このクラスには吉川が二人いる
ぼさつやま りばお
第1話
聞いてくれ。大変な事になってる。
ビックリ驚き青天のへきれき。
ちょっぴり難しい言葉を使いたくなるほど、今の俺は驚いてるってことだ。
「ほらー席着け席。チャイムなってんだから」
気怠く声を上げながら教室に入る一時間目英語の教師奥村。
その一言で生徒達は椅子を喧しく引きずって自身の机に座って行く。
俺はそれどころじゃなくて、ずっと席に座っていた訳だが……。
あっ。
今、目が合った。
よりによってあの『吉川』とだ。
背筋に悪寒が走る。もし、それがそうなら俺は絶望の底へ真っ逆さまだ。
本当に、本当にどっちなんだ。
「んじゃ、34ページを岡島ー」
執行猶予は放課後まで、俺はそれまでに苦渋の決断をしなければならない。
「おい、岡島。ボケっとすんな」
「は、はい!」
リッピーアフタミー。ってそれどころじゃない。
俺は、何度もこの手紙をリッピーアフタミーしている。
「えっと……あー……何処でしたっけ」
「34ページだよ。人の話聞け」
「すみません……」
くすくすと。クラスメイトたちの失笑が聞こえ、その中に混じって可愛らしく『吉川』も笑っている。
ああ、こっちの可愛らしく笑う『吉川』ならばどれだけいい事か。
そんな俺は……今日、吉川からラブレターを貰った訳だ。
◇
【話があります。放課後、校門の前で待っています。古川】
そんな言葉を添えられ、熱いラブレターを発見したのは俺が登校して、寝ぼけ眼を擦りながら靴を履き替えようとしていた時だった。
今時ベタにも靴箱に入れる乙女が居た事にも驚いたが、名前を見ても驚いた。
人間、都合が良い事ばかりを想像してしまいがちで、その手紙を呼んだ直後、心の底から俺は舞い上がっていたのだが、直ぐに考えを改めることにした。
何を隠そう、俺のクラスには吉川と言う女子が二人いる。
一人は、美人で成績もよく、クラスメイト達からも慕われる吉川。
そして、もう一人は学校のビック・ボスと言われる吉川だ。
容姿の想像はお任せする。だが、もう一人の吉川についてはビック・ボスと呼ばれている時点で察して欲しい。
クラス……。いや、学年の……それも違う。
学校の女子達のドンとされ、数々の女子から、持ち前の面倒見の良さで慕われる一方、男子からは恐れられているビック・ボス。
別の通り名をカーチャンと言う、とんでもない傑物だ。
彼女に嫌われれば学校中の女子達の敵に回る。
そう、実しやかに囁かれ、教師さえも彼女の存在に一目置いていると言う噂まである。
と、詳しい解説はさておき……。
問題はこの手紙の主はビック・ボス吉川か、美人の吉川か、だ。
「彼女は、何々、かも知れない。このように憶測される場合はmayを使う」
「……………」
俺は授業そっちのけで、様々な考えを巡らせることにした。
まず、美人の吉川。
彼女に恋心を抱く男子は、少なくない。
容姿良く、裏表のない性格で偏見無く様々な男子や女子と分け隔てなく会話を繰り広げることができ、数々の勘違い男子を魅了してきたいわば魔性の女……。
彼女へ告白玉砕した男子は数知れない。
ならば……なぜ、俺に?
疑問はそこに落ち着いた。
俺にはこれと言って特出した部分も無い。
野球で四番な訳でも、バスケでブザービートを収める訳でも、サッカーでハットトリックを決める訳でもない。美術部の陰で繁茂する様なもやしの俺に……?
