教師への失望と私の科学
表之裏
はじめに このエッセイを書くにあたって
私は教師が嫌いです。とはいえ学生に教師が好きかと聞いて、迷わず好きと答えられるのは恩師がいて本当に教師が好きな一部の人だけで、大抵の人は嫌いと答えるんじゃないかと思います。
好きの反対は無関心と耳にすることがありますが、私も以前までの「嫌い」は実際には無関心でした。もちろん好きではないし、「嫌い」である理由についても明確に示すことができる程度の経験はありましたが、だからといって教師に対して何かしようとも思わない、そんな「嫌い」が今の私にとっては「無関心」であったと感じられるわけです。
私は以前教師を目指していました。とは言え何かいい思い出があって教師になりたいと志したわけではなく、親が私に教師になってほしいと望んでいたこと、貧しい家庭だったので収入の面から目指していたというのが大きな理由です。
特に収入に関しては奨学金の説明会の記憶が強く残っています。田舎の公立高校の進学クラスだったのでクラスメイトの親には教師が多く(田舎あるあるだと思いますが、都会のように大手進学塾があるわけでもなく、数少ないお金持ちの子供は私立に流れてしまうんですよね。さらにはいい大学に行った人は田舎には戻ってこなかったりと、教育熱心な家庭は教育関係者であることが多いというわけです。)、比較的裕福な家庭が多かったのか私の他にもう一人が説明を受けに来ていただけでした。普段クラスメイトと家庭の事情について話すことなんてなかったので、教師の家庭との経済格差を思い知らされているようで少しへこんだのを今でも思い出します。他のクラスは大半の生徒が参加していたこともこの思いに拍車をかけていたと思います。
そんな高校生活も終わり、将来の夢も特になかった私は理系の大学に進み、就活の厳しい理系ということで親の半ば強制的な願いもあって教職の授業を取ることになりました。そして、私自身かなりのコミュ障かつ、自己アピールの苦手な人間なので就活の不安などから教師になることを第一目標に生活するようになっていきました。
しかし、確固とした意義を自分の中で見出すこともなく始めてしまったが故に、逆に何故自分が教師を目指すのか次第に悩むようになっていきました。これに関しては教職の授業自体、学部の授業+αで受けていて忙しかったこともあると思いますが、ただでさえコミュ力について悩んでいたので自分のやってることの正当化・理由付けがないとやってられなかったんだと思います。少し前にも書きましたがそもそもが好きでなろうとした職業ではなかったのでその他にもいろいろとストレスがたまることは多かったんだと思います。
特によく考えていたのは専門科目(私は生物でした)で何を教えたいのか、そしてどんな教師になりたいのかということです。今まで面白い教師、わかりやすい教師、そしてその逆といろいろな教師から授業を受けてきましたが、私にとって面白くわかりやすい授業はその目的や意味がはっきりしていたと感じています。
私は自分自身がなぜ教師を目指すのか悩んできたこともあって、学ぶ意味というのはというのはとても大切だと思っています。授業に関してもただ教科書の通りに教えるだけだったら一人でもできるわけですし、今日教える内容は何に使えるのか、学ぶことによって何が変わるのかなど、専門家である教師が実際に経験してきた知識の意味を伝えることで初めて生徒は何を学ぶのか理解するのだと思います。
宿題も同じですよね。計算問題や漢字の書き取りに関しては実際に使う機会が多いこともあって、より早く計算できるようになること、漢字を覚えることなど明確に目的を理解して取り組めている人が多いと思います。私も当時は面倒くさいと感じていましたが、面倒くさいと感じながらもその重要性は生活の中で自ずと理解できます。誰しも買い物をするとき、本を読むときなどで困った経験はあると思います。そういった経験があるからこそ面倒くさくても続けられるわけです。
一方で、自由研究はどうでしょうか。仮に自分自身が教師になり、その時に必要と思って生徒に課す機会があれば話は変わるかもしれませんが、私は自由研究の目的が理解できません。
