、胸をなるべく負担なく潰すための医療用のアンダーウエアーなのっ」

 先生は、語尾が跳ねるとき、きゅんきゅん、と何度も小さく御自身の首を振りながら、そう仰ります。そして、おもむろに席をふっと立ち、あたしの座っている椅子間際を横切って、診察室の壁際の純白の戸棚のほうへ、さくさくと歩んでゆかれます。その先生の動作と一緒に、妖しいような、ほっとするような、甘すぎないムスクの香り、それが、ふわぁり、先生のボディと一緒にあたしのそばを横切ってゆきました。先生の、その、香りに、あたし、ちょっと臭覚と心で先生のその存在性をちゃんと確認していたら、

「奈々香さんっ、これっ」

先生がなんとなく張り切った様子で、戸棚から出した肌色のなべシャツを広げて、あたしに見せてくださいました。小さなストッキングのような感のそれは、先生が広げると、びよよ~~ん、と想像以上に伸び伸びし、あたしをファンタジックに驚かせました。広げた形は、ブラ初体験時の小六ぐらいのときにつけた記憶がある、スポーツブラのような形状のものなのですが、ただし、スポブラより、伸縮性がかなりあり、メッシュ状で通気性も、しごくよくなっておるのが触れずともはっきりと分るお品物でした。

「あ、先生、なんだか、ぱない(半端じゃない)ですね!! って言うか、ギザぱない(超はんぱない)っすねっ!!」

あたしは、興奮して、仲間内用語というか、厳密にはあたしには現在お友達はあっち側には一人もいないので、正確には、独り言用語ですね、しかも超絶時代遅れ用語です、これを先生に向かって使ってしまいました。公共性の欠如です。なのに、胡桃沢先生は、

「いいんだよっ」

って感じで、これは先生、仰っていませんで、あたしの想像ですが、まぁ、でも、そんな感じで、優しく確信のあるお顔で、うんうんうんうん、頷いてくださいました。

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