第6話 桔梗正雄

 勲がこの街を出て上京した後、勲の3歳年下の弟の正雄は苦学をして有名私立大学の特待生として大学生活を送れるようになったのはいいのだが、仕事が決まらずに卒業を控えることになった。


 卒業まで残り一月となったある日、利用している転職サイトから『おぼろ化工』の生産管理者の募集がある事を知り、応募したらすぐに採用され、とんとん拍子に出世をして今は生産管理部の課長である。


 6年前、正雄が27歳の時に大学の時の同級生であった柴田麻耶(シバタ マヤ)と結婚し、一粒種の拓磨(タクマ)が生まれ、赤ん坊がまた麻耶のお腹の中にいるのである。


 それなりの年収と児童手当を貰い、結婚する時は物件が多い隣町のカゲロウ市で、4LDKの賃貸アパートに住もうと麻耶と相談して決めていたのだが、実家がシロアリの被害にあい、築50年を超えていたため、貯金を使いコンクリート製の3階建ての二世帯住宅に立て替えたのである。


「ふーん、お前もそれなりに苦労したんだなぁ……」


 勲はタバコを吸おうとしたが、拓磨と、身重の麻耶の手前、彼らの健康の悪いとグッと堪えタバコの箱をバッグにしまう。


「兄貴こそ、小説家になってたのか……18年ぐらい連絡なかったからどうしてるのかと……」


 正雄は、お世辞にも頭が良くなく、底辺のU高校で何度か留年しかけ、なんとか入れた印刷メーカーでもすぐに辞めて音信不通になっていた勲を心の底で愚兄と小馬鹿にしていたが、誰にもなれそうでなれない、小学生の憧れの職業トップ5には入っていないのだが、周りには滅多にいないであろう、非常に稀で、文芸界と関わりがあり高名な作家とのコネが作れ、世の中に自分の作品がベストセラーになって認められてチヤホヤされるチャンスのある小説家という夢のような職業についている兄を誇らしげに見つめている。


「いやそんな大したもんじゃねーよ。未だにフリーターだしよ……」


「いやでもさ、出版社に連載してるんだろう? あの週刊文超にさ。それって凄い事なんじゃないか? 官能小説でもさ、自信を持っていいと思うよ」


 正雄は官能小説に造詣が深く、今まで熱を上げていた作品が勲が書いたものだと知り、勲を誇らしげに見つめているのだが、千尋と麻耶は人間の中で一番いやらしい場所とそれに付随する行為をこれでもかと鮮明に書いている、勲が持ってきた週刊文超をざっと読み、何故こんなくだらない作品を書いているのかと、親族の恥さらしだと言わんばかりの侮蔑の視線を情け容赦なく勲に浴びせかける。


「馬鹿いえ。収入なんざ月に5万ぽっちだ。それぐらい行けばいい方だ。売れないからバイトしてるんだよ、学生とかに混じってな……。40歳手前なのに、若者の夢を追ってる馬鹿な負け組だ、俺手取りが200万足らずでワープアだからな……」


「……」


 やはり、俺はうちの家族の中では落ちこぼれなんだな、出来が悪い子供なんだと巧たちはそう思っているんじゃないかなと勲は、彼等の微妙な表情をチラリと見てため息をつく。


 千尋や麻耶達も、久しぶりで、麻耶にとっては義理の兄である勲の話は聞いており、今日初めて会ぐたのだが、教育上琢磨にとっては良くない職業に就いているから、分別がつく年齢になるまで黙っていよう、人様に誇れる仕事についてないから、やはり親族の中では恥晒しだと言いたい気持ちを抑えている。


 18年ぶりの再会で、勲の現状を聞き、人様に胸を張って言えるような職業と四十近いのにワーキングプアだと知り、可哀想だとか、自業自得だとか千尋達の様々な想いが交差する、微妙な空気が流れる中、巧は大きなくしゃみをし、辺りがどっと笑いに包まれる。


 巧は大きなイベントで辺りが静まり返ると必ずと言って良いほど、アニメ声優のような甲高い特徴的なくしゃみをするのである。


「兄貴、ここには帰っては来ないのか?」


 正雄は巧の大きな、奇妙な声色のくしゃみに笑いを堪えて、勲に尋ねる。


「いや、俺は都会が性に合っているからな」


 勲の脳裏に、昴と千春の顔が横切り、せっかく仲良くなれた仲間とは別れたくはないし、原稿料が上がるチャンスを無駄にしたくないとの思いがよぎり、Uターン転職の思いは消えた。


「うちの会社で人員の募集があるんだよ、来月に。欠員が出たんだ。俺から人事に口を聞いてやってもいい。そこは2年間契約の期間工なんだが、7割の人が正社員登用されている。そうした方が、兄貴の経歴が少しまともになるんじゃないか? 会社勤めした経験を作った方がいいんじゃ……」