私は理系に進んでレポートを書く機会や論文を目にする機会があったので自由研究の形式に関しても、自分なりの解釈ではあるものの説明できます。しかし、小中学校の教師や保護者の全てが自由研究の目的、必要性を理解できているとは思いません。少なくとも私の親は理解していませんでした。そして、私が経験してきた自由研究の課題は理解したうえで課されたものではありませんでした。実際に多くの生徒は「面倒くさい」だけでなく、「何故こんなことをしなければならないのか」と疑問に思いながら取り組んでいると思います。私自身は昔から理科が好きだったので自由研究はそれほど苦痛ではありませんでしたが、それでも当時の私は自由研究の形式への理解なんて乏しかったし、しっかりとその説明を受けた記憶もありません(私の記憶力不足かもしれませんが、そうだとしても理解できていなかったのでどのみち一緒です)。理科の嫌いな友達はもっと理解できていなかったと思います。
自由というワードも気に食わないですよね。理系の大学生の研究ですら教授から課題をもらって行うのに、科学に興味のない子供に自分でテーマを見つけろと課題を出して苦労しないはずもないわけで、実際に多くの生徒や保護者がテーマ選びで悩まされたはずです。
もし自由研究に価値があるとすれば、論理的文章の書き方がどのようなものであるか、そしてその意義を生徒が理解している前提で、かつ生徒が簡単に疑問のテーマを見つけられるような知的探求心を持っていると判断できた場合に、実際に論理的文章を書く経験をつませて問題解決能力の向上を図ることを目的として行われた場合だと思います。そうでなければ宿題としてではなく教師がそばについて説明しながら行うべきであり、夏休みの宿題として何も考えずに投げてしまうと、結局何も学び取ることもなく時間を無駄にしてしまうだけになってしまいます。
私が経験してきた夏休みの宿題はおそらく、どれだけ完成度が高いものを提出するかによって、保護者の能力と子供の教育への関心度の高さを測るものであって、子供の学力を伸ばすためのものではありませんでした。
最近宿題代行会社なるものが流行っていると聞きますが、私は生徒だけでなく他ならぬ保護者が宿題に価値を感じていないのかと悲しくなりました。本当に日本の教育はどうかしていると思います。そういった企業に頼る保護者を非難する声もあるようですが、私はその責はそういった企業に頼る保護者にあるわけではなく、全て教師にあると思います。「お金を払ってでも無駄な時間を使わせたくないと思わせるほど、宿題は無価値なものである」と保護者に思わせたのは教師であり、もし宿題を子供にさせたいのであればまず保護者を納得させるのは当然のことですよね。宿題代行業者に頼む親の多くはその時間を受験勉強に充てるようですが、目的のわからない宿題をするよりはよっぽど理論に基づいた、参考書を読んでいたほうがためになりますよね。
そして授業において大切なのは、その教科の専門家である教師がどうしてこの内容を勉強するのかということを教師自身の言葉で生徒に説明するということだと思います。それは教師自身の経験から来る生活に基づいたものであればなお良いと思いますが、数学などは内容によっては関連付けにくいかもしれません(それでも専門職だったら使う必要があるので、使われていない知識でもありませんが私の専門ではないので深く考えたことがないです... 工学系の中には大学に行っても専門科目で微分積分を使う学科もあるようで専門の人は必要性をわかっていると思います)。その点私の専門は生物だったので考えやすかったのかもしれません。生物の内容は自分たちの生活に関わっているものが多いので無駄になりにくい、と生徒に思ってもらえるようなことをよく考えました。
また授業と直接関係ないような雑談でも、「私はこんな失敗をしたけど、君たちには同じ失敗をしてほしくない」という意味のこもった、教師自身の失敗経験だったり、成功した話だったり授業の面白い教師はそういった話が多かったように感じます。逆に面白くない授業は教科書を読み上げるだけだったり、教訓のない自分語りばかりでした。そうした何気ない話の中にも何を伝えたいのか目的をしっかり持っていることが大切で、普段からそうして目的を持って話すこと、オチを用意して話すことが教師には必要なんだと考えていました。
しかしそんな考えも今では無駄になってしまったわけで、私は教師になることを断念しました。経験して初めて気が付きましたが、やはり人間は苦手なことを続けているとふとした拍子に心が折れてしまうようで、ある日突然家から出られなくなり大学に行けなくなりました。
