28 真相は真相で問題だったかもしれない。
呆れるほど沢山のお土産紹介やどんなにあたしに会いたかったかと長い長いスピーチを聞かされたり、数日【旦那様】のべたつきが悪化したりはしたけれど、なんとか無事に夜会の準備は完了した。
「クリスティーナ、完璧よ」
大きなブロンドのウィッグにして正解ね。とってもゴージャスになったわ。
「ありがとう、アンジー。このドレスも素敵で嬉しいわ」
ドレスを何種類か用意していたけれど、意外な事に真っ赤なドレスを選んでくれたわ。でも強い女って感じがして素敵よね。しかもこのドレス、赤から黒に変身するドレスなの。力作よ。
「あたしの力作気に入ってくれて嬉しいわ」
そしてやっぱり駄々を捏ねた【旦那様】はミツバチタキシードを着ることになったけど、驚いたことにヒールを選んだわ。
革靴とヒール両方用意したのにヒールを選ぶなんて意外だわ。それに……どうしてはじめてのヒールであんなに綺麗に歩けるのかしら。いいえ、歩けるだけじゃなくてちゃんと踊れてたのよ。あの人本当になんでもできすぎちゃってずるいわ。
今日はクリスティーナも同じ馬車で出かけるから、ドレスの幅のせいでちょっぴり狭いわ。でも、あたしのヤドクガエル色のドレスも上出来だと思うの。
「……アンジー、この馬車の中、ものすごく落ち着かないのだけど、私たちの服のせいかしら?」
クリスティーナが気まずそうに口にする。
仕方ないわ。全員警告色なんだから。
「赤と黒も警告色だし、あたしの青も警告色だもの。それに、旦那様のもミツバチカラーで警告色ね。落ち着かないのは仕方が無いわ」
タキシードは黄色と黒のストライプの中にこっそり蜂の巣を忍び込ませているから誰かが見つけてくれないかわくわくするわ。
「それにしても旦那様がヒールを選んでくれるなんて思わなかったわ。あたしの初めての時よりずっと上手に歩くのよ」
むしろスーパーモデルのジュール様に負けないウォーキングね。
「ヒールって慣れるまで大変なのに、ジュリアン様、練習していたの?」
クリスティーナが訊ねると【旦那様】は笑う。
「いや。でも、アンジェリーナの作品と思うと嬉しくて」
「愛の力ってことにしておくわ」
正直タキシードを見せた時のテンションは人前に出せないレベルだったわ。それに、革靴とヒールを見せた時に迷わずヒールを選んだもの。もしかすると【旦那様】もこっち側の人なのかもしれないわね。
「今度一緒にヒールを買いに行かない?」
クリスティーナが【旦那様】に色目を使い始めた?
当たり前みたいにあたしの【旦那様】を誘って……。
「ちょっと、クリスティーナ、旦那様はあたしの旦那様よ?」
「勿論アンジーも一緒だよ? アランって最高。実はあの後更に新しい靴も注文したんだけど……もうっ、全部凄い」
どうやらアランを相当気に入ったみたいね。
「彼と付き合うの?」
「まさか。男は対象外よ」
そうは言うけれどいつ気が変わるかわからないわ。あたしだって、自分が異性愛者か自信がないのに。
「あたしの旦那様に手を出したら一生口きかないから」
「安心して。ジュリアン様はいつだってアンジーしか見ていないから、改宗させるのは無理よ」
クリスティーナが笑いながら言うと【旦那様】は少し驚いた顔をする。
「別にアンジェリーナは宗教ではないよ?」
「似たようなものよ。私も信者の一人だもの」
とても不名誉な扱いを受けた気がするわ。
それから【旦那様】とクリスティーナは楽しそうに、『教義』について話し始めてしまった。あたしは宗教じゃないってば。
けれども二人が楽しそうだと、まぁ、少し遊ばれるくらいはいいような気がしてしまうあたり、あたしってきっとすごいお人好しなのね。
王宮の夜会は去年も一度来た事があったけれど、やっぱり他とは規模が違うのよ。特に大きなシャンデリアはきらきら度合いが桁違い。きっと落としたらものすごい迫力ね。シャンデリアは落とすために存在するんだから。
