第1話
「
「その他大勢」のエキストラが似合う女、それが私。
おとなしく、控えめに。
目立たないように。私一人だけ浮きたくない・・・。
そんな気持ちが、元々内向的な性格と相まった結果、自分は遠慮して、「お先にどうぞ」と相手を優先させて。いつも人に譲ってばかりの人生を送ってきた。
「遠慮」とか「譲る」なんていう表現は聞こえがいいけど、結局のところ、私には主体性が欠けてる・・とまでは思わない。だけど人より少なめだとは思う。
内気で、人づき合いが苦手な上に、あまり上手じゃない私は、たぶん存在感そのものが薄いのだろう。
如月さんと初めて話をしたとき、あの人は私のことを知らなかった。
そして私と同じ、あずま興産に勤めている。
如月さんは中東地区の石油採掘権を獲得・交渉する営業部に所属している。その中でもかなりできるエリート社員だと、庶務課の私にも聞こえてくるほど噂されていた。
如月さんと私は、所属している課が違うし、同期入社というような、知り合いになるような共通点もなく、仕事上での接点も無いに等しい。
だから社内のマンモスビル内で会うことも、ほとんどなかった。如月さんが私のことを知らなかったとしても無理はない。
私は元々存在感が薄い方だし・・。
そんな私たちが初めて話をしたのは、梅雨明け宣言があったばかりの、蒸し暑い7月半ば過ぎ。帰宅途中の地下鉄の中で。
しかも内気な私から、如月さんに話しかけたのだった―――。
「き、如月さん?お疲れ様です」
「あ?あぁ、お疲れ・・・失礼だが、どこかで・・・会ったことあるよな」
あぁ、やっぱりこの人は、私のことを知らなかったんだ・・・。
へこみそうになった。けれど最初に、遠回しでも「知らない」と正直に言ってくれたことに、返って如月さんへの好感度が増した。
何より「会ったこと“あるよな”」と肯定的に言ってくれたことが、すごく嬉しかった。
「私もあずま興産に勤めてるんです」
「あぁそうか。それで俺の名前知ってたんだ」
「はい」
「で、君の名前は?」
「あっ!失礼しました。霧野、です。総務部の庶務課に勤めています」
「あぁそう。今日は帰りが遅いんじゃないのか?」
「書類整理に手間取ってしまった結果、残業になってしまいました。如月さんはいつもこれくらいのお時間に帰ってるんですか?」
「たまにかな。定時に帰ることもあるし、もっと遅くなることもあるよ。今日は顧客と会食の予定だったんだが、急遽キャンセルになってね。普段は俺、車で通勤してるんだけど、そういうわけで地下鉄に乗ってるんだ」
「そうでしたか」
「霧野さんはいつもこの地下鉄の線で通勤してるの?」
「はい。私、
「俺も神楽坂なんだよ」
「えっ、ホントに?!」
「うん。とは言っても俺、3月に引っ越してきたばかりなんだ。ほら、2丁目にある高台の新築マンション、知ってる?」
「あーっ知ってます!何気にうちのご近所さんじゃないですか」
まさか如月さんは話を盛り上げようと思って嘘ついてるんじゃない?と思ったのは一瞬だけだった。
だって、こんなことで私に嘘をついたところで、如月さんに一体何のメリットがあると言うのよ?