きっかけは教育実習前のトラブルで、夏休みに大学からかかってきた一本の電話がことの始まりでした。忙しかった大学3回生の前期も終わり、息抜きの旅行から帰ったすぐ後にかかってきたこの電話は本当に想定外のもので、私の人生のターニングポイントでした。
「実習の内諾書が届いていない」と電話越しに伝えられた時、真っ先に疑ったのは郵便局でした。内諾書は高校側の都合で平日に手渡しで届けに行かなければいけなったのでその時の状況はよく覚えています。前期の授業は忙しく、平日は毎日しっかり入っていたので予定を入れるのは大変でした、丁度学科の実習期間でその他の授業がその週は休みだったので空いた一日に、往復5000円片道4時間の道のりをそのためだけに帰りました。内諾書も何度も入っていることを確認していて、高校から帰る前にしっかりと渡したかファイルの中身を確認したので、高校側に渡した確信があった私は大学にそのことを伝えに行って実際に高校に行った際にもらった要綱を見せたりして事情を説明し、大学側には信じてもらうことができました。
そして、学側から高校に確認を入れるということで話は終わるかと思いましたが、高校側の返答(担当教師)は渡されていないでした。再び大学から連絡があり、私のほうでもう一度連絡を取らなければいけないということになり、そのころには夏休みも終わり授業も再開ということで内諾書が必要な授業だったのですが特例で授業自体は受けていました。
そのころには、かなりストレスもたまっていて電話をかけるまで少し時間が空きましたが、その期間に探してくれていることを祈りつつ実際に高校に電話をかけてみるとやはり返答はないとのことでした。そして、もう一度内諾書を大学から貰って郵送してくれと言われました。正直そこで終わっておけばかなりストレスは溜まっていたとは思いますが、腹が立つ話で終わっていたと思います(その教師は4時半には帰っているらしく、私の受けている大学の授業とあちらが教える授業との関係で電話が繋がるまでにも何日かかかったこともストレスの原因ですが...)
その後ふて寝をしていたのですが、20分後くらいに電話の音がして、とってみると相手はさっき話したばかりの教師でした。私はその時の教師のへらへらとした口調の一言を一生忘れることはないと思います。
「ごめんごめん、普段探さないところ探したらあったわ。」
その一言があまりにも信じられなくて、最初に口から出た言葉は「は?」でした。目上の人への言葉遣いもすべて忘れて少しの間ぼーっとして、その後なんとか「わかりました、お願いします。」とだけ答えて電話を切りました。多分、一度も探していなかった。そう確信してしまうほどに男の口調は軽かった。そして、その一週間後には内諾書が届いたと大学から連絡があった。
反省した様子のないへらへらした口調が、ごめんごめんと二回も言うところが、普段探さないところ探したらあったわという意味の分からない幼稚な言い訳が、わずか20分で見つかったのに夏休みからここまでかかったこと、その全てが意味不明で許せなかった。
こっちはこの男がなくして何とも思っていなかった紙きれ一枚に将来がかかっているのに、多分こいつは明日には全て忘れてのうのうと生きていく。こんなことをしても責任を取ることもなく公務員として悠々と暮らしていける、そんな事実が私の考えてきた目的と今までかけた時間を否定しているかのようでとても悔しかった。
いい年した大人がミスをしてもちゃんと謝れず、平気で人に責をなすりつけ、あまつさえ多くの生徒に社会を説ている。こんな男が社会の代表として生徒に何かを教えていることが信じられなかった。
願書をなくされた生徒は多分こんな気持ちだったんだろうなとどこか他人事のように思ったりもしました。モンスターペアレンツと呼ばれる保護者の気持ちに触れたようにも感じました。もし、私に子供がいたらこんなやつらに大切な子供を預けなければいけないなんて信じたくありません。いじめもなくならないわけですよね。こいつの頭に仕事への責任なんてないわけですから。
元から教師は嫌いだったけど、多分ここまで酷いものではないとどこか教師を信じている部分が私にはあったんだと思います。多分この時、私の中の教師という存在が変わりました。このときから今まで疑問に思わなかった様々なことにばかり目が行くようになりました。
