1話 ドラムのキックは心拍音 ③
大雨が過ぎ去った後というのは、決まって晴天になる。
雲が薄く散らばっている。水色と白が混じったような春の空と、雨水に打たれ、心なしか生き生きとしている鮮やかになっている植物達。地面から漂う雨の残り香と、朗らかに地面を照らす日光に包まれた場所を、とぼとぼと二人で歩く。
和兎の家を出てすぐの場所に、河川敷のように一段上がった一本道がある。和兎の学校から家まで続く、長い、長い一本道だ。
急いで外に出た二人の勢いは長く続かず、ただ、小鳥のさえずりだけが響く沈黙の中、和兎が不意に、口を開いた。
「どうして――」
「はい?」
「どうして、ここに来たんですか?」
当然の疑問を和兎は口にした。龍真は困ったように後頭部を掻いた後、苦笑いをし、漏らすように答えた。
「あー、いや。別にここじゃないといけないからここに来たって訳じゃないんですよ」
「……?」
「まぁ……。家出?」
龍真は困ったように、へらっと笑った。てへぺろ、とでも言いたそうな顔だった。
「…………」
思わず和兎は真顔で黙ってしまう。
龍真は弱ったように、言葉を漏らした。
「いや、黙らないでくださいよ……」
「あ、あぁ、いや、はい」
和兎はこれ以上にない適当な返事を、龍真に返した。
あまりにも現実から離れていた。和兎は龍真を問いただすか悩みはしたが、それを実行に移すことはなかった。
(まぁ、後ででいいか……)
適当に、言い訳をするように疑問を押し込み、悶々としている和兎を気遣う様子など全く見せず、龍真は和兎に問いかけた。
「――そういや、俺たちってどこに向かってるんですか?」
和兎達は、方角で言うのなら、東側に向かっている。
左手には森、右手には開けた田畑と、一軒家がぽつぽつとあるだけだ。
「えっと……。この道をもう少し進んだ所に、商店街があるんですよ」
和兎は一度立ち止まると、進行方向にある、割かし近い方の山を指さした。
「……んぁ?」
龍真は和兎が指を刺した方に視線を飛ばす。だが、龍真の視線では何も確認できなかった。和兎が龍真の戸惑いに気付く様子は一切ない。
「まぁ、人はほとんどいない寂しい商店街なんですけど、雨が凌げそうな場所はそこ以外は考えにくいので」
龍真は思わず和兎に問うた。
「……遠くないですか?」
「そうですか? 意外と近いですよ」
「ふぅん……?」
龍真は自分を騙すように何とも言えない言葉を漏らした後、和兎の指さす方向へと、歩き始めた。
進む。進む。ただ、まっすぐ進む。
包むような広さの青空と、のどかな暖かさに包まれながら、進む。
他愛のない話を何回も何回も繰り返しながら、和兎と龍真はようやく、距離感をつかみ始めていた。
やがてふと、和兎はある話題に行き着く。
「東京は……。一体どんなところなんでしょうか?」
「んぁ?」
片方の眉を上げて、半分呆れるように龍真は和兎の方に振り向いた。
「いや……。僕はこの町から出たことがないので、その……。興味本位、と言いますか……」
何だか不機嫌そうな気配の龍真に対して、和兎は弁明するように言った。
龍真は、あぁ……。と、納得したような言葉を漏らしてから答えた。
「確かにここにはないモノがたくさんありますけど……。まぁ、なんつーか、毒? が多いんで、なんとも。俺はこっちの方が好きですけどね」
「……そういうもんですか?」
否定的な龍真の意見に戸惑った和兎は、話題を逃がすようにあっさりとした言葉でまとめた。
「そういうもんすよ」
吐き捨てるように、龍真はそう締めくくる。
何だか触ってはいけない場所に触ってしまったみたいで、和兎は居心地の悪さを感じていたが、龍真はあっさりとその雰囲気を切り離し、和兎に振り向くと、
「……長くないですか? 商店街まで」
そんな弱音を漏らした。
||||||||||||||||||
和兎と龍真がその商店街についたのは、昼をすっ飛ばし、周囲がだんだんと夕陽によって橙色に染まりつつある時間になっていた。
「よ、ようやくついた……」
膝に手をつき、ため息を漏らしながら龍真は零した。
「だ、大丈夫ですか?」
振り向いて龍真にそう尋ねる。
龍真は息も絶え絶えの状態で答えた。
「ま、まぁ大丈夫だ。さぁ、探そうぜ」
明らかに無理をしているが、和兎はそれを止めることができなかった。
寒い。
冬は完全に過ぎ去り、これから夏にかけてどんどん暑くなってゆくはずなのに、ここは全く反対の印象を受ける。温かな橙の色に照らされているのは、錆びつき、色あせたトタンと、黒ずんだ木材だけだ。
人の気配など全くなく、また、山と小高い丘に位置するせいか、夕方の光を受けれず影に呑まれてしまう場所の方が多かった。
別世界に迷い込んだような雰囲気のここの商店街の住民は、苔だらけの地蔵と、野良猫たちだけ。
……相当に入り組んだ商店街だった。
あの一本道とは対照的に、屋根なんていくらでもあるし、二人を惑わす枝道もたくさんあった。手当たり次第に探した所では、見つかる物も見つからない。
次第に、夕陽はもう、半分以上沈み切ってしまっていた。
二人は今、商店街の外れ、山肌に張り付くようにある、小さな広場に続く階段に座っている。もう、ギターを探すことができないくらいに、日が沈んでしまっていた。
どんよりとした空気が、二人の間に漂っている。
「すいません。俺がよく分からない所に荷物を置いたばっかりに」
「いや全然……! 僕の方こそ、何も力になれずに」
ため息の一つでも付きたくなる状況だ。
商店街があまりにも広すぎるし、屋根なんて抽象的で全く分からないし、そもそもここら一帯にあるかもしれないというのもおかしな話だし。
二人は打ちひしがれていた。
しかし、その中で、二人の間に信頼が生まれているのは確かだった。
長い事、同じ目的と時間を共有したからだろうか、それとも、お互いにこんな長い時間付き合ってくれるとは思わなかったからだろうか。
何となくの気まずい雰囲気でも、これ以上雰囲気が悪くなり、ギスギスすることはなかった。
「あのギターは……、貰い物なんですよ」
不意に、龍真が口を開いた。
「……貰い物?」
思わずそう聞き返す。
龍真は少し、懐かしそうに、切なそうに笑って答えた。
「はい。……あるとき、急に渡されまして」
「…………」
和兎は、自分の腹の奥底から苦い無力感が喉元まで這い上がってきた。
ここに住んで長いというのに、なにも力になることができなかったからだ。
そんな和兎を気遣ってか、龍真はわざとらしく笑った後、続けた。
「あーっと。この話はやめにしときましょうか。――というか、なんで和兎さんの方がへこんでんですか。もとはと言えば俺の責任なのに」
「あ、あぁ。いや。その……」
和兎がそう言いよどんだ瞬間、
――ガタン。
空気を含んだ、物が倒れる音が、階段の上。広場の方から響いた。
二人は立ち上がり、自分たちが座っていた階段を駆け上がる。
「……あ、あった」
先に言葉を漏らしたのは和兎だった。
その時には龍真はもう、ギターのそばまで駆け寄っていた。
「…………」
龍真はギターケースの小物入れの方から何かをとりだして、それを見た後、そのギターを背負い、和兎の方を振り返った。
「……まずは、帰りましょう」
いつの間にか夕陽は沈み切り、暗くも明るい夜空が、隣に広がっていた。
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