たまに彼女と話す事はあっても、分け隔てなく優しさを振り撒くマザーテレサのような彼女は、俺と話してくれるのも彼女持ち前の優しさ故ではなかろうか。
時折、勘違いしそうになる程聖母のような彼女に、俺だけは勘違いするまいと頑なに浮足立ちそうな心を鎖で何重にも縛り上げ、おまけに水中深くにイカリを鎮めるが如く、動かぬ心は山のごとしを突き通してきた。
そんな事をモンモンと何十もグルグルと回って自問自答している内に、チャイムが鳴る。非常に疲れた。心労で疲れた……。
何か甘いものでも摂取しなければと、号令が終わると同時に、俺は学校の食堂に有る自販機へ向かった。
……やはりダメだ。どう見積もっても吉川が俺の事を好きになる理由がない。
そうなると、彼女の背後より影を色濃くして来るのがビック・ボス吉川だ。
邪悪な顔で微笑み、女豹のような目で俺を誘惑するビック・ボス吉川を想像すると、血の気がグングンと下がって行く。保健室に言った方が賢明かもしれない。
「……あ」
「あ、岡島君」
何と言う事だろう。俺が自販機に向かってどのジュースが一番甘く、糖分によって脳の働きが活発化するかを熟考していると、誰もいない食堂に現れたのは吉川だった。
念を押しておくとビック・ボスの方ではない。
「吉川さんも何か飲み物?」
「うん、少し喉が渇いちゃってね」
一時間目が終わり、間の15分休憩で、わざわざ別校舎に位置する食堂の自販機を求めてくる者は少ない。
というかほぼほぼ居ない。
なぜ俺が此処に来たかと言うのは、お汁粉は此処でしか買えないのである。如何に効率よく糖分を摂取できるかと考えれば、レパートリーの多い食堂自販機になってくるのだ。
「ここが一番飲み物の品数が多いからね、わざわざ来ちゃった」
「ハ、ハハハ。奇遇だね、俺もだよ」
吉川はそう言うと、迷うことなく自販機の柑橘系ジュースに手を伸ばした。
少し待って欲しい。
ここで俺の名推理が入る。
吉川は、品数が多いと言った矢先、迷わずにクラス校舎の一階でも買えるジュースを選んだ。という事は俺を追いかけてきたに違いない。
なんという事だ。ならばあの手紙の差出人は……。
「岡島君? 買わないの?」
「あ、ああ……」
一旦考えを中断され、俺はあたふたとブラックコーヒーを押す。
「へぇ。岡島君コーヒー飲めるの?」
「ま、まあね。いつもこれかな」
嘘である。大嘘である。これでは全くもって糖分が摂取できないではないか。
ただ背伸びしてかっこつけたいが為に一番欲しているはずの糖分を除外した自身の浅はかさに落胆しながらも、苦みに耐えながらコーヒーを流し込む。
「あ、そういえばさ」
――――来た!
俺は一気呵成に苦みったらしいコーヒーを飲み干し、ゴミ箱へと空き缶を捨てると吉川の次の言葉に身構える。わかっているよ。あの話だね吉川さん!
「次の授業数学だったね。私微分積分って少し苦手でさ」
「……あー。わかるー」
相槌と共に、俺の魂は抜けかけた。
「だよね! もう先生が言ってる事チンプンカンだよ」
「でも、どうせテストは90点以上でしょー」
「勉強頑張らなきゃ。大変だよもう……あ、5分前だ。行こう?」
「そだねー。いこかー」
……後味の苦みに、後で水でも2ガロンくらい飲んでやろうと思った。
◇
ああでもない。こうでもない。そうでもない。
何回同じ考えを堂々巡りしただろうか。一つ言えることは、間違いないく昼休みまでの授業は一ミリも脳に入ってないと言う事だ。
恐らく放課後までの授業も頭には1個も入ってこないだろう。
頭が重いし気が重い。
光が在れば影が有るように、吉川が居れば後ろに吉川が入る。
どうやら頭を使い過ぎた様でくだらない結論が出てきた俺は、昼食を共に取ろうと誘い出る親友たちを遮るように、図書室へ来ていた。
食事も喉を通る気配が居ないし、静かで落ち着けるところに行きたかったのだ。 恐らく昼食を終えるまで他の生徒が図書室へ訪れることは無いだろう。
「……はぁ~」
図書室特有のちょっぴりかび臭くて古い香りを精一杯に吸い込み、一気に吐き出す。
そんな時だった。
「どうしたん。大きなため息ついて」
「ビッ!?」
ク・ボス。と喉元から漏れそうになったが、急いで他の言葉に挿げ替える。
「ックリしたぁ……。吉川さんか」
よりによって恐怖の大王が昼飯をそっち退けで、図書館に現れたのだ。
「そんな驚く事ないじゃん」
「後ろからいきなり声かけられたら驚くよ……。てかどうしてここに?」
「んー、何だか食欲が無くてね」
珍しい事もあるもんだと、
俺は息を吞んだ。