いじめは傍観者も加害者なんて言葉があります。大学の授業でも取り上げられていました。私自身いじめのようなものを受けていた経験があるので、いじめだけは絶対に起こしたくないとその授業を聞いて思っていました。でも、違いました。確かに加害者からすれば傍観者も加害者みたいなものでそれを被害者が語るのは一切間違っていないと思います。しかし、教師だけはその考えを持ってはいけないんだとあれ以来感じています。いじめは全て教師のせいです。親から子供を預かり、責任をもって育てる、そんな暗黙の了解があるにも関わらずいじめが起きてしまったのは教師のせいです。ご飯の時、プリントを作るとき、職員室で同僚と話しているとき生徒から目を離していなければいじめは起きなかったかもしれないのに。
そして、なにより教師の責任逃れの言葉ですよね。いじめが起きても傍観者すら悪者にされて、スケープゴートにされて、肝心の教師への責任が軽くなってしまう。失敗が許されるのが学校のはずなのにそれを許さず、止められなかったのは教師です。何にでも優劣をつける学校においてスクールカーストができるのは当然のことです。それなのに生徒のせいにして生徒の心に傷を残す。加害者も子供です。失敗はあります。それを止めるのが教師の仕事なはずなのに。
そして、そんなことにも気付かずに教師になろうとしていた自分になにより失望しました。いじめのニュースを見て加害者に憤っていた私ではダメだったわけです。私は教師には向いていませんでした。コミュ障であるとかそんな悩みの前にそんな簡単なことに気付かなかった私には恐らく学校という環境でいじめを止めることはできなったでしょう。
そして今まで悩んできた自分自身の問題など霞んでしまうほどに、同じ教師との問題が大きいことに気が付きました。今までにも頭のおかしい、そして理不尽な教師は何人も見てきました。朝読書で、教師にクラス全体にラノベをさらされた友人もいました。そしてそいつは怒ると物に当たっていました。大学受験前のテストで教科書の文章を丸暗記していないと時間も足りず、正答できないようなテストを作ってくる教師もいました。もちろん、文法問題は皆無で。他のクラスは内申の底上げのためか平均90点なのに対し進学クラスでは平均が30点を割っていました。なのにテストの順位は同じ土俵の上でした。カリキュラム上は半年早く理系科目を終わらせるはずなのに、むしろ模試の範囲より遅れている教師もいました。授業の内容もほぼ教科書を読み上げるだけで、途中からは全員自習で模試対策をしていて授業は誰一人と聞いていませんでした。その授業中に、クラスで一番まじめな人が机の下で英単語を見ていたのが印象に残っています。他校との勉強交流会で、クラスの優秀な生徒に断られたからと無理やり連れていかれたこともありました。その教師は担任でしたが、同時に部活の顧問だったので私たちに拒否権はなく同じ部活の3人と、部活は違うものの仲の良かった友人が連れていかれことになりました。勝手に名簿に書かれていたのでどうしようもありませんでしたが、私が悪いわけでもないのに巻き込まれた友人には本当に申し訳なく思いました。「こんなくそ教師が顧問でごめん」と。
最後の電話以降そんな記憶ばかりが頭によぎり、そのたびに怒りがわいてきました。それ以前は仕方ないことかと思っていたのか、特に思い出すこともありませんでしたが、今ではふとした拍子に思い出しストレスが溜まります。私はこんなことが当たり前で仕方がないことだと思いたくありません。
こんなやつらと同僚になってのうのうと生きていきたくはありませんし、生きていけるとも思いませんでした。どのみち途中で心が折れていたでしょう。でも、同時に自分の大学で過ごした3年間に何の価値があるのかわからなくなってしまいました。教師になるために授業を受け、バイトを探し、いろいろと考えてきましたが、私にとってあの電話はその全てが無価値であると嘲笑われているかのようにさえ感じられました。
そうして、私は教師に失望しました。そして自分自身にも。
このエッセイでは、こうして教職をやめる前、そして後に考えた科学に関する疑問、そして学校についての私の考えを書いていきます。学校の制度に関してはただの愚痴になってしまうかもしれませんがお付き合いいただけると幸いです。そして、このエッセイが科学に苦しめられる人や、学校生活に悩む人の助けになればと思っています。私自身こうして自分の考えを書くことで気持ちの整理や、これからの生きる道を模索できたらなと思っています。
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