第34話 魔王の城に行く前に


 アーニャさんの無事を確認し終えてホッとした俺は不意に疑問に思ってリビングへと戻った。朝食の食器を片付けながらぱたぱたとせわしなく働くシルキィに声をかける。


「ねぇシルキィ?このあいだ俺が帰ってきた時『おかえり』って言ってくれただろ?あれって……ひょっとして四年ぶりだった?」


 その声にぴこっ!と揺れる小さな肩。シルキィは手にしていた布巾を置くと、俺の前まで来て笑顔を浮かべる。


「はい!そうですわ!」


 屈託のない笑顔。


(だから、再会したときあんなに泣いていたのか……)


「ずっと待っててくれたんだな……心配かけて、ごめん」


 ぎゅうっと抱きしめると、シルキィはいつもと変わらず『いいんですのよ?』と俺を抱きしめ返した。四年もの間毎日お風呂を沸かして、こうして部屋を綺麗にし続けていてくれたのかと思うと、思わず涙がこぼれる。


「シルキィごめんな?ありがとう……」


「イヤですわ?泣かないでマスタァ!シルキィは、使い魔として当然のことをしたまでですもの。魔力だって、マスタァがお家に循環と再生の魔法陣を敷いていてくださったおかげでシルキィはぴんぴんしていましたし。なにより、シルキィとマスタァは愛で結ばれた主と使い魔ですもの!マスタァがちゃんと生きていらっしゃるのも、シルキィにはバッチリわかっていましたわ?」


「愛って、ちょっと。絆でしょ?」


「愛ですわ!」


 にこっ!と笑ったシルキィがあまりに嬉しそうだったので、俺はそれ以上の追及をせずにソファに腰かける。『膝枕して欲しいですわ!』というおねだりを今日は許しつつ、膝に乗ったその頭を撫でながら俺はブラッディを呼び出した。


「ブラッディ、いるか?」


「契約者か。先日は不運だったな。まさか四年も月日が流れていようとは」


「こっちこそ、巻き込んじゃってごめん。ブラッディの方は大丈夫だったか?閣下と連絡が途絶えて迷惑かけたんじゃ……?」


 おずおずと聞くと、ブラッディはいつものようにニヒルな笑みを浮かべる。


「別に。悠久の時間ときを生きる我ら魔族にとっては、四年など瞬きに過ぎぬ。閣下には、少々昼寝し過ぎたと言っておいた。『らしくもないな』とため息を吐かれただけで済んだぞ?」


「あっ、そう……なら、いいか?」


 相変わらず魔族の時間基準とホワイトさには驚きを隠せない。俺は少し気になっていたことを口にする。


「悠久の時間ときって言ったらさ……俺は総帥の【反転結界】を防ぐために、ブラッディの術――【孤月城の誓いヴァンピール・エンゲージメント】を受けて眷属になったわけだろ?それってやっぱり、俺は不老不死になっちゃったのかな?」


 その問いに、ブラッディは考え込むようにして口元に手を当てる。


「ふむ……それについては吸血鬼の特性の一部を手に入れた、と理解するのが妥当だろうな。あの術によって契約者には多少の我が血が与えられた。それにより人ならざる再生力と寿命を手に入れたのは事実だ」


「へぇ……どのくらい長生きになったの?」


「あの量であれば、ざっと見積もって追加で百年くらいか?」


「倍じゃん!?」


「加えて契約者は独自の判断で【延命の秘術】も行っている。どれだけ不摂生をしても今後百五十年は軽く生きるだろうな。無論、我が血を与え続ければ望む限り生き続けることができる。我が死ぬまでは」


 つい軽いノリで聞いてみたのだが、結構途方もない話だ。一夜にして寿命が倍になるなんて。これじゃあどう足掻いたって俺はアーニャさんを看取る側だ。下手すれば、結婚して生まれた子供も看取る側。まぁ、まだ告ってすらいないし、そんなの夢物語だけどさ。


「さみしい……大切な人がいなくなるのを見送るばかりの人生なんて……」


 思わず零すと、ブラッディは心配そうにこちらを覗き込む。


「我が早まったせいで術を受けさせてしまい、すまなかった。許せとは言わぬが、せめてマスターが望む願いをこれからも叶え続けると約束しよう。死にたくなったときは言え。責任をもって我が手を下すから……」


