第14話 見舞い

 20年以上前の事だーー


 10月に差し掛かろうとしている9月の月末の金曜日、学校が終わった後のヒカリ海岸に勲達は制服姿のまま来ている。


「ねー、受験勉強してるー?」


「あぁ、流石にしないとまずいべ!」


 英美里の屈託のない問いかけに、勲は切羽詰まった表情を浮かべて答える。


「内申がめっちゃやべーからよ!」


「そりゃ勉強しなさすぎっしょ!」


「自業自得だぜこりゃあ!」


 中学三年間をほぼ遊びに費やした勲の内申点は低く、推薦はもちろん絶望的であり、入試の点数にかけるしかないのである。


 対照的に英美里は勉強をまめにしてきた為か成績は優秀であり、通知表はオール5で、県内有数の進学校に推薦入試で受ける事が決まっているのである。


「あーあ、U高校落ちたら私立しか行くとこねーしなぁ!」


 勲はたばこを口に加えながら、落ちている石ころを海に投げつける。


「ゲホッ……」


「何だお前、まだ風邪治ってなかったんか?」


「あぁ……」


 裕也が咳をする姿を見て、勲は何故か、物凄く不安に感じている。


「裕也は、V大付属でしょ?」


「あぁ、ゲホゲホッ……ガハッ……!」


「!?」


 裕也は吐血をし、ぐらり、と彼等の前から崩れ落ちる。


 📖📖📖📖


 裕也は、軽度の肺炎で一月入院する事になったーー


 11月に差し掛かった肌寒いある日、当時まだ珍しいPHS経由で裕也から「親の許しをもらったから見舞いに来てもいい」と勲は連絡を貰い、英美里と共にヒカリ総合病院に見舞いに駆けつけたのである。


 ヒカリ総合病院はヒカリ市のやや外れに位置しており、つい数年前に大規模な建て替えを行った為か街の規模に比べてはかなり大きく、全ての外来があり、当然の事ながらガン病棟があり、おまけに屋上にはヘリポートがあるというおまけ付きである。


 バス停に降り立った勲達は、病院が持つ、生と死を取り扱うという独特な雰囲気に飲まれながら、こんな難儀な所に入院している友人を喜ばせようと、彼等は見舞品を持って、沢山の患者がいる院内へと入った。


「ねぇ、エロ本なんて喜ぶのかしら……?」


「馬鹿野郎、病は気からって言うべ! あいつが好きな白人の裸見りゃ肺炎なんざいちころよ!」


「はぁ……あんた本当にバカね……でもなんで、ここまでかかるのかしらねぇ、ただの肺炎なのにねぇ……」


 英美里は、裕也の病状に一抹の不安を感じながら、勲が持っている海外のアダルト本を見て、何故男というものはここまでも性欲に忠実なんだろう、つい先日情報系のテレビ番組で見た、女性に興味を持つのは男性の遺伝子に組み込まれた、子孫を残すという正常な反応だと知っているのだが、英美里の前に映る勲の顔は、エロ本のグラビアを見て鼻の下を伸ばして喜んでいる単なる猿である。


「お前は何を持ってきたんだ?」


「私はあいつが好きなバナナよ!」


「バナナごときで病気なんざ治るわけないじゃん!」


「でも、そんな如何わしい本よりかはだいぶマシよ!」


 彼等が見舞品の話で盛り上がっていると、白衣の美女とは程遠い、分厚い眼鏡をかけて小太りの不細工な看護師が目を吊り上げてやってくる。


「病室では静かにしてくださいね!」


「は、はぁ、すいません……」


 勲が軽く謝ると、その看護師は「まったく……」と息を切らして踵を返していく。


(煩えよ、糞婆……!)


 英美里は看護師の背中に中指を立て、思い出したのか、勲に尋ねる。


「ねぇ、あいつの病室ってどこだっけ?」


「305号室だったってメールに書いてあったけれどもな……」


 勲はPHSを取り出して、当時はまだアナログで絵文字すらない、大きな文字だけであったメールを英美里に見せる。


『B棟の305号室に入院してる』


「ふーん、とりあえず行きましょう」


「あぁ、そうだな」


 彼等はこの棟の3階にある病室に、面倒臭いなぁ、何でこんなに遠いところにあるんだろうなと心の中で愚痴りながら足を進める。


 階段を登るたび、勲の心臓は、何故か妙な胸騒ぎに襲われて鼓動が高鳴っている。


(あいつ、大丈夫なんだろうか……?)