女子は恋をすると食事も喉を通らない程に意中の相手へ没頭し、綺麗になろうとすると言う話を前に本かテレビで見た気がする事もあって、息を吞んだのだ。
「岡島は何でいんのよ」
「右に同じ、考え事が多くて昼飯どころじゃない感じさ」
「ふーん」
轟々しく喉を鳴らし、吉川は俺の隣にドスンと腰掛けた。可憐さの欠片も無い。
すると、彼女も頬杖を突いて、大きく嘆息した。違う意味で胸が高鳴ってくる。
彼女の好意を断れば、行き着く先は学園生活デッドオアダイである。
「そういえばさ、岡島」
「はい!」
漂う妙な沈黙の最中、唐突に彼女が俺の名を呼んだので元気よく返事してしまう。もし手紙の送り主がこの吉川なら、随分とノリノリだと思われてもしょうがない。
さようなら学園生活と俺の青春。
「美術のコンクール近いんだって? 同じ部の美奈子から聞いたよ」
「あ? ああ、締め切りは来月だね」
……前置きだろうか。それにしても女子という者は、随分とじらしてくれる。
さっさとひと思いにやれと思いつつ、俺は吉川の言葉に耳を傾けた。
「あたしは絵とかそう言うの疎いからあれだけど、やっぱり芸術って苦悩とかあんの?」
「そ、そりゃー色々と考えることはあるよ。思うように行かない時とか」
今この時。今この瞬間の苦悩に比べれば大した事は無いが。
「ふーん。大変ね。あんたも」
「……吉川さんも何かあんの?」
何やら普段の彼女からは想像できない陰りを表情から読み取り、俺は聞き返してしまう。
「んー。普段さ、私って皆からお母さんキャラ見たいな感じで見られてるじゃない」
自覚はあったんですね。と心中に秘めつつ、話を聞き続けた。
「だからさ、他人に弱みを見せないように振る舞うのも、大変だなーって」
影ではビック・ボスと囁かれ、彼女から嫌われれば学園生活も危ういと噂される彼女にそんな悩みがあったとは思わず、俺は自然と口が開いた。
「何よその顔」
ジロリと。逆にカエルが蛇を睨みつけるような面容で俺を睥睨する。
「いや、意外だなって」
「ほら、やっぱりねー」
率直な俺の感想を前に、空気が抜けた風船のように吉川は机へ突っ伏した。
……あれ? 何だか微妙に可愛く見えてきた自分に戦慄する。
「ま、あんたに話した所でって感じなんだけどさ」
余計な一言を……。だが、普段見られないような彼女を前に、このまま言われっぱなしなのも男が廃ると俺は思った挙句……。
「美術でもさ、良く自分を見失う事があるよ」
そんなひょんな一言が、俺の喉元を通り過ぎて行った。
「だから、意地でも自分というモノを突き通すんだ。周りからどういわれても、批判されても、自分が良いと思ったものをキャンバスにぶつける。だから吉川も、ひた向きに走って、本当の自分を知ってくれる人が一人や二人でもいれば、上手くやっていけるんじゃないかな?」
少し、美術的な話になって熱が入り、語ってしまった。
確かに、言う通りコンクール作品の出展について悩んでる部分はあるし、今の現状における自分にも言い聞かせる為の言葉でもあるかもしれない。
「意地でも自分を突き通す……か。なんかちょっといい事言うじゃん。岡島」
机に突っ伏したまま、吉川は此方に顔だけを向けてほくそ笑んでいた。
「ありがとう岡島。決心付いたわ! またあとでね!」
サーっと自身の血の気が引く。彼女は、またあとでねと言った。
これはもう確定ですね。間違いありません。
「う、うん。またあとで」
でも何だろうか。最初に悩んでた時ほど、嫌と思わない自分が居た。
◇
放課後……。いよいよ運命の時間だ。
俺は、俺の浅はかさを悔い改めていた。そりゃ、見てくれで言えば美人の吉川の方がいいに決まってるが、大して彼女の事を知りもせず勝手に恐れて偏見まみれで見ていたビック・ボス吉川に対しても大変失礼な事を思っていたと思う。
うん。どっちが来ても、キッパリと断ろう。
俺がこの1日を通して出した結論だった。
仮に美人の吉川だとしても俺は荷が重いし、ビック・ボス吉川に関しては、噂のように生徒を一人消したりもしないだろう。
ならば、丁重にお断り申し上げるしかない。
そう思い、校門に向かおうと席を立った矢先だった。
「ちょっと、岡島」
「ビッ!?」
ク・ボスという訳が無く、俺は言葉を挿げ替える。
「クリした!」
「こっちのセリフだっての。掃除さぼって何処行く気? 当番でしょアンタ」
「あ……そういえば……」
待ってくれ。これじゃあビック・ボス吉川が放課後に校門で待てないではないか。
という事は……あの手紙の差出人は……。
