第14話 愛しい彼の使用済みスプーン


 私は愛しい『彼』に見送られ、その場から逃げるようにして立ち去った。小高い丘の上、ひっそりと森の脇に佇む屋敷から転がり落ちんばかりに駆けていく。


「はぁ、はぁ……」


(どうしよう……!)


「はぁ……!」


(ジェラスさんがこっち見てるジェラスさんがこっち見てるジェラスさんがこっち見てる……!)


 お見送り!! してる!!!!


 心臓がバクバクと高鳴るのは、私が運動音痴なせいじゃない。この音は――


「はぁッ……!」


 私は胸の鼓動をどうにかして落ち着かせようと抑えつけながら、脇道に逸れて木陰に姿をくらました。


「――【隠密遮断・隠蔽工作ハイド・エンド・シーク】!」


 一瞬にして姿と気配を消して地べたにへたり込むと、杖から使い魔がぽやっと姿をあらわす。白い肌に黒い髪の、十四歳くらいの少年の姿をした私の心を食べる悪魔。


「さっきからうるっさいよ、マスター。いいからその五月蠅い心臓をどうにかしてくれない?折角の『恋』の甘~い風味が落ちるじゃないか」


「あああ!ダメだよ!『恋』だけは食べないで!」


「え~?こんなに美味しそうにドキドキしてるのに?これをお預けされるなんて拷問みたいなものなんだけど?」


「でも!『恋』だけはやめて!あと『愛』も!」


「わがまま……」


「うっ、やめてよスライ。どうして私が悪者扱いなわけ?」


「チッ……」


(舌打ちされたぁ……!)


 あなた、私の使い魔だよね!?


 密かにショックを受けていると、スライはつまらなそ~に槍型の尾先をくにくにと弄る。


「……腹減ったんだけど?何かないの?」


 勝手に出てきて、相変わらずの横暴さ。いくら強力だからって悪魔と契約するなんてやっぱり身の程知らずだったのかな?私はスライのマスターとしてはまだ未熟で『彼』のように使い魔とうまくやっていけていないの。

 人の心を食べるスライにあげるのは、自分の中で切り捨ててもいい『感情』の一部だけ。多分それだけじゃ足りてない。だから、スライはいつもどこかイライラしてる。


「わかったよ。この間感じた『モヤモヤ』と『焦り』ならいくらでもあげるから。あとは『羨望』も少しならいいよ……」


 一昨日聖女の結婚式を見てたら『なんかいいなぁ』って思ったやつ。


「しけてんな」


「それはしょうがないでしょう!?嬉しい感情なんてあげたくありませんっ!『心』をあげすぎて万一大事な思い出を忘れたら、もう立ち直れないもんっ!」


「そういうトキの人間の顔が一番ソソるのに」


 よくもまぁ、いけしゃあしゃあと。


 悪魔ってみんなこうなの?スライが性格悪いだけ?

 『日々の鬱憤を忘れさせてくれる、メンタルカウンセラー!一家に一体悪魔はどうでしょう?』なんて、信じた私がバカだったのかな?


 改めて考えると悪魔と契約しちゃったなんて口が裂けても恩師の先生には言えない。でも、しょうがないでしょう?道端でお腹空かせてるスライを見たらなんだか放っておけなくて、つい契約しちゃったんだから。

 でも、それから数日は『イヤなこと』ぜ~んぶ忘れさせてくれて、本当に快適だった。仕事も捗るし、頭が冴えていいことだらけ!まぁ、いいことだらけだとあげられる感情が少なくなっちゃうんだけどね。


(やっぱり私、利用されてる……?)