会場に入れば、凄いざわめきよ。それもそうね。ジュリアン・ジェリーが存在するだけでご婦人達が黙っているはずがないもの。あたしの【旦那様】は存在感が凄いのよ。語彙力がなさ過ぎてものすごく間抜けな表現になってるけれど。
「ジュリアン様よ」
「あら? 今日はまた随分派手な装いで」
「いつもと雰囲気が違いますね」
困惑するようなご婦人達の声が気持ちいい。あたしの作品がざわめきを産むと思うと余計に。
別に他人の評価なんてどうでも良いけれど、なんらかのリアクションがあるのは嬉しいわ。
彼女たちはあたしの存在なんてその場にないという様に【旦那様】に接近していく。別にそれは彼女たちの勝手だし、【旦那様】が彼女たちと会話を楽しみたいというのなら、それもまた【旦那様】の勝手だ。あたしはあたしでこの場を楽しむし、次の作品の題材に出来そうな物がないかきょろきょろしたい。
「あ、ジュール様だ。ジュール様!」
大きく手を振れば、彼の方は少し驚いた顔を見せる。
「あれ? アンジー、今夜は思ったより普通の格好だね」
「背中にオタマジャクシが付いてるの」
「……正面から見たら普通のドレスに見えるよ」
ジュール様は苦笑した。きっと呆れているのね。
隣にはカロリー様の姿がない。
「あら? カロリー様は?」
「妹の支度に捕まってしまってね。どうしてもウエストをあと三センチ締めたいらしい。それ以上締めたら死ぬと説得しているところだよ」
妹というのは二番目の王女様らしい。痩せることにとても拘っている方だ。ジュール様と同じ空気を吸ったら太ってしまうと信じているという。面白い映画が出来そうな題材ね。
「こっちの世界って映画はあるの?」
「うーん、まだないかな。録音の技術がないんだ。アンジーもそういう技能を持っていそうな転生者を見つけたら教えてくれ。カロリーの声入りの目覚まし時計を作りたいのだけど中々実現しなくてね」
この人は本当に不純な動機だけで前世の知識を使っているのね。呆れちゃうわ。普通王族だったらもう少し国の発展に貢献しようとか思わないのかしら?
「ところでアンジー、今日もクリスティーナは素晴らしい出来だね。彼女は今後どうするつもりなんだい?」
ジュール様からすればクリスティーナや前世のあたしみたいな人間は理解できない未知の生物のようなものなのだろう。困惑した様子でちらりとクリスティーナを見ながら訊ねる辺り、本当に扱い方がわからないという様子だ。
「クリスがいい人間なのはわかるけど、クリスティーナの扱いはどう捕らえるべきなのか……」
「ダンスに誘ってあげて。きっと喜ぶわ。でも、彼女、レズビアンだからジュール様は対象外よ」
「私もカロリー以外は体重百三十キロ以上の女性でないと好みではないよ」
具体的に体重が好みの基準になってしまうのも個性的ね。
「良かった。あたしも対象外ね。あたしは旦那様以外はどうでもいいわ」
元々あんまり恋愛には興味がなかったけれど。
ちらりとクリスティーナを見れば、凄く注目されている。やっぱりあのドレス上出来よね。ここぞって時に黒いドレスに切り替えてもっとみんなを驚かせて欲しいわ。
「……それにしても……どうしてジルがハイヒールを履いているのかな?」
まさか彼まで女装趣味にと困惑している様子だ。
「革靴とヒールを用意したら迷わずヒールがいいって言うのだもの。旦那様の選択よ。旦那様の自由だと思うの」
元々背の高い【旦那様】が十センチヒールを履くとジュール様とあまり変わらない背丈に見えるのよね。それはそれで素敵よ。
「どうして両方用意してしまったのかな?」
「クリスティーナだけずるいって旦那様が拗ねてしまうからよ」
そう答えれば、ジュール様は呆れたように溜息を吐いた。
それにしても【旦那様】もとても目立っているわね。やっぱりミツバチカラーって素敵よ。元々整っている【旦那様】がもっと素敵に見えるのだもの。
「前々からジルは変なやつだとは思ったけど……ずれているというか、彼の感覚は一生理解できないだろうな」
「安心して。ジュール様の感覚も世間とは大分ずれているわ」
