第9話 人殺しが語る物語 前編

 例の事件から数日経った。不思議なことなのだが、駅のトイレで少年を強姦しようとした上に中学生の少女に全治二週間の怪我を負わせた男の死に様が報道されることがなかった。

 地元の新聞、TwitterやFace BookをはじめとしたSNS、挙げ句の果てには掲示板のスレッドでもこの事件にまつわることが一切取り上げられない。


 その理由を琳音くんと瑠月、私の三人で男を殺した張本人の住む借家に聞きに行った。彼女は体重百二十キロの鍛えられた体を持つ男の首を、その細い脚で蹴って首を捻じ切ったのだ。

 彼女がスタイルのいい体を保つために鍛えているとはいえ、「体格のいい男の首をねじ切るほどの脚を持つ彼女はまともな人間じゃない」と、三人で語り合っていた。


 月曜日。私は警察からの事情聴取を済ませて警察署で、休暇を上司命令で取ることになったという彼女の車を待っていた。隣にはセーラー服のような服を着た琳音くんと、左眼の上にタンコブを作った瑠月が私の名前を呼ぶ。


「あっ、真中」

「琳音くん、大丈夫だった?」


 すると彼は事情聴取で何を聞かれたか、事細かに話し出した。落ち着いていた彼の様子がどこか変だ。肩を震わせて、虚無の表情になりながら彼はものを話す。


「男の警察官がさ、まず聞いてきたのは俺が女装してる理由だったよ……。四年前の事件でも性的暴行を受けていたみたいですが、その時もしてたみたいだよね。なんで? ……って。俺は生まれた頃からこの格好なんだよ。そう答えたらさ、レッテは女装するのか、変態だなとそいつは返事した。目線が冷たくてよお……、お前みたいに甘い奴じゃなかったんだよ……。レッテは、インガの中には健常者に殺しの対象として狙われないように、幼い男子に女装させて育てる文化ができちまってんだよ。あと同じレッテから殴られたり、いじめられたりしないようにって意味もあるのに……」


 琳音くんは初めて私と会ったときのように泣くことはなかったけど、声は震えていた。まるで死刑宣告を受けた冤罪の殺人犯のように、その身を硬くしてじっとその身を守るように肩を抱いている。


「琳音くん、酷い警察官に当たったんだね。この地域の警察は本当に当てにならないから、気にしないで。私も痴漢された時に警察は行ったけど、まともに相手にしてもらえなかったから」


 そこに自販機で買った炭酸ジュースを口にしていた瑠月が突っ込んでくる。前髪を作らずに額を出して、白髪になり切った髪を三つ編みにまとめた彼女はどこか大人のような顔をして、冷静に物事を分析する。まあ、眼の上のタンコブが痛々しくて見ていられなかったけど。


「自分のトラウマを詳細に語らされて、落ち着ける人なんてそうそういないよ。私もあいつに足首を掴まれたときの感触について聞かれたら、体の芯から震えて寒気さえ感じるもの」

「まあ、私も襲われそうになってからの首切断だったからね……。でもホラー映画で見たような感じのグロさって感じで、あまり怖くないよ」

「それにしても首を蹴りで切断した女教師か……。強すぎてその人、絶対インガの時に人体実験させられたでしょ」

「確かに」


 私は未だに体を固くした琳音くんの隣に座って、瑠月の言うことに同意しながら彼を慰めていた。


「……スマホでサンダーバードのテーマソング、聴く?」

「……うん」


 私はスマホのイヤホンの左右部分をを琳音くんの両耳にはめると、ミュージック機能の中にあるループ再生設定にして瑠月の話を聞くことにした。琳音くんは馴染みの音楽を聴いたからか、少し落ち着きを取り戻し始めた様子で瞳を閉じ、自分の世界に浸っている。

 私が幼い頃に世話した幼い弟のように、眠るように落ち着きを取り戻しているその様子に、私は安堵する。琳音くんの林檎のように赤い唇が少しふっくらと膨らんでいる。口づけしたら砂糖のように甘そうな唇だ。


 そんな彼の顔を見てうっとりする私を見てか、瑠月が私をなじってきた。


「面食い真中が。惚気んな」

「まあ、面食いなのは否定しないけど……。琳音くん、なかなか可愛いでしょ? ネットで誰かが流出させた写真でも、『かわいい』とか『ちんぽしゃぶらせたい』とか言われてたんだから!」

