仙台さんがいるべき場所
第375話
約束はしたけれど、しただけでその日がいつなのかまでは決めていない。
それは良いことでもあるし、悪いことでもある。
決めてしまえばクリスマスのときのようにその日を意識してしまうし、落ち着かなくなる。
そういう私にならずに済むように“約束の日”までは決めなかったのだけれど、決めなかった今は、自分からその日を決めて仙台さんに告げなければいけないという事実にくじけそうになっている。
はあ。
ため息を一つついて、ベッドに腰掛ける。
朝ご飯を食べて、九時二十五分。
土曜日だというのに気持ちがすっきりしない。
少なくとも、今日は約束の日じゃない。冬休みの予定を仙台さんと一緒に立てると決めただけの日で、一日を仙台さんと一緒に過ごすだけの日だ。
身構える必要はない。
仙台さんはわざわざ今日という日に、朝まで起きているという条件をつけてきた。冬休みの予定を立てるなんて徹夜をしてまでするようなことじゃないから、その条件は“今日はそういうことをしない日”だと遠回しに伝えるものだったのだと思う。
だから、彼女と土曜日の約束をした。
それなのに私は落ち着かないし、そこそこ憂鬱な気分になっている。
簡単に言えば、私は今日そういうことになってもおかしくないと思っているし、仙台さんを心の底から信じていない。
そんな気がつきたくないことに気づいてしまったから、鬱々とした気分になっている。
全部、仙台さんの日頃の行いが悪いから。
そう結論づけることもできるけれど、仙台さんという人は、私が本当に嫌なことはしない人だと知っている。それでも信じられないのは、彼女を信じようとしない私が心の奥に潜んでいるからにほかならない。
私は裏切られたくない。
誰も信じないというわけではなく、大抵の人のことは信じている。たとえば舞香のことを信じているし、亜美のことも信じている。友だちは信じるに足る存在で、裏切られたら悲しいけれど信じたことを後悔したりはしない。
でも、仙台さんは違う。
信じて裏切られたら、信じたことを後悔する。
信じて裏切られた日のことを思い出して胸の奥が痛くなる日を続けることになる。
ずっとずっと、忘れられなくて、裏切られた理由を探し続けることになる。
そして、私はきっと、仙台さんのことを心の奥に封印して見えなくする。
はあ、と息を吐き出して、立ち上がる。
本棚でくつろいでいる黒猫を手に取って、部屋の中をくるりと一周する。
ぬいぐるみの小さな頭を撫でて、ベッドに座る。
想定する未来が暗くて嫌になる。
起きてほしくないことはリアルに想像できるのに、進みたい未来はぼやけてよく見えない。
ばたり、と黒猫と一緒にベッドに倒れ込む。
約束なんてしなきゃ良かった。
仙台さんに押し切られた、いや、押し切られてもいいと思った自分を問い詰めたい。でも、問い詰めたところで結果は変わらなかったはずだ。
自分がどうしたいのかわからない。
いつもそうだけれど、私は私のことがわからなすぎて嫌になる。
はあ、とまた息を吐くと、トントン、とドアを叩く音が部屋に響く。私は黒猫を本棚に戻し、「入れば」とドアの向こうに返す。
「アイスティーいれたけど、飲む?」
ドアを開けた仙台さんが部屋には入らず、にこにこと言う。
「飲む」
そう答えると、トレイを持った仙台さんが入ってきてテーブルの上にグラスを置き、「おまけ」と言ってスナック菓子を渡してくる。
「なにこれ」
ポテトチップスとチョコレート。
どこで買ってきたのか見たことのないパッケージには、その二つがデザインされている。
「澪が美味しいって言ってたから買ってきた」
隣に座った仙台さんの口から、聞きたくない名前が飛び出てくる。
「ふうん」
澪さんのことが嫌いなわけではないけれど、今はどうしてもいい返事ができない。
「開けようか?」
「自分であける」
そう言って勢いよくポテトチップスの袋を開けると、中からパッケージ通りチョコレートがかかったポテトチップスが出てくる。
「……これ、ありがと」
一応、お礼を言ってから一口食べる。
しょっぱくて甘くて美味しい。