女性の魅力を体重から語り始める辺りおかしいわ。
そんな話をしながら【旦那様】を視線で追えば、コートニーがまた懲りずに【旦那様】に接近している。しかも、なんか楽しそう。
「……ちょっと、ジュール様、あれどう思う?」
「ん? あれって?」
「コートニーよ。クリスを振ってあたしの旦那様にご執着なの」
なんだかとっても楽しそうに話しているし、【旦那様】に至ってはにこやかに、いや、あたしの作品にうっとりしているときの顔をしているわ。
「あー、あれ、たぶんアンジーの話をしているな。ジルは誰にでも君の作品の良さを布教したがっているからね」
「あたしは宗教じゃないわよ」
本当に、クリスティーナも【旦那様】もジュール様もおかしなことばかり言うのね。
クリスティーナと【旦那様】奪還に行こうと思ったのに、クリスティーナの姿が見つからない。あんなに派手なドレスなのに!
キョロキョロしていると、酸素ボンベを引きずったウエストが細すぎる女性がクリスティーナと話し込んでいるのを見つける。変わった組み合わせね。クリスティーナはヒールで相当大きく見えるけれど、酸素ボンベの女性も結構背が高いわ。
「クリスティーナと一緒にいる人知ってる?」
訊ねれば、ジュール様は楽しそうに笑う。
「僕にそんな訊き方をするのはアンジーくらいだよ。彼女は僕の妹だ。ヴァイオレットと言ってね。二番目の妹だね」
つまり王女様だ。
「ああ、ジュール様と同じ空気を吸ったら太ってしまうと信じている人ね」
「変わっているだろう」
どうやらジュール様は彼女がかわいくて仕方がないようだ。そしてどうやって太らせようかと考えているに違いない。
「骨が折れていないか心配になるわ。きっとあのチューブから栄養剤も一緒に流し込んでいるのね。物を食べられる体には見えないわ」
美のために死ねるタイプの人ね。クリスティーナと盛り上がっているようにも見えるわ。
「チューブで栄養剤なんて流し込んだらヴァイオレットに殺されるよ。いかに痩せるかに命を懸けているのだから」
ジュール様は少しだけ困ったように笑った後、なにかに気付いて目を見開く。
「ごめん、カロリーを取り返してくる。身の程知らずがまだ居たとは思わなかったよ」
「身の程知らず?」
訊ね終わる前にジュール様の長い足はさっさと進んでしまっている。進む方向を見ればカロリー様がちょっとふくよかな男性に声を掛けられているところだった。
そう言えばカロリー様も美女なのよね。好みが独特だけど。あたしの【旦那様】に手を出さないならなんだっていいわ。
問題はコートニーよ。いつまであたしの【旦那様】と話し込んでいるつもりかしら。苦情を言わないと。
宙に浮いてそそそとコートニーの背後を目指す。あたしの奇行じゃもう誰も驚かないけれど、コートニーが一瞬飛び上がってくれればそれで満足よ。
そそそそそっとゆっくり、気付かれないように、気配を消して近づいたつもりだ。揺れる耳飾りもじゃらじゃらとうるさい首飾りも無い。無音で近づいたはずなのに、魔法の言葉が響いた。
「アンジェリーナ、おいで」
どういうわけかコートニーに接近しようとしたのに、両手を広げた【旦那様】の魔力に抗えず、そのまますっぽりと彼の腕に包まれてしまう。
「……し、しまった……つい、うっかりおいでに引っかかってしまったわ」
「……相変わらずね、アンジェリーナ……あなた五歳の時から全く成長していないんじゃない?」
コートニーの呆れた声が響く。
悔しい。脅かそうと思ったのに。
「後ろから脅かそうと思ったのにーっ」
悔しいと足をバタバタさせれば【旦那様】がおでこにちゅーをした。
「ちょ、ちょっと旦那様? いきなりなに?」
「そういうかわいいことは私にしてくれないかな?」
優しい笑みで言うけれど納得がいかない。
「気配はばっちり消したはずなのにどうして気付かれたのか納得がいかないわ」
そもそも【旦那様】は本当にあたしに気がついていたのかしら? あたしが呼ばれたらすぐに引っかかるからテキトーに呼んだだけじゃないの?
モヤモヤしながら見上げれば、彼はふふっと笑う。あ、ほろ酔いかしら? 余所行きの【旦那様】?
「アンジェリーナはいつも蜂蜜の匂いがするからね」
「……匂い……盲点だったわ。音は立てないようにいつも気をつけているのだけど」
うん。じゃらじゃら音の大きな物は身につけていないもの。
「アンジェリーナ、何年同じことやってるのよ。少しは学習しなさい」
コートニーはあたしの姉みたいな顔をして言うけれどあなたと血縁関係になった覚えはないわ。
それにしても、コートニーの今日のドレスはまた悔しいくらい面白い素材を使っているわね。ビデオテープの中の黒いピロピロを大量に引っ張り出して作ったみたいなドレスよ。この素材はなに? この世界にビデオテープはないわ。
「コートニー、そのドレスの素材なに? 見覚えがあるような気がするのだけど、名前が出てこないわ」
「……相変わらず人の話を聞かないわね」
コートニーは溜息を吐く。
「こういうところもものすごくかわいいんだ」
しっかりあたしを捕まえた【旦那様】は腰を撫で回しながら言う。
「旦那様? 公衆の面前でなにやってるの? 旦那様の評判が下がるわ」
「うん。思う存分下げたい。誰も近寄ってこないくらいに」
いつもの笑みのままそんなことを言わないで欲しい。
「信用が下がると博物館を作れなくなるわよ」
「そこは金でなんとかするよ」
「商売もやりにくくなるわ」
そう告げると、ぴたりと手を止める。
「……アンジェリーナに苦労させない為にはある程度の外面も必要か……しかし……こういった場は……嫌いだ」
わがままな【旦那様】になっている。この人、本当に不安定ね。
「無理はしなくてもいいけれど、こういう場所で体を撫で回すのはやめて。ドレスの形が美しく見えなくなるわ」
あたしの作品よと言えば途端に姿勢を正す辺り、ぶれない部分もあるのよね。
「アンジェリーナはいつだって美しいよ」
「……それは解釈違いね。あたしは美しくもかわいくもヘンにもなれるんだから。いつだってなりたいあたしよ」
どっちかっていうとヘンなあたしの方が好きだけど。
それにしても……【旦那様】がいつも通り過ぎて拍子抜けね。文句を言う気も失せてしまったわ。
「ちょっと、ジュリアン様? アンジェリーナのかわいさは私の方がよく知っていますのよ?」
コートニーがいらついた様子で叫ぶ。
一体どうしたのだろう。
「確かに君の方がアンジェリーナとの付き合いは長いかもしれないが……私だって長年アンジェリーナを研究してきたのだから負けないよ。それに、結婚後の健気で愛らしいアンジェリーナを君は知らないだろう?」
一体何の話だ。どうして【旦那様】とコートニーがあたしについて張り合っているのだろう。それに研究って……。【旦那様】がおかしいのは元々だけど……。
「旦那様? あたし、状況が読めないのだけど」
「ああ、彼女にアンジェリーナが私の為の服を仕立ててくれたと自慢したら、幼少期のかわいいアンジェリーナ自慢をされてね。しかし私も負けていられないからアンジェリーナとの運命の出会いを教えてあげたのだよ」
それ、あたしが認識していなかったやつよね?