 点滴を腕から通している、自らの病気に絶望している入院患者とその見舞いの家族、定期清掃に来るパートの中年女性、そして、人の命を扱っているのだが、イマイチ信用できない、偉そうな偽善者のような面構えをしている看護師とすれ違いながら302号室の前に着くと、そこは個室であるのに勲は疑問を感じる。


「な、なぁ、あいつ単なる肺炎なんだよな? 何で、個室なんだ?」


「うん、そうよねぇ、なんで個室なんだろう? ともかく入ってみましょう……」


 扉をノックすると、はい、という声が聞こえ、勲は「見舞いに来たよ」と伝えると、「入れ」という、掠れたか細い声が室内から聞こえ、勲達はより一層の不安を感じる。


「入るよ……てか、うおっ!?」


 勲達の前には、やつれ果てた裕也がおり、髪の毛はほとんどが抜け落ち、鼻にチューブがさされ、腕には点滴がされている。


「見舞いに来たよ……」


 英美里は、裕也の様相を見て泣きそうになっているのか、涙を堪えながら、傍にバナナを置く。


「あぁ、悪いな……ゲホン!」


「なぁ、お前、大丈夫なのか……?」


「あぁ、黙ってたがな、実は俺肺癌なんだよ。若年性なんとかってやつ……」


「えぇ!?」


「あぁ、そうなんだよ……」


 裕也はこれから来るであろう、死神がウネウネと続く階段へと案内し、消滅するのか生まれ変わるのか未だに判明していないが、肉体と意識が消滅する事が紛れもない事実である「死」に向かうのを絶望しきった表情を浮かべている。


 📖📖📖📖


 勲達は裕也の見舞いを終え、バスに乗り駅に向かって降りるまで一言も全く話せないでいる。


 バスから降りて、勲は無性にタバコが吸いたくなり、周りに身周りの教師がいないことを確認してたばこを口に加える。


「ねぇ……」


 英美里は勲の、普段のタバコを吸うという行為を不思議に見つめている。


「?」


「何でタバコなんて吸うの?」


「何でって……いや、美味いから……」


「馬鹿……」


「いや、馬鹿って……」


「馬鹿よ、ねぇ、よく裕也が肺がんになったのにタバコなんて吸えるわね、肺がんの原因になるやばいものなんでしょ、あいつ死んじゃう……まだ、私たち15歳になったばっかでしょ? 青春の輝かしい日々? そんなの、けしごむのカスのようなスカスカの日々よ、何でまだこれからなのに、あいつ死ぬの?助からない?ねぇ、どうしたらいいのかな、私……」


 英美里は堰を切ったかのようにして、その場に泣き崩れる。


 通行人は、勲達を喧嘩してるカップルかと勘違いをしているのか、ジロジロと物珍しい顔で見ている。


「おい、見せ物じゃねーぞ!」


 勲はタバコを投げ捨て、英美里の手を掴み、近くの公園のベンチに座らせる。


(あいつ、死ぬのか? あれだけ好きだったタバコをもう満足に吸えなくなって死ぬのか? 俺のせい? 俺がタバコを試しに吸おうぜと昔言ったせい? あいつとは会えない? 俺のせい……?)


 英美里の啜り泣く声が、辺りに静かに響き渡った。



 📖📖📖📖


 ただ広い部屋の中、勲は裕也の忘形見である男の子を見て何を話していいのか分からずに沈黙している。


 「裕也が亡くなったのは見舞いに行ってからすぐだったわね……」


 英美里は沈黙を破るかのようにして、タバコを吸い、煙を吐き出し、淡々と口を開く。


「あ、あぁ……」


 勲は、目の前にいる裕也そっくりの男の子が、裕也の息子だとはいまだに信じられないのだが、本当に裕也が蘇ったかのような錯覚に陥っている。


「あぁ、紹介が遅れたわね、裕太よ、堂本裕太。ほら、挨拶しなさい」


「堂本裕太です」


 裕太は、若干シャイなのか、少し小声で俯いて勲に挨拶をする。


 大学生か、それとも社会人なのか、まだ20代前半のように見える雰囲気を見て、勲はある疑問が浮かぶ。


「なぁ、裕太くん、君歳いくつだ?」


「22歳です」


「大学生か社会人か?」


「大学4年です、V大の医学部にいます」


「ふぇー……」


 V大は、裕也が親から行けと言われており、仕方なく志望したV大付属高校のV大であり、裕也とは頭の出来は雲泥の差なんだなと、利発そうな裕太を見て、勲はため息をつく。


「この子、特待生で高校から入って、今まで学費はほとんど払ってないのよ」


 英美里は、トンビが鷹を産んだぞ、と言いたげなドヤ顔で裕太の肩を叩く。


「裕也とはえらい違いなんだなぁ……」


「でもあいつ、本当は医者になりたかったみたいね」


「そうなんだな……」


 不良少年のあいつに、白衣は似合わないなと思い、勲はたばこを口に加える。

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