第17話 欲望のマッチングデート(お座敷デート編)


 黒髪和服美人、曜子ようこちゃんとのデート指定日の夕方。俺はマヤの治める東の大国の花街入り口というポイントに転移した。

 ちなみにこの転移ポイントとは、俺が以前勇者たちと冒険をしていた際にこの国を訪れ、その際にメジャーっぽい場所に目星をつけてあらかじめ設定したもの。


 あの頃は新しい国に行くと数日各自で自由行動が基本だった。その間に水面下では『誰が一緒に街をまわるか』みたいな勇者とのデート争奪戦が行われていたみたいだけど、俺を誘って街に繰り出そうという女子なんて残念ながらいなかった(女魔術師と魔道具の買い物にいくことはあったけど、その度に勇者についての惚気や愚痴を聞かされていたのであいつはノーカウント)ので、暇な俺は観光ついでに転移マッピングに勤しんでいたというわけだ。

 いつかマヤに『ここ行きたい!』って言われたときに連れて行ってあげられるように、とか思いながら。


 ああ、俺ってけなげだよな? 


 そんな俺の今日の目的は、黒髪美人とお座敷遊びだ。


 こんなすれた姿、できればマヤには見られたくないなぁ、なんて。

 そうさせたのは――


(済んだことだ、忘れよう。何のために結婚式でがんばったと思ってるんだ)


「ええと、指定の場所は『紺牢庵』……?」


 待ち合わせ場所であるお茶屋さんがあるのは花街入り口から九条戻り橋を渡った先の――


「あ」


 角を曲がって数軒先、古屋敷の前にしゃらんと佇む和服美人と目が合った。うっとりとした笑みを浮かべたかと思うと、にこっ!と顔を和らげてこちらに向かって来る。


 カラコロ、カラコロ……


「ジェラスはん?待っとったよぉ~!」


 人懐っこい笑み。歩幅の狭い下駄に、着物の裾からちょいと覗く白い指先。それに、東の国では伝統的な家系が使うとされている『古都訛り』のはんなりとした感じがなんとも言えず――


(超、かわいい……!)


「こんにちは曜子さん。夕方だからこんばんはかな?」


「うふふっ。おばんです♪」


 口元を着物の裾で隠しながら曜子ちゃんはころころと楽しげに笑う。その一挙手一投足がどこをとっても可愛い!


「さ、中にどうぞ?このお茶屋さんね、ウチの知り合いが経営してるんよ。二階の個室でお食事とお座敷遊びが楽しめるの!」


「へぇ、すごい。こういうところって来るの初めてで勝手がよく分からないんだけど……作法とかがあるんじゃないの?」


 『こっちこっち』と握られた手にどきどきしつつも、見慣れない和装の屋敷に胸が躍る。


「本当は一見さんはお断りなんやけど、ウチから話は通してあるから大丈夫!お代やお花も気にしなくてええよ?今日はウチの奢りやから!」


「えっ?」


 いくら知り合いのお店だからって、自分よりどう見ても年下の女の子にそんなことはさせられない。それに、いくらなんでも話がうますぎる。



 俺は迷った。



 今、気づかれないように無詠唱で正体を見破ることは可能だ。しかし、それでは今日のお座敷遊びが台無しになってしまう。好みが偏食な俺がこんなどストライクの女の子とデートできる機会なんてそうそう無いんだ。それは勿体なさ過ぎる。

 例え罠でも、俺は――


(うん。もう少し楽しんでから、ヤバくなったら抜け出そう)


 欲望に負け、俺は思考を放棄した。足元の影からメルティが『マスターどクズ!』って言った気がするが、今の俺には聞こえない。だって、魔術師は陰キャで性格に難アリ、強い奴ほど割とクズが多いってこの世界では相場が決まってるからな?


「ジェラスはん、『紺牢庵』にようこそおこしやす~!履物はそこで脱いでね?そしたらこっち!」


「ちょっと待って。お代はきちんと払うよ……」


「ん?ええよ?」


「でも、そんなことできな――」


 言いかけていると、曜子ちゃんは『しーっ』と人差し指を俺の口元に当てた。


「だったら、このお店をうんと楽しんで欲しいな?ほら、ジェラスはんは魔術師界隈では有名な方やん?だから、皆に『よかったよ~!』って言って欲しいんだって、おかみさんが。本当はお座敷に通す前にお客さんにこんな話をするのははしたないんやけどね?おかみさんには内緒にして?」


 てへぺろと赤い舌をだす曜子ちゃん。

 その仕草が年相応の少女らしさを醸し出している。


「そうか、そういうことか……」


 罠だけど、罠じゃなかった。


 曜子ちゃんのデートの目的はお店紹介で、俺に期待されているのは良い評判を立てること。恋人探しのためのデートとしては本来の目的から逸脱した罠かもしれないが、俺が想定していたよりも遥かにかわいい罠だった。