「アンジェリーナは顔をべろっべろに舐められたから犬があまり好きじゃないのよ」
「しかし生まれ変わったら私の飼い犬になりたいと言ってくれているよ」
張り合いはまだ続いているらしい。そして【旦那様】は夫婦の秘密をあまりおおっぴらに広めないで欲しい。
「ジュリアン様……アンジェリーナを一体どんな扱いをしていらっしゃるの? そんな……犬だなんて……」
コートニーは絶対ヘンな想像をしたわね。あの子、ちょっと特殊な性癖の小説を読むのが好きだからいろいろいけない想像をしたに違いないわ。
「絵の具でべったべたになってたらわんこみたいにシャンプーしてくれるのよ。もう。気持ちよすぎて昇天しそうよ。長年一緒のメイドより上手いの。びっくりしちゃった」
真相を伝えておかないととんでもない噂になりそうだと思ったけれど、真相は真相で問題だったかもしれない。
「シャンプーって……アンジェリーナ、あなたジュリアン様になにをさせているのよ」
「いや、本人がしたいって言うから……」
あたしはいつだってされるままよ。
「ジュリアン・ジェリーの無駄遣いにも程があるでしょう」
まあ確かに本来【旦那様】がするべきことじゃないと思うけど。
「私はアンジェリーナが作品作りに集中できるように身の回りの世話は全てしたい。出来ることならアンジェリーナの創作の邪魔にならないように食事と入浴の世話をしたいのだけど……まだその境地にはたどり着けないな」
「……百歩譲って食事は理解するけど入浴は無理じゃない?」
お湯を使うと絵は描けないわね。むしろ絵の具でべったべたになるからお風呂に入りたくなるのにべったべたのままお風呂ってよくわからないわ。
「……食事の世話はさせる気なの?」
コートニーは呆れた様子で言う。
美人が呆れる顔って中々素敵よね。好みじゃないけどやっぱり美人だとは思うの。
「あたし、コートニーは好みじゃないけどそう言う表情は好きよ」
「……時々人間以外の生物と会話している気分になるわ。話が通じないもの」
コートニーは溜息を吐き、それからがっちしと私の手を握る。
「そのくせにかわいいところが納得いかないわ」
「は?」
そう言えば【旦那様】とよくわからない張り合いをしていたのよね。
「あたし、てっきりコートニーには嫌われているんだと思っていたわ」
もしくは嫌いじゃないけど好きでもない関係だと。まああたし向けじゃないとは思っていたわ。あたしもコートニー向けじゃないもの。
「嫌ってはいないわ。アンジェリーナの前向きでへこたれないところと突っ切って個性的なところは認めているもの」
「でも?」
こういうときって大抵褒めてからなにかあるのよね。
「そのドレスはなしよ。まだ蜂の巣を頭に乗せているときの方がマシ」
なるほど。あたしはコートニーのこういうはっきり物を言うところが好きよ。
「なにを言っているんだい? アンジェリーナはどんな格好をしていてもかわいいじゃないか」
「素材がいいのだから最大限に引き立てないと勿体ないわ」
あれ? どうして【旦那様】とコートニーがあたしの格好で言い争っているのかしら?
「あたしがどんな格好したってあたしの自由でしょう? あたしは美しくもかわいくもヘンにもなれるの。それがあたしよ」
こればっかりは譲れないわ。そう告げれば二人とも黙り込んでしまう。
「……私だってアンジェリーナとお風呂入ったことないのに……」
頬を膨らませて拗ねる仕種をするコートニーに驚く。
「え?」
「ジュリアン様にあんまり興味がないみたいだからアンジェリーナを取り返そうと思ったのに、いつの間にかものすごく懐いているし……なんであっさり結婚しちゃうのよ!」
詰め寄られても困る。
「コートニー? 旦那様にご執心だったんじゃないの?」
「それは、彼がずっとアンジェリーナを狙っていたから……」
恥ずかしそうに視線を逸らされる。
それって……つまり……あれ?
