第8話 奏

奏、優紀、綱嶋と円になって向かい合う。重々しい空気が流れる中、奏が口を開く。


「私ね。もともとは男だったの。体はね。」

「体は……。つまり、トランスジェンダー、ってことですか?」

「そう。よく知ってるわね。」


奏は切なげに微笑む。


「なんだ、トランスジェンダーって?」

「綱嶋ぃ、こんだけ付き合いあるのにあんたってば……。」

「ト、トランスジェンダーというのは、簡単に言ってしまえば生まれ持ったからだと自分の認識している性が異なる状態を指す言葉です。」ですよね?と奏に目をやる。

「そう。よく知ってるわね。……もしかして、もう一般的に知られるようになってるの?」

「ええ、ここ数年の話になりますが……最近は生まれ持った性の多様性というものについての話し合いは盛んに行われてまして、認知度は上がっていると思います。」

「そうなのかあ。もし貴女のような子とここじゃなくて向こうで会えてたら……もしくは生まれるのがもう少し遅ければ何か違ったかもなー……。」

「どういう意味です?」

「貴女わりと容赦なくずばずば聞いてくるわね。……ただの、私の周りには理解ある人間がいなかったって話よ。」


「私、ここに来たのは一年前なんだけど、実を言うとその理由ってのは首括ったからなのよね。」

「えっ……。」

「きみ、相変わらず突然ぶっこむなあ。」


だって何の準備も無しに突然こんな話しろって言われた私の身にもなってよ、と綱嶋に怒る奏を見て、優紀は信じられない思いだった。こんな姉御肌で明るい人が?……しかしほんの少し前の狂気じみた瞳を思い出し身震いする。


「そ、それってなんで……ですか……。」

「……異質なものは迫害を受ける。私は周りに受け入れてもらえなかった。男であることを強要され、親兄弟からも、学校や職場でもいつも後ろ指刺されていつ何をされるかわかったもんじゃないって恐怖に怯えて暮らしてた。私は私として受け入れてはもらえなかった……。」

「ご家族も、理解してくれなかったんですか……?」

「うん。家族なんて血が繋がってるだけの赤の他人よ。そんな異質なものと血が繋がってると思うと嫌だったんでしょうね。白々しい目で見られるわ、のけ者にされるわ、お前はおかしいんだって真正面から言われたこともある。……だから、家族の絆なんてもの、私は信じない。」


だからあの時、「家族がいるから」帰りたいといった自分に帰りたい理由じゃなくて帰らなきゃいけない理由はあるのかと聞いたのか、と今更ながらに気づく。


「自分を偽って生きる事もできた。でも、そんなことをして仮面被って生きる意味ってある?私は私という人格を持って生まれてはいけなかったの?私は私でいたかった。でも周りは皆そんな私を拒絶した。皆、皆自分らしく着飾って楽しそうにして生きてるっていうのに、そういうやつらに否定され続けたのよ!

……だから私は、こんな息苦しい世界も私ももう切り離そうと思って、括った。……そうしたら、目が覚めてここにいた。ここは皆自分の楽園を作ってるのよね。だから、ここには迫害がない。自分のところだけで満足しているから。後ろ指をさされることもない。他人に興味もないから。そしてここに来たことによって私は私の体を持てた。私にとって、ここはまさしく桃源郷。向こうの体が死ぬまでだからいつまで続くかわからない。もって数年かも、あと数分かもしれない。それでも桃源郷に転生したのと同じことよ。」


だから、私は決して帰らない。ここにいる理由はあるけど、向こうへ帰る理由もわざわざ自分から次の生へ行く理由もない。そう言い切った奏は、凛々しい顔をしていた。


……優紀はしばらく声が出なかった。自分の中を渦巻いているこの感情をどう表現したらいいのかわからない。ただただ胸が苦しかった。


「……でも、いきなり帰らなきゃいけない理由を言え、っていうのも無茶を言ったわね。ごめんね。」


言葉も出ない優紀に、奏は優しく声をかけ頭を撫でてくれた。その手はひどく華奢で、改めて見ると奏は美人な顔つきとあまりにも女性的な体つきをしていた。つい涙がぼろぼろと零れ落ちる。「あらあら、よく泣く子ね」といって涙をぬぐってくれるので更に溢れ出る。どうやって整理をつければ収まるのか、その術を優紀は知らなかった。なぜこの人がそんなに苦しまなきゃいけなかった。なぜ誰も手を差し出さなかった。なぜ。なぜ。……「なぜ」という一単語が頭の中をぐるぐると動き回っていて、なにも考えがまとまらない。


「……奏さん。」

「なあに?」

「……私、なんか悔しいです。」

「あらそう。それはよかった。」

「………良かった?」

「そりゃあ、これだけのイイ女が昔話させられてたっていうのに何も響いてなかったらこの家から蹴り出すところだったから。」

「……もう。そりゃ酷いですよ。」

「当然の権利だと思うけど?」


そういって二人でふふふと笑いあう。


「それで、私がもともと言いたかったこと、わかった?」

「……はい、そういった世界に帰って、またこちらに来たくなるような覚悟ではいけません。帰りたいというのであれば硬い意志でもって、帰らなきゃいけない理由を探しておけ、ってことですよね。」

「正解。後悔するような真似はしちゃだめよ。」


良い子ね、とまた頭を撫でられる。今までの話を聞くと、奏は本当にたくましい人間だ。芯のすっと通った人間。それがこんなところに来るような、そんな世界に私たちはいた。そして私はそこへ帰りたいと願っている。……ここへ転生している場合じゃない、帰らなきゃと焦るこの気持ちは、いったい何に突き動かされているのだろう。それを明らかにするまでは、まだ帰れない。

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