「ん? なんか落とした?」
「ッヒャァイ!?」
握り締めていたラブレターを、驚いて落としてしまったのだろう。それに気づいた頃にはもう遅かった。吉川がそれを拾い上げ、中身を確認している。
「……ちょっと岡島!?」
「ごめんなさい! 悪いけど誰とも付き合う気はありません!」
反射的に謝り、吉川へ頭を下げる。
「なんであたしに頭さげてんのよ……」
的を得ない反応に顔を上げると、眉をひそめて吉川が此方を見ている。
……おかしい。どうやら違ったようだ。
「あ、ああ……あの、練習。てきな……?」
吉川は押し付けるように手紙を俺へ突き返す。
「……行きな! 待たせてんじゃないわよ! ほら!」
「え、ええ!?」
鼻息荒く、吉川は肩を上げて声を大にしていた。
――――つまり、校門で待っているのは……。
「え、どうしたの紗代?」
ところがどっこい。吉川の大きな声に驚いたのだろう。
心配そうな顔で教室に顔を出したのは、吉川だった。
「美香。ちょっと岡島調子悪いって話だから、掃除変わってくれない?」
「ん? 岡島君大丈夫? そういえば今日1日ボンヤリしてたね?」
どういうことだ。頭が困惑する。
目の前に居るのは手紙の差出人であるはずの吉川が二人。
ビック・ボス吉川と、美人の吉川。
俺は思考を巡らせた。
この学校で俺の知っている吉川と言えば、この二人だけで、後は男子なのだが……。
「ほら! さっさと帰れ!」
ドンっと背中が痛くなるほど、ビック・ボス吉川が歯を見せて笑っている。
「岡島君気を付けてね」
優しく慈愛の眼で、美人の吉川は俺を見つめている。
残された答えは、もう一つしかなかった。
「あ、ありがとう。じゃあね」
……直接行って確かめる他ない。
◇
校門の前には後輩である一年生や、先輩である三年生が、其々帰路に着いて雑踏が出来ており、校門の前に立っている教師達に頭を下げてゾロゾロと学び舎を後にして行く。
そうだ。この学校にはこれだけの人間が居るんだ。1、3年生で吉川と言う女の子が居ても何ら不思議ではない。
そんな普遍的な吉川と言う苗字は、下校する生徒達を見る俺の目に疑心暗鬼を宿らせる。
どれだ。どの子なんだ。こうなってしまえば気になって夜も眠れなくなるだろう。なんとしても、この中から吉川さんなる人物を見つけなくては……。
校門の前はダメだ。まだ教師が下校する生徒たちを見守っている。あんな所、小恥ずかしくて立てる訳がない。
そんな、流れ出る様に校門を後にしていく生徒達をマジマジと見つめている時だった。
「岡島先輩……?」
「はいっ!」
驚いて振り向くと、そこに居たのは見たことも無い女子だった。制服のリボンから見て一年生だろう。しかし、何処かで見覚えのある彼女に、俺は疲れ切った脳味噌に最後の鞭を入れる。
「良かった。来てくれたんですね。私の事覚えてますか?」
覚えてますか。地獄のような言葉だと思った。
乙女の恋路を無下にできる程、俺は桃色遊戯に長けちゃいない。
「吉川……さん?」
手紙には書いてあるのだから、間違いはないだろう。
だが、俺が知る年下の女子に吉川成る人物は存在しない。
一体誰なのだこいつは!
「やっぱり。覚えて無いんですね」
怒ってはいないようだが、ふざけた様子で彼女は言う。
「中学の時、同じ美術部だった古川ですよ」
「ふ、古川……え、あの古川?」
女子たるもの、歳を取るたびにあか抜けて蝶へと変貌していくと変態美術先輩より聞いた事がある。だが変わり過ぎじゃないだろうか、もはや別人ではないか。
「って古川!?」
違う、そこじゃなくて。彼女は吉川ではなく古川だったのだ。
とんだ勘違いが勘違いを呼んだらしいと、俺はポケットに押し込んだ手紙を取り出してもう一度よく読む。何度も反芻するように熟読した手紙は……。
「……間違いない。古川だ」
「お久しぶりです先輩。手紙、読んでくれたんですね」
美術のコンクールも近いとあって昨今はキャンバスを見続けたせいか、それとも俺の勝手な先入観のせいか、勝手に古川と言う文字を吉川と都合よく改ざんしてたらしい。
人間、都合が良い事ばかりを想像してしまう。
「私、先輩と同じ高校行くために、言う通り勉強頑張ったんですからね!」
……これ以上この話を語るのは不毛と言える。
成就した恋路ほど、後を語る上で取るに足らない物は無い。
そうだろう?
このクラスには吉川が二人いる ぼさつやま りばお @rivao
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