それに、「高台に建てられた見晴らしが良い、神楽坂2丁目にある新築マンション」は本当に存在すると、近所に住んでる私は知ってるから、少なくともこの事に関して、如月さんは絶対に嘘をついてない。
偶然の一致の連続に驚く私に、如月さんは「へぇ。そっか」と気さくに言いながら、ニコッと笑ってくれた。
「凛々しい正統派ハンサム」と女子社員の間でもてはやされている彼の笑顔を間近で見ただけではなく、それが私に向けられたものだと実感した途端、私のハートがドッキーンと跳ね上がった。
だって私は、如月さんのことが好きだったから。
入社して9年間、私は目の前の彼に、片思い中だから・・・。
地下鉄を降りた私たちは、当然のことのように、それぞれの住処まで一緒に歩いた。
方向が一緒だし、「じゃあ俺(又は私)は用事があるからここで」と別れる理由もなかったのも、偶然の一致だ。
ずっと片思い中の人と、こんな近くにいられるだけじゃなくて、話もできるなんて・・・なんだか夢見てるみたい・・・。
「一人暮らししてるの?」
「え?あ、はい。私の両親はすでに他界してるし、私は兄弟もいない一人っ子だから」
「そう。なんか悪い事聞いてしまったな。すまない」
「いえっそんな、気にしないでください。もう昔の話と言ってもいいくらいだから・・・。母は、私が5歳のときに病死して、父は事故に巻き込まれて亡くなりました」
「いつ」
「私が短大を卒業してすぐの頃でした。だから正直言って、母のことはあまり覚えていないんです。数少ない母の写真は、いつまでも若くて元気そうなままで・・。それから父は、男手一つで私を育ててくれました。父ともあまり一緒にいられなかったことと、これからは私がうんと働いて父を養うことができなかったことが残念で、全然親孝行できなかったなって・・あっ、ごめんなさい!私ったらもう、自分からしんみりしちゃうような話をしてしまって・・・」
「いいよ。話したかったんだろ?俺に」
「え・・・」
「ほら、俺のことは全然知らないわけでもなく、怪しいヤツでもない。適度に知ってて距離のある間柄、って言えばいいかな。つまり、霧野さんが“こいつになら話しても構わない”と思ったとき、たまたま俺がここにいた。それだけのことだよ」
「あ・・・す、すみません・・・」
「いいって。俺には話してもいいんだよ。俺は誰にもしゃべらないから」
「えっ?いや、私はそういうことを気にしてるんじゃなくて・・」
「分かってるよ。このガタイのせいかなぁ。俺は昔っからそういう聞き役?みたいな立場になることが多くてさ。大学のときは“
如月さんは、私の落ち込んだ気持ちを和ませるために、わざとおどけた口調でそう言ったに違いない。
彼の思惑通り、泣きそうになっていた私は、ついクスッと笑ってしまった。
「嘘」
「ホント」
「でも・・分かる気がします。如月さんを見てると、つい話したくなるっていうか・・。如月さんは大柄な体格をしているだけじゃなくて、包容力があるからでしょうね」
「そう言ってもらえると俺も嬉しいな。男は包容力があってナンボだから」
確かに、如月さんは「高校から大学まで7年間ラグビーをしていた」と言っていただけあって、スーツを着ていても分かるくらい、筋肉質で分厚い体をしている。
そんな、壁のようなガタイの良さに包容力が加われば、人はつい、如月さんを頼りたくなってしまうのだろう。
そして私は、その点が、彼の大きな魅力の一つだと思っている。
だから私は、如月さんに惹かれている。
今、こうして話しているだけで、私はますます如月さんのことが好きになってる・・・。
嬉しく、切ない私の片想い。
甘くて苦い、私の恋の味―――。
そのとき私は、「ミャーオ」というような、何かの泣き声が聞こえた気がした。
「あれ?何か聞こえてきませんでしたか?」
「・・・あ。あそこに何かいる」
泣き声から推測したとおり、段ボールの中に、とっても小さな子猫が1匹入っていた。
真っ白な子猫は、初めて誰かに気づいてもらえたかのように、私たちの方に前足を伸ばしながら、ミャーミャーと鳴いている。
子猫の健気で必死な様子を一目見ただけで、私は後先のことも考えず、子猫の方へ駆け寄り、手を伸ばしていた。
そして潰さないよう、そおっと抱き上げると、子猫は小さなボールみたいに丸くなった。
何てかわいい・・・。
私は思わずニッコリ微笑みながら、白く丸い温かな“子猫玉”に頬ずりしていた。
