その音が消えるまで

真白

ドラムのキックは心拍音

1話 ドラムのキックは心拍音 ①

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 沈むような闇が、机の上にある光を包み込んでいる。

 自分の呼吸と服がすれる音しか存在しない小さな部屋。机の上を湛える暖か光が、しわだらけの紙とペンを晒すように照らしていた。


 この物語は、もう、いい。


 ふと、日常に降りてきた発想の光を、一つ一つ、まるで痕跡を消すかのように丁寧に潰し始めたのは、気づかないふりをし始めたのは、一体いつのころだったか。一体、何がきっかけだったか。

 初めて光がやってきた時は、とにかく楽しかったことは覚えている。

 その光は、まるでろうそくに灯ったかぼそい炎のように、燃料を与えれば大きく燃え上がり、その行く道を照らしてくれた。やがて、その道を共に歩く仲間もできた。一人じゃないという安心感は、なんだか妙に、心地よかった。


 けれど、人というのは、時に本心を包み隠すものだ。


 ……僕は光を潰した。

 それからはただ、何の導もなく、ただ暗い道をさまようだけだった。



0419


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 どこかで雷が落ちた。

 予報外れの大雨に打たれながら、和兎かずとはただ、家に向かって走っていた。春先にしては珍しい、土砂降りの大雨。その雨は光を飲み込んで、一歩先すら見ることが叶わない。

 せめて荷物は濡れないようにと、鞄を抱え込んでただ走る。無情に叩きつける冷たい雨は、容易に和兎の体温を奪った。


「うわっ!」


 突然、和兎は何かに足を取られた。

 体が前に泳いだと思えば、そのまま、


 ――ビシャッ!


 濡れたアスファルトに激突する。


「いっつ……。な、なんだ……?」


 こんな道のど真ん中に、人がつまずく様なものがある訳がない。

 つまづいた一瞬、足で感じた柔らかい感覚が気になって、和兎は立ち上がる前に、それに近づく。

 色は……黒。動物の死骸だろうか。恐る恐るそれに手を差し伸べて、握った。


「――ッ!! ……ふ、服!?」


 和兎の掌に残った感触は、触り慣れた布の物だった。和兎はもっと近づいて、それを抱きかかえる。暗がりの中分かったのは、少女か、少年か、それすら分からない、中性的な見た目の子供。


「だ、大丈夫ですか!?」


 頬を叩いても反応がない。喉元を触ってみると、


「つ、つめたい……」


 あってはならない冷たさが、そこにあった。和兎は焦って、押し込むように手を喉に押し付ける。

 指先に、弱弱しいが確かな心音を感じた瞬間。


「た、助け、ないと……」


 そう零した時には、すでにその子を背負い、立ち上がっていた。

 そして、ただ無我夢中に、家へと駆けた。



|||||||||||||||||||||




 飛び込むように玄関の扉を開けた。

 びしょびしょの鞄をその場に置いて、和兎は視線を巡らせる。


「ま、まず何をすればいい? な、なにをする?」


 靴を脱いで、体を拭かずにそのまま家に上がり込む。

 それをとがめる人間は、この家にはいない。


「た、タオル……」


 濡れたその子を畳の上に寝かせてから、和兎はぼやきつつ洗面所からバスタオルを一枚とっていく。


「えっと……」


 和兎は一瞬迷った。

 水を吸って重くなっている服は、脱がした方がいい。だが、その子が男か女か分からない以上、安易にそう言った行動はとれなかった。けれど、そのまま放置しては、そっちの方が危ない。


「ご、ごめんなさい」


 これ以上迷うわけにもいかなかった。

 和兎はそう謝ると、出来るだけ見ないようにと目をそらして、体と髪を拭いた。そしてそのまま、押し入れにある数少ない暖かそうな私服をに着せた。


「布団……。の前に、周りがびしゃびしゃだ」


 今度は布団を……。と思ったが、ふと床を見ると、自分と彼のいる畳だけ、重たい色になっている。和兎は特に濡れている靴下とブレザーを脱いで洗面所に置いた後、タオルを数枚持ってきて、畳にひいた。

 そして、その上に押入れから持ってきた布団を引いて、彼を寝かせた。


「こ、これで、いいの、かな……」


 ふらつき、倒れるように尻もちをつく。

 彼の顔に、若干の赤みが戻っている。そう気づいた途端、


「は、はぁ……」


 全身の力が、溶けるように抜けた。

 そして、緊張が解けたせいだろうか。


「あ、洗濯物……。彼のも一緒に」


 すっかり忘れていた洗濯物のことを思い出し、和兎はもう一度、雨が叩きつける外へ出た。



||||||||||||



 洗濯物をもう一度洗濯機に入れて、和兎自身は風呂に入った。

 ゴウン、ゴウンと動く洗濯機の音と、雨が家の壁を叩く音、そして彼の寝息が、狭く薄暗い和兎の家に満ちている。

 一気に緊張が解けたせいだろうか。和兎はただただぼんやりと彼の寝顔を見ていたが、やがて崩れるように倒れると、穏やかな寝息を立てて、眠ってしまった。

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