第25話

 でも私自身としてはこの行き場のない嫌悪感はどこか別の場所から来たものだと思っている。それは私自身が一宮に住んでいた時の経験から得た感触だ。一宮は小綺麗な街だ。地下鉄が縦横に走り、首都高は放射状に延び、その内の一本は名古屋市の中心へと繋がっている。連邦政府の庁舎が立ち並ぶ中央広場の景色は、どこか異国情緒すら漂わせている。中央に巨大な噴水のある景色は、そこだけを見ているととても欧米的だ。そして街全体に目を向ければ、その街は西日本というよりもむしろ北東京の姿によく似ていた。計画され、余裕を感じさせるように計算されたビル群はどこか見覚えのある景色だった。そのクオリティーの高さとデザインの美しさを除けば――もちろんそれらはかなり巨大な差異ではあるのだが――、それは伊勢崎線沿線に立ち並ぶマンション群とほとんど変わりがないように見えた。

 就職してから半年の間、私は一宮に住んでいた。研修で一時的に本社へと配属され、小さな社宅の中で暮らしていたのだ。最初は身構えたことを覚えている。就職直後は、私が最も西日本の人々を警戒していた時だった。就活中に散々弄ばれたことをまだはっきりと覚えていたし、そもそも私自身元から人に敬遠される性質を持っていたからだ。見れば白人の血が混じっていることはすぐにわかるし、年齢的にも戦争当時の世代の孫としてはほとんどぴったり一致していた。戦争当時の敵の血を引いているというだけでも十分なのに、あろうことかその敵は長い間支配者として自分の国の東半分を牛耳っていたのだ。私が嫌われる理由はそれだけで十分すぎるくらい十分だった。だから覚悟していたのだ。きっとひどい扱いを受けるに違いないと。私は一宮である種の洗礼を受けるのだと。

 けれどそれは杞憂だった。私は一宮で出会ったほとんどすべての人に普通に扱われたのだ。研修中でも、私と他の人とで対応は全く変わらなかったし、同期の人ともすぐに打ち解けた。それは私の人生の中でも最も簡単な新しい環境への適応の一つだった。私はほとんど誰からも避けられなかったのだ。それはほとんど奇跡的な体験だった。私は中学の時も高校の時も多かれ少なかれ遠巻きに見られていて、それに慣れ切っていた。大学時代だって私を避けようとする人は少なくなかった。それでも一宮の人々は私を普通に扱ったのだ。腫れ物に触るようにではなく、気まずい空気になることもなく。

 それは私の心を遥かに軽くした。一宮に住んで二ヶ月も経つと、むしろ私は越谷より一宮の方がよっぽど好きになった。周りの人が自分を最初から嫌いではないということがどれだけ大きいことか、きっとそれは私の立場になってみないとわかり得ないだろう。私はもう不快な思いをさせないように人との距離を測る必要もないし、関りを最小限に管理する必要すらないのだ。それがどれだけ気が滅入る作業で、する必要がないことがどれだけ救いになるか、きっとほとんどの人は想像が付かないだろう。

 そして私は一宮に住んで三ヶ月でケイを寝取り、それから何か月かの間彼とこれ以上ないくらい親密に付き合った。私は一宮のほとんどすべての観光スポットやら公園やらを回りつくしたと思う。そもそも計画都市である一宮にはそのどちらもあまりなかったけれど、桔梗の花が咲く都市公園は素晴らしかった。ケイと二人で花火も見に行った。八月の中盤の頃だ。二人とも薄い半袖Tシャツにジーンズのラフな格好で、財布と携帯以外は何も持たずに。華やかな花火大会だった。ドンという大きな音と共に木曽川の上には光の粒が咲き誇り、パラパラと音を立てて落ちていった。空には力強い橙色の光が大きく花開き、川面は照らされて朧気な輪郭を形作っていた。

