福は外、鬼は内
桜々中雪生
XXXX.2/3.8:32~21:46
8:32
「おはようりっくん。今日は節分だねっ」
開口一番、姉・
「お外にもおうちにも、お豆たくさん撒こうね。楽しみだね!」
「おまめまく! おにさんやっつけるー!」
「おおっ! その意気だぞりっくん!」
姉弟は、仲睦まじく、今夜行う儀式を楽しみに待っていた。
* * *
18:15
姉弟は、やや紅潮した顔で、片手には豆のこんもり入った枡を持ち、
「おねえちゃん……」
声を潜めて会話をする。
「……そろそろだね、りっくん……」
二人は緊張した足取りで、抜き足差し足、玄関へと向かう。ちょうどその時、玄関の鍵がガチャリと回り、ゆっくりとドアが開かれた。そこに立っていたのは――赤鬼。鬼の右手は、二人の母親の首に回されている。
「はははははは……お前らの母親は俺がいただく!」
くぐもった低い声で鬼が言うと、それに呼応するように母親が叫ぶ。
「紋芽、陸、逃げてっ。お母さんのことはいいから、早く……!」
「うん、わかった……なんて言うわけないじゃん! よーし、りっくん行くよ! ママを助けよう!」
「うん! とりゃーっ!」
えいっ、えいっ、と枡一杯に入った豆を、これでもかと鬼に投げつける。
「ぐわっ、いてっ! いてて! ま、豆を撒くのは勘弁してくれえー」
「あ、痛っ。ちょっと、あんたたち、もう止め……痛ぁ!」
母親にも少なからずとばっちりを喰らわせていたが、それも一興だろう。枡の中の豆をすべて投げ終えると、鬼は「やられたー!」と母親を放し、再び玄関から出ていった。それを最後まで見届けて、紋芽は、汗ひとつない額を袖で拭った。
「ふう……。今年もおうちの平和を守ったわ……」
「おねえちゃんつよかった!」
「ありがとうー。りっくんもかっこよかったよ!」
「ただいまー。お、今日はみんなでお出迎え?」
と、そこへ父親が帰宅して、何食わぬ顔で尋ねる。
「パパ! あのね、ぼくね、おにさんやっつけたんだよ! おまめ、えーいってして!」
「そうかー! お母さん守れて偉かったなあ」
先ほど襲ってきた鬼の正体を知らず、誇らしげに今起きたことを話す陸を、両親も紋芽も微笑ましげに見つめていた。
* * *
18:27
鬼は退治した。次に、見えない厄を祓い、福を呼び寄せる儀式へ移った。姉弟は再び枡を豆で満たし、外へ出た。「鬼はー外、福はー内」と決まり文句を呟きながら、庭先へ豆を撒いていく。ところが不意に紋芽が「福はー外、鬼はー内」とあべこべなことを言い始めた。
「おねえちゃん?」
豆を撒く手を止め、陸はきょとんと紋芽を見上げる。
「どうしてはんたいのこというの?」
「いつも同じじゃつまんないでしょ? “幸せ”なんていいから、“鬼さん”遊びに来て、ってことだよ」
「おにさんあそびにきてくれるの?」
陸の顔がぱっと輝く。ただふざけて言ってみただけだった紋芽は、少し後ろめたいような気持ちになり、その埋め合わせのように余計なことを口走った。
「うーん、りっくんも一緒にやってくれたら、もしかしたら来てくれるかもね?」
「ほんとう!? じゃあ、ぼくもやる!」
陸は幼さゆえの純真さでもって姉の言葉を信じ込み、姉とともにあべこべを唱えた。「福は外、鬼は内」と。
* * *
21:04
はしゃぎ疲れたのだろう、「もしぼくがねてるあいだにおにさんがあそびにきたらおこしてね。やくそくだよ?」と念を押して、陸は早々に寝てしまった。
弟とは対照的にまだ目が冴えている紋芽は、弟を寝かしつけた後、風呂場へと向かった。
ざぷん、と湯船に浸かり、紋芽は息をついた。
七つ下の弟はとても可愛い。愛しいとは思うが、正直なところ、ずっと遊び相手をするのは疲れる。
(鬼が遊びに来るわけないのに、莫迦だなあ……。それが可愛くもあるんだけど)
疲れたけれど、陸が寝たから今日はもう終わりだ。明日の朝は適当に、「ごめんね。昨日はお姉ちゃんも寝ちゃって、起きたらもう鬼さんいなかったの」とでも言っておけばいい。もしかしたら癇癪を起こしてしまうかも知れないけれど、泣き疲れて寝てしまえば忘れるだろう。
そこまで考えたとき、紋芽の全身は怖気立った。
(な、何……っ?)
音を立てて立ち上がる。
初めての感覚で、紋芽にはそれが一体何であるのかわからなかった。
それは強い視線だった。まるで飢えた獣のような。
しかしその恐怖は一瞬だった。次の瞬間、射るような視線もろとも風呂の外のどこかから漂っていた気配は消え失せた。
(何だったんだろう……)
とはいえ、一度生まれた恐怖はそう簡単には小さくなってくれなかったので、濡れた身体を拭くのもそこそこに、紋芽は浴室を後にした。
* * *
21:46
特にすることもなかったので、紋芽ははっきりとした頭のまま姉弟の部屋へ向かった。陸は下のベッドで規則正しい寝息を立てている。紋芽はそんな弟の可愛らしい寝顔を見て、上のベッドに上がる。そして見るともなしに天井を向く。いつもと同じ木目の天井。ずっと眺めていると、冴えていた頭も次第にぼおっとなり、催眠術にかけられたように、紋芽は眠りの淵へと沈んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます