ミニチュア

夢美瑠瑠

ミニチュア

   掌編小説・『ミニチュア』



     1  A scholar of philosophy


  フラクタル理論というのは、ある一定のビジュアルのパターンが入れ子の虎のように、


どんどん無限に極小の領域まで再現されていく、そういうイメージだが、


こういうことが、例えば抽象的な観念において、アナロジーされると、


一体どういうイメージになるのだろうか・・・


哲学者の、結城志麻子は、ふとそういう観念に捉われた。


(志麻子は、いわゆる天才児で、アイキューが250あって、メンサ会員だった。


このアイキューはホーキング博士に匹敵する。)


微分という数学的な概念があるが、微分の微分も勿論可能なはずである。


別の座標軸において微分した数式が常に同じ軌跡を描いていく、


そういう数式が存在して?


座標軸の定義だけがミニチュアになっていくというような発想である。


「定義がミニチュアになっていく?」とはどういうことだろう?


そこで志麻子の思考は袋小路に入ってしまった。


「数学の勉強が足りないわね」


ひとりごちた。


 数学的に哲学するのが、もっとも本来的な方法ではないのか、


よくそういう疑問に襲われることがある。


数学的な公式や概念は全て、共通に万人に通用するもので、


恣意的な偏見とかが入り込む余地はない。


いうなれば、宇宙全体に通用するある思考体系が厳として存在している。


アリストテレスが偉大でも、その哲理は現代では的外れである。


個人のパーソナリティーや時代背景などのもろもろの条件の函数としての、


哲学は、いくら考え抜かれていても、しょせん、


寧ろ個人という限界のある存在の幻想?で、


定義しにくいバイアスで歪められた偏見や謬見をを助長するだけのもので、


一般的なイメージのように


時代や社会を超えて普遍的な高みに存在するものではありえず、


随分現実には下世話な感じもあって、


それだったら般若心経でも唱えていたほうが話が早いし


害がないという気もするのだ・・・


そういうことをメモを取ってから、


志麻子はダージリンの紅茶を淹れた。


    2 fairy tale


志麻子の専攻は理論哲学史で、これは哲学全般について


巨視的な視点から総合的に解釈と位置づけをなして、


全ての哲学史上の思想家とその哲学、思想が、歴史的な文脈と


思潮の流れにおいて、どういう風な相互作用や


有機的な絡まり合い方、影響、発展を生起させてきたか、


そういうことの明瞭なイメージを探求、総括して、


それ自体が一個の哲学となる、


「哲学というものについての俯瞰的、普遍的な大物語」を提示するのが


最終目的である。


容易な作業ではないし、哲学一般について、そうしてあらゆる個々の哲学についての


深い造詣と博覧強記が必要とされる。


サルトルが専攻で、サルトルだけを読んでいれば事足りる、と、そういう


場合とはかなり趣が異なる。


志麻子はもう何千冊という哲学書を熟読し、読破してきたが、


まだ学業は道半ばである。


しかし既に、非常に野心的で気宇壮大なユニークな思考実験で,


研究が完成した暁には、内外から非常に高い評価を受けるのではないか、


そういう定評をなされていた。


この哲学史の研究全体を共通の数学的な思想的モデルで構想すれば・・・


という発想を得て、ノートを取った日の夜、


その日は東洋哲学、宗教との絡みで非常に重要なエポックである、


釈迦とその仏教についてのノートを作っていたのだが、


連日のハードワークと、睡眠不足で、


志麻子はキーボードを叩きかけた格好のまま、パソコンに突っ伏して、


爆睡してしまった。


「チュンチュン、チュン」、「チュン、チュルルルルルル」


・・・小鳥の声で目覚めて、


気が付くと、よく晴れた五月の日の朝が訪れていた。


昨夜作りかけたノートを調べる。カーストというインドの階級制度の


特殊事情についての補遺を書きかけていた。


「あら?全部完成している。これはどういうことかしら?」


志麻子は怪訝な顔つきになった。確か、カーストはバラモンを頂点とするので、


釈迦の思想にも一種のエリート意識が・・・云々という考察を書いていて、


その辺で眠ってしまったのだが、


そのあとの、議論の展開、インド文明にはそういう精神性重視の特異な傾向があって、


宗教とかそういう人生哲学が最も枢要な社会の要素、そういう文明ゆえの事情が、


 仏教の、俗世間と一線を画するような一種の超越的


優越的な表現へとつながってくのではないか。


そういう結論にまですっかりノートは出来上がっていた。


「これは・・・何かしら?誰が書いたの?夢遊病になって夢うつつで書いたのかな?


