29 前世の記憶があってもなくても今を楽しめればそれでいいはずよ



 王宮のバルコニーは城下がよく見える。貴族達が煌びやかな夜会を楽しんでいる間、庶民は働いているのだろう。飲み屋街や宿屋のあたりは特に明かりが多い。

「意外と夜も活気があるのよねー」

「そう? もっと派手に光らせればいいのにって思わない?」

 コートニーは少し退屈そうに言う。

「これでも街灯も増えたんでしょう? 昔は妖精を捕まえて閉じ込めていたって言うの本当かしら? それともジーンに騙された?」

 きっと街灯もジュール様がよくわからない技術で普及させたんだわ。

「どっちだっていいわ。魔力でも電気でも使えるならどっちでも」

 コートニーはため息を吐く。

 やっぱり、ジュール様の考えたとおりかしら?

「コートニー、さっきのあたしとジュール様の会話、ちゃんと理解していたみたいだけれど……」

「それがどうかしたかしら?」

「……日本の慣用句とか知ってるの?」

 思わず訊ねる。慣用句は文化が反映される物だからどうこうって聞いたことがある気がするの。あたし、言語はそんなに得意じゃないけれど、そのくらいはわかるわ。

 ちらりとコートニーの顔を見れば、呆れたような溜息を吐かれる。

「つまり、アンジェリーナもジュール様も日本からの転生者ってことかしら?」

 あっさりと言われ拍子抜けする。もう少し隠すかと思ったわ。

「もってことはコートニーも?」

 たぶんジュール様もそう思っている。だからあたしに確認しろと言ったんだ。

「そうよ。ラノベでよくある乙女ゲームの世界に転生でヒロインを苛める悪役令嬢枠かと思ったのに、婚約者は馬面だし、幼馴染みはカーテン改造して着るようなヘンな子だし……魔力って言ったってひんやり気持ちいい程度の役にしか立たないとか……ファンタジーが中途半端なのよ!」

 どうやら転生に相当な不満があったらしい。拳を握りしめて声を荒らげる。

「ら、らのべ? 乙女ゲーム?」

 前世がさえない公務員だったあたしには縁がなさ過ぎてよくわからない単語よ。しかもよくあるってことはそんなに転生する人が多いのかしら。

「え? アンジェリーナも転生者でしょう? 前世は女子高生? 大学生? あ、美大生とか?」

 興奮した様子で訊ねられても困るわ。

「いや……さえない公務員でした……」

 別にもう隠すつもりもないけれど、コートニーのテンションにはついていけないわ。

「え? 嘘。公務員ってことは年上? ってか……あんたその性格で公務員?」

 また失礼な……。前世とは別人だもの。

「よくわからないけれど、転生者ってそんなに多いものなの?」

「私の前世だと転生物が流行っていたのよ。つまり、漫画やアニメ、小説の題材によく使われていたの。アンジェリーナは?」

「あー……あんまりそういうの詳しくなくて……漫画と縁のない生活だったし……」

 素直に白状すればコートニーは目を丸くする。

「え? じゃあ、異世界転生で焦ったりとか、なにか使命感に駆られたりとか」

「ない。あたしはあたしだし、自由に生きるって思ったくらい。折角生まれ変わったもの。前世の嫁との関係修復不可能なさえない男は忘れて自由に生きようって」

「へぇ……そうなん……だっ? は? 男ぉ?」

 普段のコートニーの気取った様子からは想像も出来ないほどの顔芸を見せながら掴みかかられる。

「はぁ? あんた、前世男なの? ジュリアン様は? 知ってるの? ってか彼も転生者?」

 質問が多い。

 どうしてみんなあたしの前世が男って言ったら驚くのかしら。

「悪い? あたしは男にも女にも美しくもかわいくもヘンにもなれるアンジェリーナ・ハニーよ。今は結婚してジェリー姓だけど、あたしの旦那様ももう知ってるし、今は夢にまで見たイチャラブ生活を手に入れたわ」

 正直今すぐ人生が終わっちゃっても悔いがない位幸せ……いや、まだやり残したことがあるわ!