 なんだかなぁと思いながら視線を向けると、私のうなじの辺りからもやっとした雲状のものを取り出してパクつくスライと目が合う。 


「ジッとこっち見ても、もうあげないよ!」


「わかってるよ。マスターが廃人になったら新しい『心』も生まれない。それじゃあ本末転倒だ。不味くてもなんでも腹が膨れるうちはそんなことしないって」


「ならいいけど……」


「なぁ、この後どうすんの?」


 そんなこと言われても、非モテな魔女の私に予定なんか無い。

 私は今日『彼』の病気が心配で居ても立っても居られなくって仕事を休んでいた。『彼』の家に押し掛けてしまったのは本当に成り行きで。『彼』の体温測定グラフが赤を示しているのにメイドちゃんが看病に来ないのが心配でどうしようもなくて、ストーキングの最中につい出て行ってしまっただけだった。


「はぁ……まさか勢いで押しかけちゃうなんて。私、何してるんだろ……」


「ほんとそれな。けど、あいつも喜んでたんだからいいんじゃん?何より、マスターの心はここ数日で一番美味しそうだった」


「それはそうだけど……」


 大好きな憧れの『彼』の家にお邪魔してお話して、『家にふたりきり』って言われたときはそれはもうドキッとしたし、その上『またデートに誘います』なんて言われちゃったんだもん、当たり前でしょう?『彼』の家にいるとき、私の心は心臓発作で止まるんじゃないかと思ってた。


「はぁ……風邪ひいてても、儚げなところがよかったなぁ……」


「ほんと盲目的だな」


「『恋』ってそういうものでしょう?」


「食あたりしそう」


「食べることばっかり考えてないで、少しは私に協力してくれないの?あのサキュバスちゃんみたいに」


 不満げに問いかけると、スライはニヤついた表情で私の懐を指差す。


「じゃあ、チキンなマスターに俺が勇気を与えやろう。俺の質問に素直な気持ちで答えな、マスター?」


「え……?」


「そのスプーン、『何のために』持ってきた?」


 その問いに、胸の鼓動がバクバクとうるさくなって、スライは一層楽しそうに舌なめずりをする。そんな私の懐に隠されているのは――



 ――『彼』の使用済みスプーンだ。



 あの、お粥食べるときに使ってたやつ……


「これはその、ええと……洗って返そうかなって……」


「それ、使った奴が言う台詞だぞ?」


「決して持ち帰って飾ろうなんて、そんなんじゃ――」


「――そうなんだ?」


 にやにや。


「あのっ……!別にやましいことをしようっていうわけじゃないの!ただ、『あ、いいな』って思って持って来ちゃっただけで……!」


「へぇ?」


 スライは慌てる私にちらりと視線を投げると、一言――


「……やべぇな」


(わかってますよぉ!それくらい、言われなくたってわかってるもん!)


 この場合の『ヤバイ』は手癖が悪いとか、そういう意味じゃないってこともわかってます!


「どうせ私は粘着気質なストーカーですよ!?」


「その上やばいコレクター。で、どうすんのソレ?」


「え。“どう”って……フツーに保管するだけだけど?」


 もう何もかも開き直って平然と答える私に、スライは首を傾げる。


「いや、好きな奴のスプーン持って帰ってきたんだから、てっきり舐めるのかと……」


「えっ――」



 その発想は、無かった。



「舐めないのか?」


「え――」


 咄嗟に取り出したスプーンと見つめ合う私。


(いやいやいやいや!なに一瞬考えちゃってるの私!?!?)


 顔真っ赤だし!赤くするところ間違ってるよね!?!?

 そんなことしでかしそうって思われてることを恥じるべきであって、想像して照れて赤くなってる場合じゃないよねぇ!?!?


「そんなこと……!」


 『するわけないでしょ!?』と私が言う前に、スライは視線を遠くに向ける。


「やばっ……!早く転移しろマスター!」


「えっ?」


「つべこべ言わずに自宅に帰還――!くそっ、遅かったか……!」


 珍しく動揺した様子のスライ。

 苦々しげに舌打ちした視線の先には『彼』がいた。


「……!」


 転移の術式を発動させようとしても『影踏み』でもされているみたいにその場から離脱できない!私を見下ろす、深い湖のような蒼の瞳。


「……あ。ジェラスさん……」


「先程は、どうも?」


 寝間着姿ではない、いつものローブ姿の『彼』は小首を傾げ、肩付近で銀髪を揺らす。そして、ゆったりと口を開いた。


「ところで――」


 ドキ、ドキ……


「そのスプーン、何に使うおつもりですか?」


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