「……幻滅した?」


 俺はおずおずとしたその瞳に微笑みかける。


「全然。そういうことなら遠慮なくお座敷遊びを楽しませて貰おうかな?」


「うん、任せて!」


      ◇


 そうして、畳という草を干して固めた絨毯が敷き詰められた広間に通された俺は曜子ちゃんと一緒に色鮮やかな和食に舌鼓を打って、共にお座敷を楽しんだ。


「とらと~ら♪と~らとら♪」


 軽やかな声で、曜子ちゃんが屏風の向こうから歌いかけてくる。

 このお座敷遊びは『とらとら』といって、曲に合わせてジェスチャーでじゃんけんするゲームらしい。狩人、虎、老婆の力関係が三竦さんすくみなじゃんけん。俺も同じ調子で歌い返す。


「「とらと~ら♪と~らとら♪」」


 金の瞳と目が合った。

 俺は杖をついた老婆。曜子ちゃんは虎。


「――あ」


「ふふっ……!ジェラスはん、負け~!」


 曜子ちゃんはころころと笑いながら俺の杯に酒をつぐ。くいっと煽れる程度に、何回でもこのゆったりとして可愛らしい時間を共有できるように。


(結構楽しいかも……)


 俺は畳に座って、まだ顔も赤くない曜子ちゃんを見あげる。


「曜子ちゃん、ゲーム強いね」


「ウチお酒も強いしね!ジェラスはんは苦手なん?えっと……げぇむ?」


「うーん、チェスとかはそれなりに覚えがあるけどこういうシンプルなのは理屈じゃないからね、弱いのかも。それにしても、賭け事無しで普通にゲームを楽しむのは久しぶりだ。楽しいね」


「うふふっ、よかったわぁ……!」


 口元に手を当てて目を見開く曜子ちゃん。その仕草に思わず頬が緩む。


(うん。来て正解だったかな?)


 曜子ちゃんとのお座敷遊びは楽しかった。曜子ちゃんは明るくて可愛くて、とってもいい子だ。さっき少しだけお手洗いに席を外した時も、『想像してたでぇとと違ってごめんね?』と謝ってくれたし、『ジェラスはんさえよければ奥の広間も開けてるよ……?』と夜の誘いまでかけてくれた。ちなみに奥の広間には布団が敷いてあるので、そういうことらしい。


 けど、俺は風俗に来たのではなくてデートに来たのだ。その誘いは丁寧にお断りさせてもらった。どうやら曜子ちゃん的には完全にそういうつもりだったらしく、断ったときはすごくビックリされたが『そういうのは節度をもって』と諭すと『じゃあ、次はまた違うでぇとに誘うね』と笑顔を返されたので、俺は完全に満足だ。


「さ、酔いも回ってきたし、そろそろ――」


 立ち上がる俺を引き留めるように、曜子ちゃんがジャケットの裾を握る。


「ねぇジェラスはん?あと一回だけ、げぇむしよ?」


「いいよ?」


 こくりと頷くと、にやりと歪む紅の唇。焦りだしたように揺らぎ、引き離される俺の影。メルティが何かを伝えようとして――


「え?」


 俺の真下にあった畳がガコッ!と開き、視界が暗転した。


(あ。これ……)



 ――ヤバいやつだ。



 落とし穴。

 物理的な罠は魔術シールドでは防げないんだよ。当たり前だけど。


 落下していく俺の視界に映るのは、和服美人の曜子ちゃん。その艶やかな黒髪がみるみるうちに金に染まっていく。頭部にぴょこんと生えだす獣耳。和服のスリットから覗くふさふさとした尻尾。


「くそっ、やられた!」


 わかっちゃいたけど、ここで来るとは……!


 てゆーか、こういうパターンもあるのね?

 畳、和室、カラクリ屋敷――覚えておくわ。二度と引っかからないようになぁ!


「――【氷華の階フロスト・ステア】!」


 間一髪、壁面から華を模した氷の足場を召喚した俺はにやりと舌なめずりする妖狐を睨めつける。


「金髪とか詐欺じゃねーか!!そもそも人間じゃないし!」


「ほぉんとに引っかかるなんて……人間て、アホなんちゃう?」


「男なんだから仕方ねーだろ!?見事な変化だったよ!幻術の気配が全くしなかった!」


「まぁ、完璧な変化はウチら狐と狸の専売特許やし?こんこんっ♪っと……」


 妖狐が右手で狐を形作ると、俺の召喚した足場が狐火で溶かされて消える。違う魔術で対抗しようとしても、特殊な結界が張られているのか【浮遊】や【飛翔】などの強力な術は何一つ使えなかった。


 周囲に結界を形成している札などがないか目を凝らすが、暗闇なので何も見えない。破壊するのも当然不可能。


「狐風情が周到な……!」


 ただ呆然と落下の浮遊感に身を委ねるしかない俺に、妖狐がころころと笑う。


「げぇむしようやジェラスはん?『紺牢庵』は狐の檻屋敷。皆が美味しい血ぃを狙ってる♪ウチもあとで行くさかい、ミイラにならんといてや?ご馳走はん……♡」


 暗闇に、響く歌声。楽しい音色。



 ――『とらと~ら♪と~らとら♪』



「ちゃぁんと生きて、出られるかなぁ?」


(くそ……悔しいけど、可愛かったよ……)


「このっ!女狐がぁ!!」




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