四章 - 最後にはあるべきところに収まる8
「どんな状況でもアートをつくれること、どんな困難があってもアートに変えられるのってアーティストの特権だよね。最後の作品、もうちょっとがんばってみたらどう?」
志穂は赤く文字の描かれた作品の前に立つ。自分で作品を捨てた時にはもうどうでもいいと思っていたのに、こうして誰かにないがしろにされるのは嫌だと感じるのか。志穂は自分の感情を不思議に思っていた。もともと、作品だって終わったら捨てて帰る予定だったのに。
赤い色に触れると指先に紙の固さを感じる。自由に触って遊んでいいですよ、という作品だったはずなのに、本当に自由にされたら受け入れられないのか、自分は。怒りよりももっと空虚な、無感動さが志穂の中に張り付いて取れない。
紙を引っ張ると、作品全体が大きく揺れた。さらに力を入れて引っ張ると、作品が抵抗するように重くしなる。志穂は赤くなった紙を右手に握りしめて作品を引きちぎった。作品を吊っていたテグスが切れ、紙がちぎれて作品が落下しそうになり、抵抗して中途半端に宙に浮く。志穂はそのまま、両手を使って作品を地面に引きずり下した。
落ちた作品を志穂は両手でさらにちぎった。紙の千切れる音が心地よい気がして、作品を夢中で細かくした。ちぎってちぎってちぎって、大きな塊を見つけると喜びさえ覚えるほど、没頭しながら紙をちぎった。
「あの、志穂さん」
気がつくとスタッフが三人、志穂の後ろに立っていた。
「こんなことになってしまって、本当に残念ですよね。展覧会は日程を調整して、後日にするか、改めて来年の予定に組み込めるかと話しています。まだ、詳しい日程は決まっていないですが」
「予定通り、明日やりたいです」
「えっ、このままですか?」
「はい。新しく作り直すので、今日。壁だけ白く塗り直すのを手伝って欲しいです。あとは、これを文字が分からないくらい細かくちぎって、積み上げて作品にします」
英語の分かるスタッフは他の二人に通訳し、三人は少し話し合う。
「分かりました。タイトルやコンセプトとかの変更は大丈夫でしょうか」
「サイズだけ変わりますけど、コンセプトもステートメントもそのままで大丈夫です」
「はい、では私は事務局に連絡して、そのように手配します。ほかの二人が壁を塗るのを手伝いますので」
「はい、お願いします!」
「がんばりましょう!」
志穂は巨大だった紙作品を、紙のサイズが指先ほどになるほど細かくちぎりつづけた。壁を塗り終わったスタッフが、手伝いを申し出てくれたが、紙は自分でやりたいと言って断る。見渡すと、壁は前以上に白く美しくなっていた。
「明日までには乾くと思います。明日のオープニングは予定通り午後四時で大丈夫でしょうか」
「はい、大丈夫です。あとは私が自分でやれるので、ありがとうございました」
「大変でしたね。でも、明日のオープニング、私たちも楽しみにしてますから。ほかに何かできることがあれば、遠慮なくおっしゃってください!」
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