「あたしまだ寝室に鳥を描いてない! 今のままじゃ死んでも死にきれないわ!」

「は?」

 コートニーが本気で呆れた顔をしている。

「もう人生に悔いがないと思ったけれど、やり残しがあった」

「ちょっと待って。本当にこの世界、使命とかそういうのないの?」

 信じられないという目で見られても困る。別にあたしが作ったわけじゃないもの。

「折角生まれ変わったんだもの。楽しまなきゃ損よ。それじゃあだめ?」

 あたしはあたしを楽しんでるわ。それだけで十分だと思う。

 ぽかんとした表情のコートニーの後ろから【旦那様】の姿が見える。

「あたしの旦那様はあたしが元男でも受け入れてくれたし、あたしも旦那様のちょっと変わった趣味を受け入れる……練習をしているわ」

 時々受け止めきれないときがあるけれど。

「あれをちょっと変わった趣味で済ませられるアンジェリーナはある意味凄いわ」

 呆れたような溜息の響きに【旦那様】は不思議そうな顔をしている。

「どうかしたのかい?」

「またミレニアム世代からやってきた転生者と遭遇したみたい。ねえ、あたし以外みんな若い子みたいなの。旦那様は本当に前世の記憶とかないの? もう、ここまで転生者だらけだったらこの世界全員が転生者でも驚かないわ」

 全員が前世の記憶を使いまくったら文明が酷いことになりそうね。

「……え? 彼女も君と同じように……元男性?」

「私は前世も女よ!」

 もう素を隠そうともしないコートニーが叫ぶ。

「こんな身近に転生者ばかりって……旦那様は転生者を引き寄せるなにか引力とかそういうのを持っているの? そういう趣味なの?」

「偶然だと思いたいけれど……そう言えばジュールが彼女のドレスの素材がどうとか言っていたことがあった気がするけれど……アンジェリーナ以外の人間がなにを着ていても興味がないから意識しても視界に入らないよ」

 例外はあたしの作品ね。大分慣れてきたわ。

「そうよ。コートニー、今日のドレスもだけど、あなた、自作できないでしょう? そういう素材を作れる職人って十分怪しいのよ」

 たぶんジュール様が一番知りたがっているのはそっちの職人の方ね。

「職人? ああ、アレクシスのことね。彼女……いや、彼? 前世は女性で今は男性なの。ややこしいわ。リケジョっていうか工学系って言うか……科学的な感じの人で小型ロボットで遊んでいるのを見つけて私の専属で雇ったの。敷地内に工房を作ってそこで遊んでいるわ」

 それはまた面白そうな人ね。

「会ってみたいわ」

「いいけど、ものすごく人見知りで、小さいロボットが代わりに返事するような変な人よ?」

 それって、ミレニアム世代より更に未来の人かしら?

「あー、未来人はちょっと遠慮しようかしら……宇宙戦争の話とかされたら困るわ」

 きっとあたしの頭じゃ追いつけないずっと先の未来の話をされちゃうのね。

「ジュール様も引きずって一緒に行けるときに会ってみたいけど、たぶん難しい話はジュール様の方が得意……あら? そのアレクシスって人は録音技術を持っているのかしら?」