「あたしが取られるのが嫌で旦那様に迫ってたの? クリスは?」
「最初っから好みじゃないって言っているのにしつこいんだもの」
いい子なのに。
それにしても、コートニーったら同性愛者だったの? 気付かなかったわ。
「アンジェリーナの周りは個性的な人が多いね」
「誰だって個性はあるわよ。勿論、旦那様だって」
みんなやりたいようにやればいいと思うわ。【旦那様】だってとっても面白い性格をしているのに、普段は少し引っ込み過ぎなのよ。
「ジュリアン様はよく何年もこんな変人具合を隠していたわね」
コートニーが呆れたように言う。
「コートニーも十分ヘンよ。あたしのことが大好きならそう言ってくれたらいいのに。あたしだって嫌いじゃないのよ。ただ、好きじゃないだけ。綺麗なのは認めるけれどあたし好みじゃないわ」
あ、まずい。思わず本音を言ってしまった。
傷つけてしまったかしら? そう思ってコートニーを見れば、すたすたと近づいて、それから思いっきりあたしの頬をつねった。
「アンジェリーナ、あいっかわらず生意気ね。そう言うところも嫌いじゃないわ」
「
ちょっとふざけてみせれば【旦那様】が慌てて割って入る。
「アンジェリーナに暴力は止してくれ」
それから念入りにあたしの頬を確認する。別にこのくらい慣れてるわよ。
「アンジー! 聞いて!」
あたしがなにかを言おうとした瞬間に後ろから声が掛かる。
クリスティーナだ。とても興奮した様子でヒールを鳴らしながら近づいてくる。
「わざわざ言わなくたってちゃんと聞くわ。どうしたの?」
「ヴァイオレット殿下にお茶に誘われちゃった!」
きゃっきゃとジャンプしそうな勢いのクリスティーナに驚く。
「え? 嘘だろう? あのヴァイオレット殿下が?」
あたしより先に驚いたのは【旦那様】だった。
噂によると彼女はジュール様と同じ空気を吸わないために酸素ボンベを引きずっている太ることを極端に恐れている女性だ。その彼女がわざわざお茶菓子の誘惑が多くなるようなお茶の席に他人を招くだろうか。
「なんだかすっかり意気投合しちゃって……美しい体型の作り方も伝授してくれるって」
「驚いた。てっきり会場中の殿方を骨抜きにしちゃうかと思ったのに、女性が釣れてしまったのね」
「釣れたって……もう少し別の表現を選ばないと」
クリスティーナはくすくすと笑う。クリスの時もお上品だけれど、クリスティーナになるともっとお上品な女性に見えるわね。
じっとクリスティーナを観察していると、コートニーが不機嫌そうにこちらを見る。
「アンジェリーナ、そちらはどなた?」
関心がクリスティーナに移ったことが気に入らないという様子だ。
「あ、コートニーは初めてだったわね。あたしの妹のクリスティーナ・サンダー・ハニーよ」
ミドルネームを考えるのにかなり時間を使ったのに、今の今までお披露目がなかったのは残念だわ。
「妹? あなた、妹なんていないでしょう? それに……彼女、背が高すぎない?」
じっとクリスティーナを見ながらひそひそと告げられる。コートニーにも遠慮するってことがあったのね。
「アンジェリーナが妹だというのだからもう妹で構わない気がしてきたところだよ」
【旦那様】はもう慣れてくれたものね。
「意外と気付かれないものね。コートニー、私の顔に見覚えないかしら?」
クリスティーナは少し屈んでコートニーと視線を合わせる。クリスティーナの時の彼女の声は少し甘く吐息感のある響きね。
「初対面だと思うわ」
本当に気付かないのね。目の色はクリスのままなのに。
「喜ぶべきなのか傷つくべきなのかわからないな」
声が普段のクリスのものに戻る。途端にコートニーが目を丸くした。