正反対の味は喧嘩することなく、口の中で仲良く混じり合って消える。ジャムとバターを塗ったトーストと同じ種類のものを感じる。
「美味しい?」
仙台さんに問われて「美味しい」と答える。
味の予想ができないものはあまり食べないけれど、仙台さんといると普段食べないものを食べて美味しいと思えることが多い。今回はそれに澪さんが見え隠れすることが気にはなるけれど、美味しいものは美味しい。
「そっか。良かった」
仙台さんが明るい声で言い、私が持っている袋からポテトチップスを一枚取ってぱくりと食べる。
「確かに美味しいね」
弾んだ声に、「また買ってこようかな」という言葉が付け加えられる。それは歓迎すべきことだけれど、次に聞こえてきた言葉は歓迎したくない。
「一緒に行く?」
私は即座に「行かない」と告げ、「でも、買ってきて」と続ける。
「宮城のけち」
「買ってくるんだよね?」
「まあね」
平坦な声とともに、仙台さんがポテトチップスをもう一枚食べる。私は手に持っていた袋をテーブルの上に置き、アイスティーを飲む。
「宮城。今日、調子悪い?」
ぼそり、と仙台さんが言って私を見る。
「別に」
「本当に?」
「元気いいから」
口にした言葉を証明するようにポテトチップスを手に取って、バリバリと食べてみせる。実際、調子は悪くない。気持ちが晴れないだけだ。
「宮城がそう言うなら、それでいいことにしとこうかな」
仙台さんが静かに言い、柔らかな声で「じゃあ、冬休み。行きたいところある?」と続ける。
「ない」
「まだお昼にもなってないのに話が終わったんだけど」
「話し始める時間が早いのが悪い。予定立てるの、お昼ご飯食べてからにしたらよかったじゃん」
「そしたら、お昼まで暇だし」
「仙台さんが暇でも私には関係ないから」
「宮城って、こういうとき冷たいよね」
仙台さんがわざとらしくため息をつく。
でも、私は悪くない。
悪いのは余裕をくれなかった仙台さんだ。
こんなに早い時間から冬休みの話をするとは思っていなかったから、気持ちの整理ができていない。お昼ご飯を食べたあとからだって早いと思っていた。
だから、仙台さんは素っ気なくされることくらいは許すべきだと思う。
「宮城、動物園は? また行こうよって言ってから行ってないし。水族館でもいいしさ」
「それは冬休みじゃなくてもいいじゃん」
声が低くなって、なんだかとても悪いことをしたような気がして彼女に問いかける。
「……仙台さんの行きたいところは?」
んー、と隣から聞こえてきて、ガサゴソとポテトチップスの袋が立てる音が続く。そして、仙台さんがチョコレートがかかったじゃがいものなれの果てを齧る音がする。
「宮城が行きたいところに行こうと思ったんだけどね」
仙台さんがベッドを背もたれにして微笑む。
「いつも温泉とか言うくせに」
私はテーブルの上からポテトチップスの袋を取り、抱えるようにして中身を一枚取り出す。
「温泉行ってくれるの?」
「行かない」
ポテトチップスを齧って、仙台さんを睨む。
「そう言うと思ったから言わなかったんだけど……。旅行には行ってみたいかな」
「……旅行ってどこに?」
「どこでもいいんだけど、一泊くらいしたい」
「やだ」
「だったら、二泊ね」
楽しそうな声とともに、ポテトチップスの袋を奪われる。
「もっとやだし、それ返して」
「食べさせてあげる。それが嫌なら旅行に二人で行って」
「どっちもやだ」
「ノータイムで拒否するの、反則。少しは考えなよ」
「考えてほしかったら、行き先くらい提示してよ」
「……今からゆっくり考えていい?」
「駄目」
きっぱり断って、仙台さんからポテトチップスを取り返す。
二泊もする旅行なんて論外だ。
一泊だって考えるに値しない。
けれど、ちょっとした遠出なら楽しそうだとは思う。
「宮城はどこなら一緒に行ってくれるわけ」
「わかんないけど、楽しそうなところ言ってよ」
「じゃあ、今日はそれを一緒に考えようか」
そう言うと、仙台さんが優しく笑った。
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