「メイドの声を一音ずつ録音してロボットに組み込んでいたわ。短い音なら録音出来ると思うけど」

 ということはつまり、ジュール様の野望はそのアレクシスが完成させるんじゃないかしら。

「カロリー様の声入り目覚まし時計が欲しいって言っていたもの。ジュール様は喜んで飛びつくわね」

 それともう一人、目を輝かせている人が居る。

「録音、というのは……つまり、アンジェリーナの声を本人が居なくても聞くことが出来る技術ということかな?」

 この人の前で話しちゃいけないことだったわね。きらきらと目を輝かせる【旦那様】はきっとたっぷり散財するだろう。

「金ならいくらでも出す。是非私にも、アンジェリーナの声をいつでも聞くことが出来る物を作って欲しい」

「……身近に変態が二人もいると大変ね。声フェチって女性の方が多いって聞いていたけど気のせいだったかしら?」

 コートニーは完全に呆れた表情をしている。

「その技術があればアンジェリーナ博物館も更に充実」

「させなくていいわ」

 どうしてあたしの博物館を作ること前提なのかしら。

 既に王都の一等地を買い占めているみたいだし……。

「あたしの名誉のために言っておくわ。求婚されたときはここまで面白い人だとは思わなかったの」

「それには同意よ。まさか噂のジュリアン・ジェリーがこんな変人だなんて誰も思わないわ。あの微笑みでみんな騙されちゃうのよ」

 珍しくコートニーと気が合ったみたい。

 とりあえずささっと『端末』でジュール様に報告だけ済ませる。

「それ、スマホ的なもの?」

「あたしはすまほを見たことがないからわからないけれど、ジュール様はそれを目指していたみたい」

「アンジェリーナの前世って、もしかして前世の私が生まれる前とかそういう話?」

 コートニーは信じられないと言う顔を見せる。勝手に同世代だと信じていたみたいね。

「ぎりぎり大世紀末は生き延びたわ。バブル崩壊も経験したし……重たい電話を肩に掛けて歩いている人も見たことがある。子供の頃の話よ? さすがに最初に持った携帯電話は電話しか出来なかったのよね。写真が送れるようになった頃は感動したけれど、くたばる少し前にはデジカメくらい凄い写真が撮れる機種が出たって聞いたわ」

「……本当に随分昔の話ね。たぶん、前世の私が生まれた頃にアンジェリーナはもう死んでいたのね」

 本当にそんな世代なのね。

「だったらジュール様の方が会話がスムーズだと思うわ。ジュール様とカロリー様は前世でも知り合いだったらしいの」

「……王子と婚約者が揃って転生者って……本当にどうなっているのかしら。よくわかんないわ」

 コートニーはため息を吐く。

「もしかしてクリスも転生者?」

「彼女は……どっちでもいいわ。彼女もそう考えるはずよ」

 前世の記憶があってもなくても今を楽しめればそれでいいはずよ。

「コートニーも、折角この世界に生まれたのだもの。コートニー・シュガーを楽しめばいいわ。あたしみたいに」

 あたしは今のあたしが一番楽しいもの。

「アンジェリーナ・ハニーをものすごく楽しんでいたけれど、アンジェリーナ・ハニー・ジェリーもとっても楽しいわ。旦那様ってちょっと変わっているけれどとっても楽しい人だもの」

「……ええ、そうね。少なくとも……今の私にはヘンな婚約者もいないし……ええ、おかしな人と結婚することも今のところなさそうだから、まずは楽しむことから始めてみるわ」

 きっと前世の知識が邪魔して人生を楽しめていなかったのね。でも、コートニーは面白い物を見つける才能があるもの。ちょっと趣味は悪いけれど、素材の探し方は素敵だと思うわ。

 そんなことを考えているとお腹がぐーっと鳴ってしまう。

「ふふっ、ほら、座って。軽くつまめる物を数種類持ってきたから」

 すっかりあたしのお世話をする気満々の【旦那様】は楽しそうに笑う。

「やっぱり王宮のお料理ってお屋敷のお料理よりも美味しいかしら?」

「どうだろう? ジュールは味覚が鈍いからね。アンジェリーナの口にはハニー伯爵家の味の方が合うかもしれないね」

 【旦那様】は穏やかに笑う。

 言われて見れば、ジュール様はカロリー様に無理矢理口に押し込まれるとき以外はあまり物を口にしなかったかもしれない。

 考えている間にも、【旦那様】が口の前に食べ物を運んでくる。これは食べないと悲しまれるやつだ。ぱくりと口にすれば、ちょっと気取った味がする。よくわからないソースが掛かったエビのようななにかだろう。全くなにかわからない。

「……ジェリー侯爵家の料理人ってとっても料理上手なのね。なにを食べてもよくわからなくても美味しいもの」

 王宮の料理はあたし向けじゃなさそう。

「おや? 好みではなかったかい?」

「おうちご飯の方が好きみたい」

 そう答えると【旦那様】はたぶんあたしに食べさせたのと同じ物を自分の口に運ぶ。

「んー? 王都の味付けはアンジェリーナの好みではなかったかな?」

 首を傾げながらそんなことを言われてしまうけれど、別に不味いわけじゃないのよ。ただ、よくわからないだけ。ド庶民が高級料理店に連れて行かれたときと似ているわ。複雑に煮込まれた魚よりは塩焼きの方がずっと美味しいって感じちゃう味覚なだけよ。