「え? お、男?」
まだ気付かないか。余計に驚いてしまう。
「……君の元婚約者のクリス・ランチはクリスティーナ・サンダー・ハニーに生まれ変わったんだ」
クリスの声のまま、彼女が告げればコートニーは魚のように口をぱくぱくと動かしたままなんの音も発せられないでいる。
「まあ、この変身は何度見ても驚いてしまうけどね」
面白そうにふふふと笑う【旦那様】は状況を楽しんでいるように思える。
「う、嘘でしょ……」
正直、クリスティーナは背が高いからコートニーより等身が整って見えるのよね。それに、やっぱりあたしと違ってちゃんとした貴族だから動きがとっても綺麗なのよ。きっと散々馬鹿にしてきたクリスが自分よりも美女になって驚いているのね。
「あんた女装趣味だったの?」
ありえないとコートニーは五歩ほど後ろに下がる。
「え?」
想定外の反応だ。
「男のくせに女装するなんて国が違えば極刑よ?」
「我が国は装いに関してはとても寛容よ。それに、女装じゃないわ。こっちが本当の私よ」
言い返したクリスティーナに更に驚く。
「ね? アンジー。いつでも自分の好きな物を着て好きな事をして、世界で一番自分を好きにならないと、ね?」
さ、流石あたしの妹! 素晴らしい心構えだわ。
「その通りよクリスティーナ! 旦那様にも爪の垢を煎じて飲ませたいわ」
世界で一番自分を好きになって貰わないとあのうじうじが治らないもの。
「つ、爪の垢?」
なぜか【旦那様】がぎょっとした顔をする。
「そんな物を飲ませるなんて一体どんな魔術なの?」
クリスティーナもものすごく嫌そうな顔をしている。
あら、こっちじゃ使わない言い回しなのね。
「手本にして見習わせたいって意味だよ。アンジーはヘンな言葉をたくさん覚えているからね」
後ろから注釈が入る。ジュール様だ。
「あら、カロリー様奪還は成功したの?」
「いや、今度は父に連行されてしまった。くれぐれも客人に料理を食べさせないようにと耳にたこができるほど……いや、うんざりするほど聞かされている」
あたしとジュール様の会話を周りがぽかんとした様子で聞いている。けれどもコートニーだけはじっとあたし達を見ていた。
「ちょっと、アンジェリーナ……ジュール殿下とどういう関係なの?」
ひそひそと訊ねられても困る。
「え? えーっと、本妻と愛人の関係かしら。きっと旦那様の愛人よ」
「こらこら、ヘンな噂を立てようとしない。アンジーとは友人だよ。服の好みが……いや、製法の好みが合うんだ」
それってつまりデザインは好みじゃないことが多いって意味ね。
「私、今ものすごく混乱しているわ。アンジェリーナもジュール殿下もこの国じゃ使われないはずの言い回しをするし……どうなってるの?」
困惑しているコートニーに同情……しないわ。今何かおかしなことを言ったわね。
「ねえ、ジュール様」
「うん。そんな気がしてきた。そもそも彼女の着る物もいろいろ不自然だったからね。職人の方かと思ったけれど……」
ジュール様もなにかに気付いたようだ。が、自分で確かめる気はないらしい。
「アンジー、君の友人だろう。君が確かめてくれ。結果は『端末』で知らせてくれたらそれでいいよ」
なんと丸投げである。酷い男だ。
「ジュール様がお茶に招いてあげればいいのに。大喜びでホイホイついていくわよ」
「僕にはカロリーという心に決めたひとりがいるからね。まあ、アンジーは面白いから愛人にしてあげてもいいけどジルに睨まれるからこのくらいにしておくよ」
ジュール様の言葉で空気が冷たくなったことに気付いた。でも、これは怒っていると言うより仲間はずれにされた気がして拗ねているんじゃないかしら?
