第16話 原罪

 病院に忍び込む行為自体が、勲にとっては、学校の学力テストよりも遥かに簡単であったーー


(しかし夜の病院ってのは怖いものだな……)


 勲は、小学生の時に墓場に肝試しに行った時の事を思い出しており、幽霊などという、プラズマなどの高エネルギー体に間違われては胡散臭い連中の議論の話題にのぼる、いまだに存在が確認できていない、得体が知れないものを恐れているのと同じ気持ちに襲われながら、見回りの看護師にばれないように足音を立てずに廊下を進み、裕也が入院している部屋に着き、静かに扉を開く。


「……!?」


 ベッドの上で、まるで自慰行為が終わった後に賢者のように心が落ち着き、すべてを達観したかのような顔をしている裕也が勲の目の前にいる。


「こっちに来てくれないか……」


 勲は、病に伏せてすっかりか細くなってしまった声質と、何かを覚悟している裕也の顔つきを見て勲はある種の恐怖を感じ、思わずその場から逃げ出したくなるのだが、余命幾ばくもない親友の悩みを聞いてあげようと、勇気を振り絞りベットのそばへと歩み寄る。


「相談ってのは……」


「この機械のスイッチをオフにしてくれないか?」


「!? 馬鹿言え!」


 裕也の指差す先には、身体に無数のチューブが繋がれている先の大元の機械があり、生命維持装置だと勲はすぐに分かった。


「頼む、この電源を切ってくれ……!」


「出来るか! 馬鹿!……っと、ヤベエ……」


 勲は、ほぼ確実に命を落とす、洒落にならない裕也の頼みを聞いて思わず大声を出してしまったが、慌てて声のトーンを落として、再び裕也に尋ねる。


「何で、こんな事をしようとするんだ……?」


「俺はもう助からない、あのな、俺の癌はもう手遅れで末期なんだ、今俺な、モルヒネって麻酔のボスキャラのようなやつで何とか痛みを抑えて踏ん張ってんだ。でも、これもじきに効かなくなる。俺、苦しみながら生きたくないんだ、我慢して生きてもすぐに死んでしまうんだ。だから……」


「……いや、それは、うーん……英美里は何て言ってるんだ?」


「あいつには何も話してはいない。黙ってる感じなんだよ。なぁ、頼む……切ってくれ、俺を、楽にしてくれ……!」


 裕也の懇願を、勲は快く引き受けるわけには行かず、険しい表情を浮かべて口を開く。


「んな……馬鹿言ってんじゃねえよ、でもよ、生きていれば、そのよ……また英美里とやれたりするべ?」


「昼間のあれを見たのか?」


「あぁ、ごめんな、好奇心に勝てずに覗き見てしまった。生きてればまた、英美里とはやれたりするんじゃないのか……?」


「……いやもう、ないんだ。抗癌剤の副作用で不能になってしまったんだ……」


「……」


 勲は少し考え、煙草を吸いたい衝動を、ここは病室だからなと抑えながら、もう元通りに元気に毎日が過ごせる保証がなくなってしまい、どこに着くかわからない、死神に手を引かれ、薄暗闇のウネウネと曲がりくねる長い階段を登っていくのは確定している、死期迫った裕也の絶望し切った表情を見て、何かを覚悟したかのように、生命維持装置に手を伸ばす。


「……めて」


 後ろから、小さな声が聞こえ、後ろを振り返るが、そこには扉しかなく、気を取り直して生命維持装置を見やる。


(仮に俺がこれをやってしまえば、俺は人殺しの罪になり、鑑別所に入らざるを得ないだろう。身内にも迷惑が掛かる……だが、未成年だから、多少罪は減るのだろうが、だが、俺はこれから、親友を殺す……!)


 勲の脳裏には、裕也との熱くて濃い、10年以上もの思い出が目まぐるしく蘇る。


 初めて会ったのが幼稚園の時で、2人で砂場の山を作ってはどちらが高いかと競っていた。


 途中から転校してきた英美里とも仲良くなった。


 小学生に入っても友情は続き、一緒に遊ばない日は無かった程である。


 中学に入る前に、不良に憧れて髪を染めて入学式に行き、早速先輩に目をつけられてリンチに遭い、夜道で1人ずつ潰していき、残ったのは番長だけであり、ジャンケンで勲が勝ち、タイマンを張り、刃物で腹を刺されながらも辛勝をした。