「ジュールに味付けの感想を伝えれば次の夜会には完璧にアンジェリーナ好みの料理が並ぶと思うよ」

 それ体重三倍にされちゃうやつよ。

「だめよ。ジュール様にそんなことを言ったら並んだ料理を全部食べきるまで帰して貰えなくなるわ。カロリー様と二人で囲う気よ。絶対」

 あたしも酸素ボンベを引きずって歩かなきゃいけなくなっちゃうわ。

「それは大変だ」

 近くに居た給仕に料理の皿を片付けさせる【旦那様】に、少し勿体ないと思ってしまう。やっぱりお金持ちの貴族なのね。ちょこっと食べてぽいって作った人にも失礼だわ。

「旦那様。よくわからないお味だったけれど美味しくなかったわけじゃないのよ?」

「うん。でも、アンジェリーナは屋敷の料理人の味の方が好きなんだろう? だったら帰ってから美味しい物を食べた方がいいと思って」

 本当に極端よね。

 幸い王都のお屋敷は王宮からもそんなに遠くはない。

 クリスティーナを回収してお屋敷に戻って美味しいお料理を食べるのも勿論歓迎よ。

「クリスティーナはいつまでジュール様に捕獲されているのかしら?」

「あの様子だと今夜は戻ってこないと思う。ジュールはああ見えてヴァイオレット殿下を本当に可愛がっているからね。三人居る妹のうち一番かわいいんじゃないかな? 懐かないのが余計にかわいいってよく言っているし」

 ヴァイオレット様は猫みたいな性格なのかしら? その気持ちはわからなくもないわ。

「あたしも構ってくれない冷たい旦那様に燃えてた時期もあるからその気持ちは少しだけわかるわ。でもあたしはやっぱりたくさん可愛がってくれる旦那様が好きよ」

 クリスティーナが戻ってこないなら先に帰っちゃってもいいかしら? もう大体目的も果たしたからあたし飽きてきちゃったわ。

 そろそろ帰りましょうと告げれば【旦那様】は思いだしたかのように言う。

「ああ、そう言えば、さっきジーンに会ったよ。けど、私の姿を見たらハニー伯爵が気を失ってしまって、看病しなくちゃいけないからって帰ってしまったよ。一体なにが問題だったのか……」

「たぶんその格好ね。すっかりあたしに毒されちゃったと思ってお父様の胃がまた壊滅状態になっちゃったのよ。そろそろ穴が開く頃かも」

 ハニー伯爵家の料理人は胃に優しい食事を作るのがとっても上手なのよ。だいたいあたしのせいね。

「私は気に入っているのだけれど……どの辺りが問題だっただろう? 流石にアンジェリーナの家族とは友好的に過ごしたいからそこそこ気を遣っているつもりではあったのだけれど……」

「ヒールと警告色ね。お父様はあたしが普通から外れる度にどこかしら調子が悪くなるもの。ここ数年はあたしの奇行くらいじゃ驚かなくなってくれたけれど、やっぱり他の誰かを巻き込むと胃が痛くなっちゃうみたい」

 でも【旦那様】はもうあたしの【旦那様】なんだから巻き込んでも構わないと思うわ。それに、本人が積極的に巻き込まれたがっているし。

「アンジェリーナの作品の一部になれるなんてとても名誉なことだと思うのに……理解して貰えないなんて残念だ」

 本気で残念そうな【旦那様】に呆れてしまう。お父様の反応が普通なのよ。流石あたしの【旦那様】と言うべきかしら。

 もう一度見渡してやっぱりクリスティーナの姿が見えないからそさくさと帰り支度を始める。一応『端末』でジュール様には連絡を入れておいた。

 それにしても、警告色の【旦那様】は目立つわね。おかげで会場を出るのにもかなりの時間を使ってしまったわ。



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