「……お前は男か」

「でも私も男だったら琳音くんにお金払ってちんぽしゃぶらせたい! バキュームフェラしてほしい!」

「まあ、男受けしそうな顔ではあるよね。特にこの大きな猫目とかさあ、絶対この形の目に整形する人とか出てくるでしょ。コイツがアイドルだったら」

「でしょ。きっと真夏もこんな気持ちだったんだろうなあ。初めて琳音くんと会った時……」

 すると瑠月が苦笑いして、私にこんな提案をしてくる。

「真夏くん、だっけ? 琳音の初恋相手。あんたネットが得意分野なんだから調べて会わせてあげればいいのに」


 何という私の恋を全否定する言葉。私は真夏のように、琳音くんの心の支えになることを決めたのに。


「それはイヤ!」

「寝とるのかよ。男子から男子を」

「まあ、そういうことかもね」


 私もさっきの瑠月のように苦笑いしながら、タンブラーの中に入れたお茶を口にする。ルイボスティーは口に風味が広がって、舌が幼い私にはちょっとした爽やかさと苦味を口内にもたらす。


「苦っ」


 そう私が口にすると、落ち着いた女性の低い声が私を呼んだ。その声は聞き覚えがある。


「千代さん、だよね。隣に座ってるのが琳音くんで、向かい側が峯浦さん」

「そうです。数日ぶりですね、えっと……、リンダさん」

「リンダ・ヘルストレム。フルネームは長いから、リンダでいいよ」


 落ち着いた女性らしさで、その柔らかい表情と大きな丸い瞳は青い。髪はやはりお団子ヘアーで、洒落っ気というものがあまり感じられない。綺麗な顔をしているのに、もったいない。


「これから私の家に連れて行くけど、いいかな? ちょっと聞いてほしいことがあって」

「はあ……。違う学校の先生が、こんな中学生にする大事な話ですか? そんなに大事なら、いいですよ」

「ちょっとココでは話せないから……」


 私と瑠月に聞こえるような音量で話すリンダさんは、どこか署内の誰かを警戒しているようだった。あたりを見回して、よほど聞かれたくない話らしい。


「それって私にも大事な話ですか?」


 瑠月がリンダさんに噛み付くように聞いてくる。椅子から身を乗り出して、あまり乗り気ではないようだ。


「特に峯浦さんにとっては大事な話。だから話したいの」

「そうなんですか……。まあ、それなら」

「琳音くーん。リンダさんの家に行くよ」


 そう言って私は彼の両耳から自分のイヤホンを外した。すると彼は先ほどとは違って、どこかスッキリしたような顔をして私に笑みを見せてきた。


「いーよ」


 そういうことで、琳音くんを連れて三人でリンダさんの話を聞きに彼女の自宅へ行くために、車に乗せてもらう。十五年落ちのフィットはその年月に反して、とてもよく綺麗に洗車されている。まるで歪な形に私たちを写す鏡のようだ。


「さっきまで太陽が昇ってたのに、雲に隠れてる。まるでスウェーデンの空模様みたい」


 リンダさんのそう言った何気ない一言が、私の脳裏に焼き付いて忘れられない。藤峰学園中等教育学校のスウェーデン語教師、リンダさん。彼女の正体はインガだったという事実以外、何も分からない。

 丘の上にある県立病院に隣接した小さな学校なのは知っているが、レッテの子供たちが基本的に通うため、具体的にどんなことを教えているのか不明だ。


 車に揺られること二十分。私たちは彼女が借りている借家に着いた。車を降りて、赤いレインコート を羽織った琳音くんは、日光がそんなに暖かくない暗い空なのにも関わらず、深くフードをかぶっている。


「琳音くん、曇りだよ?」

「あのなあ、曇りでも空が明るい限りは太陽が昇ってるの!」


 どこか怒りのこもったような顔で怒られて私は一瞬しょげる。そんな中、リンダさんが琳音くんに怒る。


「もっと自分を大事にしてくれる子を大事にして! じゃないと離れていっちゃうんだよ」

「……はあい」


 幼い頃からリンダさんと親しかっただけあってか、琳音くんも私のようにどこか悲しそうな顔をしてうつむく。


「本当に上手くやっていけるのかしら、このふたり」


 横で瑠月が独り言をつぶやく。随分嫌味ったらしいなあ。カチンときたところでリンダさんが私たちを先導して、玄関まで案内した。

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