 番長はそのまま警察に呼ばれ、ドラッグをやっている事が判明して更生施設に行く羽目になり、出所して覚醒剤に手を染めてしまって、今度は鑑別所に強制収監となり、出所まで時間がかかる見通しとなってしまい、それから勲たちは番長に会ってはいない。


 その日から勲達の天下は続き、番長の仲間内から仕返しはされたものの、返り討ちをして、若干中一で葉隠中学をしめているのである。


 サッカー部に入った勲達は練習はサボらずに出て、思春期の胸の苛立ちをスポーツで解消した事で凶悪な犯罪を犯さずに済んでいた。


 裕也が入院してから、勲に喧嘩を売る者は増えたが、裕也がいなくても勲は喧嘩が強くて返り討ちにしており、更に周りから孤立してしまった。


 ただ一人、英美里を除いては。


 目まぐるしくフラッシュバックする思い出で、胸にこみ上げてくるものを感じ、泣きたくなるのを堪えて、勲は裕也に煙草を差し出す。


「これ。最後に一本やるよ……」


「あぁ、ありがてぇ……!」


 裕也は震える手で煙草を口に加えて、ライターで火をつけ、当然の事ながら禁煙なはずな院内なのだが、最後の不良の見せ所だとばかりに、肺がやられている為咳き込んでいるのだが、旨そうに吸い、壁に吸い殻を押し付ける。


「頼む……! 有難うな! 英美里を頼むぜ……! 電源切ったらすぐに逃げろ」


「あぁ……! あの世で会おうぜ……!」


 勲は目にたくさんの涙を浮かべ、泣きながら、生命維持装置の電源を切る。


 プーという音が鳴り、慌てて勲は病室から立ち去って行った。


 📖📖📖📖


 喫煙所で二人きりの時間、裕也の死の真相を英美里は知って話しており、重い空気が流れている。


「……だったって事でしょ?」


 英美里は、親友の最後の願いを聞いてあげた勲なのだが、立派な殺人罪であり、仮に素晴らしい事をしたとしても、法に抵触している行為を褒める気にはなれない表情を浮かべている。


「……見てたんだな」


「ええ。たまたま塾の帰り道に見つけて、尾行したのよ」


「そっか……」


 勲は少し考え、何かを覚悟し、口を開く。


「警察にちくっていいぜ……」


(俺がした罪は、許されるものではない。親父達には悪いが、俺は裁かれてもおかしくはない……)


「ちくったりするわけないじゃない、第一もう時効でしょ……?」


 英美里は、勲を許し切っている表情を浮かべて、勲はもしかして、罪を弾劾されるのではなかったのかと思っていたのだが、安堵して肩を撫で下ろす。


「……」


「裕太には黙っている事にするわ、墓場まで持っていきましょう……」


「そうだな、てか、お前、高校入る前に転校したが、まさか……」


 勲の記憶では、英美里は中学を卒業してすぐに都内へと転校して行ったのである。


「うん、私のお腹の中に、裕太がいたの。裕也の子供よ、私セックスしたのはあの時はあいつだけよ。親からは滅茶苦茶叱られたけれども、最終的に産んでもいいって言われたの。でも流石にこの街にいたら、悪い噂が流れるでしょう? 親の計らいで親戚がいる都内に引っ越して、あの子を産んだのよ。そして、定時制高校を出て、美容師の専門学校を出て就職してね、10年ぐらい前にお金貯めて都内に店をオープンしたの」


「そうなんだな、実業家か……」


「そんなね、大層なものじゃないわよ。トントンだしね、売り上げは。……それよりも、貴方はどうするのこれから?」


「俺は……実はな、俺、週刊誌で小説を連載してるんだ、そこで賞があってな、大賞を取れれば稿料を倍にしてもいいと言われてるんだ。それをどうするか、それとも、諦めて生活なんとかってやつを使って仕事を探すかと……」


「駄目」


 英美里はきっと、曇り無き眼で勲を見つめる。


「夢は諦めては駄目。叶えるものよ。取り敢えず、単発の派遣をやって、小説を書くってのはどう?」


「あぁ、俺もそうしようかと思っていた。ならば、そうするわ……」


 英美里の腹がぐう、と大きな音を立てて鳴り、勲はプッと吹き出す。


「お腹空いちゃったわね……ご飯食べましょ」


「あぁ、そうだな……」


 彼等は喫煙所を後にし、店内へと戻って行った。

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