まさかね」


ミステリーねえ、だけど得しちゃった、その日はあまり気に留めずにそれで済んだ。


大体が疲れていて、思い違いをすることはしょっちゅうなのだ。


だが、奇妙な現象はそれからも続いた。


執筆の途中で眠ってしまうと、必ずと言っていいほど書きかけの原稿がすっかり


完成しているのだ。


偶然というよりも、何らかのはっきりした事件が起きている。


ある時は、明日以降に作ろうと思っていて、文献も読んでいない事項についての


ノートがすっかり出来上がっていたりした。


「なんだろう?」と志麻子は気味が悪くなって、真剣に考えだした。


眠っているうちに・・・すっかり仕事をしてくれる誰かがいて・・・


何か思い当たるものがある。なんだったっけ・・・


「あっ!」


靴屋さんの小人だ!


そんな童話があったのを思い出した。眠っている間に仕事を済ませてくれる小人。


人間のミニチュアの親切。


志麻子は常々、時間と人手が足りないと感じていた。


学生アルバイトなんかには任せられる仕事でないし


自分の分身が十人くらい必要だ、と思っていたのだ。


この分では研究が完成した時にはおばあさんになっているかもしれない・・・


そう悲観すらしていたのだ。そういう境遇に同情した、


神様だか、宇宙人だか、そういう超越的な存在が、童話にあるような、


働いてくれる小人、を寄越してくれたのかもしれない。


「これは感謝しなきゃね?」と志麻子は見えない小人たちの存在に敬意を捧げた。


小人たちというのはもしかしたら志麻子そっくりの志麻子のミニチュアで、


その子たちがあーでもないこーでもないと話し合いながら


毎晩作業を進めているのかもしれなかった。


・・・そういう、不思議な現象が続いていたある夜のこと、


小人たちが夢に現れた。全部で9人いた。


予想にたがわず、小人たちは志麻子そっくりで、尚且つ志麻子を


ミニチュア模型にしたような、可愛らしい姿をしていた。


「こんばんわ、志麻子さん、研究いつもご苦労様です。


私たちも精いっぱいお手伝いします。


私たちは全知全能の宇宙の帝王のお使いなのです。あなたの研究があまりに


素晴らしいので、お手伝いしろと命じられました。あなたと同じ能力を備えていて、


もっと効率よくやってのける妖精みたいなものですね。お役に立てれば幸いです」


小人はにっこりと微笑んだ。


「まあ、なんてすばらしい話。神様なんていないかと思っていたけど、


やっぱり神様みたいな存在っているんですね。


宇宙は広いんだもの。それくらい当たり前かも・・・」


「志麻子さんはいつも勉強ばかりしていて、


フラストレーションたまってませんか?」


「私たちと楽しいことしませんか?」


「ええっ?そんな話なの?」


小人たちの目つきが淫靡になり、一人が志麻子に飛びついて押し倒した。


わらわらと志麻子の分身が群がってきて、志麻子をすっかり裸にしてしまう。


あとはもう酒池肉林みたいな描写禁止の光景が展開するのだった・・・


・・・ ・・・ ・・・


・・・小人のおかげで研究は飛躍的にはかどるようになり、


半年後には完成した。


「人類史における哲学的エートスの晶結についての普遍的かつ四次元的なモデルの提唱


についての一考察」


というタイトルで、尚古から未来永劫までに通底する人類文明に共通の


、重要な哲学的用語、批評的用語、


それらを一貫した数学的な方法論のもとに整理して詳細に定義したうえで、


厖大な用語集の目録として最初に提示し、本文ではそれらを華麗自在、光彩陸離たる論理と


文章の中で駆使して、輝かしい知の体系の、不滅で普遍妥当なモデルというものを


心憎いほど鮮やかに描き出していた・・・


すぐに出版されて、万人が感嘆して、ベストセラーとなり、


「知の最終兵器」、「もう哲学はいらない」などと評されたりした。


これは、学術論文としては異例の芥川賞受賞作となった。


あまりにも優れていて、何らかの表彰をしなくては、そういう機運が高まったのだ。


そうして、この論文のために特設された、その年のノーベル哲学賞も受賞した。


志麻子は新進気鋭の哲学研究者として脚光を浴び、名誉と歓喜に包まれる存在となった。


・・・そうしてこれらはすべて見えない小人のおかげなのである。



<終>

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