 私は研修の大半の時間をそんな風にして過ごした。嫌なことなんてほとんどなかった。もちろん研修は時々厳しい内容の時もあったが、決して精神を病むような種類のものではなかった。一宮を歩いていると、私は時々呼び止められることすらあった。大抵がモデルか何かの募集だった。あるいは芸能事務所のスカウトだったり、稀にナンパだったりした。それは少なくとも北東京や越谷では考えられないことだった。私はこの街なら見た目で嫌われることがないどころか、むしろ好まれることすらあるのだ。

「受付嬢だって」

 地下鉄の3号線の中で、私はケイに言った。デートの帰り道、お互いの身に最近何が起きたかを語り合うような、他愛のない世間話だった。

「受付嬢?」

 ケイは聞き返した。あまりにも突飛な話で、きっと理解できなかったのだと思う。

「そう。呼び止められたの。ビルの受付嬢をしてみないかって。契約社員」

「受付嬢の募集なんてあるんだな」

「私もびっくりした。しかも普通のビルじゃなくて、駅前のあの一番大きなビルの」

「セントラル・タワーズ?」

「そう。一宮セントラル・タワーズ」

「すごいな。街の顔じゃないか」

「まさか私がそんなことに勧誘されるなんてね」

 彼はその言葉に一度頷いた。それから少しして、苦笑しながら言った。

「もしかすると、君は一宮に住んだ方がいいのかもしれないな」

 その時の私は、まだ何もわかっていなかった。だからケイの言葉に「そうかもしれない」と軽く返して、そのまま笑ってしまった。私は一宮を完全に好きになりかけていて、この街に住み続けられるなら悪くないとも思い始めていた。たとえ連邦政府のやり口に気に入らないところがあるにせよ、住んでから良いことばかり起こっている街を恨めるほど私は上手くできていないのだ。

 その認識が変わったのは一宮での研修の終盤も終盤のことだった。研修の期間が終わる僅か一週間前の話だ。仲良くなった同期の女の子のふとした発言がきっかけだった。

「あなたって、どこのダブルなの?」

 私は最初耳を疑った。私が北東京生まれであることも、年齢も、彼女は知っているはずだった。予想はついて然るべきなのだ。もしそうではなかったにしろ――たとえばエムのような場合だ――、私たちのような人にその質問をするのは禁忌だった。それなのに、彼女はさぞ普通の質問かのようにそう問うてきたのだ。嫌味ならまだわかるが、彼女の穏やかな笑顔と楽しそうな声の調子からはとてもそうだとは思えなかった。

「ソ連よ」

 私はそう答えた。他に答えようがなかった。そして私が半ば困惑しながらそう返すと、彼女はまた暢気に、感動したような口調でこう言ったのだ。

「そっか。東日本の人って感じ。すごいなぁ」

 私はそれに戦慄した。

 彼女の暢気さとその口調から導きだされる結論は一つだったからだ。彼女はクロパトキン作戦のことも、そして東の人々のことも何も知らないのだ。戦時中に赤軍の占領と共に混血の子供が増えていったことも、共和国時代にはそういった人々が優遇されていたことも(実際には戦後はあまりダブルの人が生まれなかったことも)、そしてその反動もあって今はひどい反感を抱かれていることも、何もかもを。

 私はそれから図書館に行って本を借り、あるいはネットでクロパトキン作戦を調べてみた。そして驚くべきことを発見したのだ。クロパトキン作戦はほとんど知られていなかった。教科書のような簡単な歴史の本には、ただソ連が攻めてきたという記述しかなかった。ネットでは、もちろん調べれば資料は出てきたけれど、ヒット数はダウンフォール作戦の十分の一以下だった。西の人は東日本に何があったのかを知らないのだ。それは私を純粋に驚かせた。少なくとも東の人は西日本に何があったのかを知っているからだ。ダウンフォール作戦も、高度経済成長も、文化さえも。私はだから西の人も同じくらいには東のことを知っているものだと思い込んでいた。でも違っていたのだ。

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