「怖かったんだよね、ずっと独りぼっちで。もう大丈夫・・・あ」
「どうした?こいつ病気か?それとも怪我してるのか」
「え?それはまだ分からないけど・・・実は、うちのマンション、ペット飼うの禁止なんです。犬猫は絶対ダメで・・・どうしよう。つい“もう大丈夫”なんて言ってしまったけど、今すぐ引っ越すことなんてできないし。でも、コロちゃんをこのままにしておくこともできない」
「じゃあひとまず俺が預かるよ」
「・・・え?」
突然の申し出に、私は、私よりも頭一つ分くらい背の高い如月さんの方に視線を向けた。
泣きそうな顔から一変、今の私は呆けた間抜け顔になってるかもしれない。
でもそのときの私は、ただビックリしすぎてそんなことを気遣う余裕は全然なかった。
「俺ん所はペットオーケーだから。ただ、俺は出張で、時々何週間も家を空けることがある。だから一時的にしか預かることはできない。でも心配しなくていい。こいつは両親に世話してもらうから」
「え。で、でもそんな・・ご両親に相談もしないで決めてしまってもいいんですか?」
「いいよ。最近おふくろがさ、“またネコ飼いたい”って言うようになったんだ」
子猫を抱いたまま、「また、ですか?」と聞く私に、如月さんが頷いた。
「昔うち、って実家でネコ飼ってたんだ。長生きしたんだが3年前に亡くなってさ。老衰だったんだが、家族の一員が亡くなったも同然で、おふくろはかなり気落ちしてしまって。“もう二度とペットは飼わない”って言ってたんだが、また生きものの世話をしたい気持ちが強くなって来たんじゃないかな。俺としては嬉しいことだし、たぶんおふくろも、もちろん親父も喜ぶと思う。ちょっと待ってて」と如月さんは言うと、スラックスのポケットからスマホを取り出して、電話をかけはじめた。
「もしもし?俺。実はさ、ネコ見つけたんだ。まだ小さい。それに真っ白で、・・・・・・うん、分かった。じゃ・・ああ、ちょっと待った!母さん、こいつの名前“コロ”だから」と慌てて言う如月さんを見ながら、私はクスッと笑ってしまった。
スマホをポケットに直しながら「良かったんだろ?コロで」と聞く如月さんに、私はコクンと頷いた。
「だって、コロコロした感じだから。・・・ダメ、ですか」
「いや。いいんじゃね?ただ“ヨネ”も捨てがたいなぁと思ってさ」
「え。どうして“ヨネ”なんですか」
「白米みたいにちっちゃくて白いから」
私たちは顔を見合わせ・・・ゲラゲラ笑った。
それから私たちは、如月さんが住む新築マンションの駐車場へ行き、彼の運転で、一番近くにある動物病院にコロちゃんを連れて行った。
一通り診てもらった結果、「衰弱しているようなのでエサをあげてください」と言われた私たちは、獣医さんにお礼を言って、そこを後にした。
それからスーパーで数日分のキャットフードを買って、如月さんは私を
コロちゃんは、私たちが見つけたときに入っていた段ボールの中で、すやすや眠っている。
お世話してくれる人が見つかって、コロちゃんもホッとしたのだろう。
私はコロちゃんを見て微笑み、そして運転席の如月さんにも微笑んだまま「今日はどうもありがとうございました」とお礼を言った。
「もし如月さんに会ってなかったら、私・・途方に暮れてただけでした」
「こいつが命拾いしたのは俺のじゃなくて、霧野さんのおかげだから」
「でも、私はコロちゃんを見つけただけで、結局、如月さんが後全部引き受けてくれた形だから・・・あの、何かお礼をさせてください」
「うんまぁ、それは考えとくよ」
「あ・・はい」
如月さんはこれ以上、私と関わりたくないのだろう。
ある意味、如月さんにとって私は、トラブルを持ち込んだ疫病神的存在だろうから・・・。
これが現実。認めなくちゃ。
それでも私は、自分自身に失望した素振りなど顔に出さずに「それじゃあおやすみなさい」と言うと、サッサと車を降りた。
私がドアを閉める間際、「気をつけて」と言ってくれた如月さんの安定した低音が、体中にジンと染み入った。
何だか、悲しいけどそれ以上に嬉しい。ヘンなの。
私は、「如月さんもお気をつけて」と言って一礼すると、一人暮らしの住処に向かって歩き出した。
私の目には、自分の「ヘンな」気持ちを表すかのように、うっすらと涙が光っていた。
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