「うーん……」


 先程、Uターン転職の思いは消えたが、正雄から『おぼろ化工』の就職事情を聞き、正雄が口利きでコネで入れるチャンスがあることを知り、勲の心は軽く揺れている。


「しばらくお前はここにいろ」


 巧はいきなり、何を思い立ったのか、そう口を開いた後に立ち上がり、玄関を出て行き、出て行った後を見計らい、勲は千尋に尋ねる。


「てかな、俺、どこの部屋で寝ればいいんだ?」


 上京して喧嘩して別れたっきりの勘当息子の部屋なんざ建て替えの時に作ってくれてないんだろうなと勲はそう思っているのである。


「あぁ、それなんだけどねぇ、お前がいつでも帰ってきてもいいように、部屋は作ってあるんだよ、お父さんが残しておいてくれと」


「そうか……親父が……」


 勲は胸から込み上がってくる感情を抑えるためにタバコを吸おうと立ち上がる。


「俺タバコ吸ってくるわ……」


 掃除が行き届いているフローリングの床をゆっくりと歩きながら玄関に行くと、巧がおり、タバコを吸っている。


 📖📖📖📖


 夕食を終えた後の勲は自分の部屋に入ると、昔集めていた海賊の少年が主人公の漫画と、不良の高校生の漫画が置かれてる本棚、一昔前のテレビゲーム、2019年の今ではもう懐かしいMDコンポとベットとテーブルが置かれており、俺が出て行ったあの頃と何も変わっていないんだなと安堵のため息をつき、ベッドの上に横たわる。


(仕事決まんねーし、これからどうすっかなあ……)


 勲に正社員登用のチャンスは無かったわけではなく、27歳の時に勤めていた警備員のアルバイトで正社員の欠員が出て、正社員にならないかと誘われたことがあったのである。


 だが、いざ応募しようとした時に会社は不渡りを出してしまい倒産、当然バイトはクビになり、年齢が重なるにつれて正社員への道はかなりの狭き門と化してしまった。


 ネットを利用して、企業への紹介予定派遣を受けたのだが、大した職歴と資格とスキルが無かった勲をどこも使う派遣会社はなかったのである。


(俺もう詰んでるに等しいんだよなあ、いやでもなんか、あいつらに悪いけど、正雄んとこの会社にお世話になるか……)


 半ば、諦めに近い感情で軽く目を机のほうに向けると、テレビの隣に置いてあるラジカセが目に飛び込み、埃が詰まっていないということは千尋がきちんと掃除をしているのだなと彼女に感謝をし、コンセントを繋切り電源を入れ、CDを探す。


「あった……」


 それは、21年前に皆が聞いていた、ユーロビートのデビュー曲の有名なアーティストのアルバムであり、勲は懐かしい思い出に駆られる。


 勲はイヤフォンを耳にネジ入れ、CDプレーヤーの電源を入れ、再生ボタンを押す。


 普段聴いているヒップホップとは違う、カラオケで耳にタコができるまで仲間と歌った、懐かしい曲が耳から聞こえ、勲は目を閉じる。


(英美里……元気なんだろうか……あいつ……)


 20年程前の、金髪の少女の消息は誰一人として知っている者はおらず、当時はまだネットやLINE、メールが発達してなかった為探しようが無かったのである。


(あいつ、Facebookとかやってなかったか……? でも多分、結婚してるんだろうかな? あいつ美人だし……)


 勲は英美里の名前をFacebookで検索をかける、勲はFacebookはやっているのだが、変な出会いを求めてくる、胡散臭い、明らかに画像加工したアカウント画像を持つ女性や、名も知らない人間ばかりが友人申請をしてきて、嫌気が差してアカウントを一年ぐらい放置していたのである。


 久しぶりの操作に戸惑いながら、検索する事数分し、英美里の名前が出てきて、思わず生きているんだな、と安堵のため息をつき英美里のアカウントをクリックする。


『堂本英美里 東京都○○区 美容院経営』


 茶髪でパーマをかけた、年相応に老けた英美里の表情と、そう書かれたプロフィールを見て、勲は顔を綻ばせる。


(あいつFacebookやってたんだなぁ。美容院経営って、あいつ昔から美容師になりたがっていたからなあ。でも、多分結婚とかしてるだろうし、20年も昔の知り合いなんざ見向きもしねぇだろうから、取り敢えずはスルーでいいか……)


 勲は英美里のFacebookアカウントにメッセージを送りたくなる気持ちに襲われるのだが、もし仮に旦那さんや付き合っている人がいたら誤解されるだろうから止めておこうと思い、ログアウトする。

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