 その一言に、『そんなのダメですわ!』と膝の上で喚くシルキィ。急に会話に割り込んで来たかと思うと俺の上に這い出し、ブラッディに至近距離からガンを飛ばす。


「ちょ、シルキィ……!」


(頼むから膝に跨って尻をこちらに向けて突き出さないでくれ!てゆーか、四年間暇だからって勝手にメイド服をミニ丈に改造しやがったな?いくらなんでもこの角度は絵面がやばいって。早く元のロングに戻して……!)


 だが、ぷんすこと怒るシルキィは俺の気持ちに気づく素振りは微塵もない。


「ブラッディ?いくら事故とはいえ眷属になったマスタァに無理矢理言うことを聞かせるのはダメですからね?魔力の吸い過ぎもマスタァの独り占めも、いやらしいことをするのもダメですからね!!シルキィ許しませんからね!」


「するわけないだろう。これで我と契約者の関係がどうこうなるわけでもない。変わらず忠義を尽くし、友人として力を貸すまでだ」


 『やれやれ』と肩をすくめるブラッディに、俺は安心した。なだめるようにシルキィを後ろから抱っこすると、冷やかし混じりに口を開く。


「じゃあこれからもよろしくな?『マスター』?」


「……!?マスター、やめてくれ。落ち着かない……」


「わ、ブラッディがビックリしてる。なんか新鮮」


「からかうな……ただ、あまりに無茶をするようであれば【命令】をする権利は我にも発生するので肝に銘じておいてくれ。契約者が使い魔に対してその権利を有するように、我にもマスターに対して【眷属絶対命令権】が発生する。我らが本気で喧嘩をしようと思ったら、【命令権】はより拘束力が高い【吸血鬼の呪い】の方が勝るであろうから、命を顧みないような戦い方はもうできないと思うがよい。我の目が黒いうちはな」


「はいはい、心配してくれてどうも。そんなことにはならないから安心しろって」


 俺はブラッディにその点も含めて、魔王城に招待されたことを報告した。最強魔術師としての力が必要とされていること、マヤたちが既に傘下に加わっているらしいことなどをかいつまんで説明すると、ブラッディはついていくことを快く承諾してくれた。


「いつものように影に身を潜めていよう。西の領土は閣下が属している故我が出向くことに問題は微塵も無いが、念のため気配も消しておく。しかし、閣下からも西の魔王が代替わりしたとは聞いていないが……西はまさか、地上と魔界で母子共同統治を行っているのか?ベルフェゴールは争いを好まず賢いせがれだと聞いているからな。地上の統治と人間との折衝は彼に任せることにしたのかもしれん」


「共同統治か、なるほど……」


「いずれにせよ、魔界にて我が仕える閣下は西の魔王一族と親しい間柄にある。敵対することは絶対にできないが、協力を要請されているのであれば赴くことは可能だ。そして、いくら我が西の魔王一派であるとはいえ主を危険に晒すようであれば協力を拒むことはできよう。魔界においては契約の遵守は重んじられるものであるし、『力を貸さない』ということは『敵対すること』と同義ではないからな。話を聞いて自由に判断するがよい」


「契約の遵守ね……参考になるよ。ありがとうブラッディ。じゃあ、当日はよろしく」


 こくりと頷くと、ブラッディは影を纏って再び足もとに消えた。

 それを見てシルキィは『邪魔者がようやくいなくなった』と言わんばかりに膝の上でごろごろし始める。


「えへへ……マスタァ♡」


「はいはい。四年分甘えていいから、膝が痺れたらどいてくれよ?」


「はぁい♡」


 同じ使い魔でもここまで差があるのかと俺はため息を吐いた。けれど、ふたりとも忠義に厚くてやさしい使い魔だ。俺の大切な家族。俺はアーニャさんのことも幸せにしたいけど、皆のことも幸せにしたい。だからこそ――


(俺が危ない橋を渡るわけには、いかないんだよ……)


 迫る魔王城訪問に向けて、俺は気合を入れ直したのだった。

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