「旦那様、大丈夫よ。本当に爪の垢を飲ませたりしないわ」
「あ、ああ……それは先程聞いたよ」
予想とは違う声の掛けられ方をして驚いたのだろう。困惑が強く出ている。
「それにしても、ヴァイオレットがクリスティーナをお茶に招くなんて……天変地異の前触れかな」
ジュール様は少し離れたところに居る妹を見つめている。
「王宮にお茶に招かれるなんて考えもしなかったわ。アンジー、お茶会用のドレスも作ってくれる?」
「勿論」
あたしが答えた瞬間にはジュール様がクリスティーナの手を握っている。
「クリスティーナ、ヴァイオレットを頼む」
「え?」
あまりの気迫に逃げるように【旦那様】の後ろに隠れる。今のジュール様は怖いわ。
「アンジェリーナ?」
「あのジュール様、絶対いけないことを考えているわ」
そんなに長くない付き合いだけれど、なにかを企んでいるに違いないと思わせる雰囲気だ。
「ヴァイオレットはあの性格だから友達がいなくてね。それに、酸素ボンベを引きずって、他人と同じ空気を吸ったら太るなんて言う女性と結婚してくれる貴族や王族がいると思うかい?」
それって……まさか……。
「ヴァイオレットは君に任せた。今まであの子から声を掛けた相手はいなかったからね」
「……いやいやいや……クリスティーナは……ああ、お互い好みだったら問題ないわね」
クリスティーナは女性よと言おうと思ったけれど、同性愛者だから問題ないわ。たぶん。まあ、今後体の方を弄る予定だったら問題が出てくるかもしれないけれど、それはヴァイオレット様と話し合うことよね。
「アンジー……君はどうしてもそういう部分にばかり考えがいってしまうようだね」
にっこりと笑うジュール様はあたしの考えを完全に読み取ったらしい。
「わかるってことはジュール様も同じこと考えたんじゃない。だめよ。あたしの旦那様は絶対にそんなことさせないから」
ドレスを着たりお化粧したりするのはいいけど体を弄るのは絶対だめ。今の【旦那様】があたしのお気に入りなんだから。
「いくら旦那様がお望みだって流石に体を弄ったらその時は離婚するからっ」
そう、泣き真似をすれば首を傾げていた【旦那様】が慌てた様子でがっしりとあたしを抱きしめる。
「アンジェリーナの言っている意味の半分もわからないけれど、君が嫌なことは絶対しないと誓う。だから……私を見捨てないでくれ……」
あ、これはあたしが泣かせちゃうやつね。悪いことをしてしまったわ。
「あたし、今のままの旦那様が大好きよ」
とりあえず公衆の面前でしがみつくような【旦那様】を引き剥がす。
「ヴァイオレット殿下とは友人になれたら嬉しいと思っています」
クリスティーナの微笑みが場違いに思えるほど柔らかい空気を纏っていて、泣きそうな【旦那様】と混乱しているコートニー、それから呆れかえったジュール様が混沌とした雰囲気を生み出していた。
「うん。今日のところは解散。クリスティーナ、別室でゆっくり話そうか」
まさかのクリスティーナ強制連行? にっこりと笑んだジュール様は絶対いけないことを考えているわ。
「旦那様、クリスティーナの貞操の危機よ!」
「……アンジェリーナ、クリスティーナももう成人しているんだ。本人の意思に任せるべきだよ」
もっともらしいことを言っているけれど、単純に興味がないだけね。
「……アンジェリーナ……王子と女装男でなにかが起きるとでも思っているの?」
「クリスティーナは心は女性だわ。もしかしたらジュール様の愛人に」
「ならない」
きっぱりと言い切るジュール様の声が苛立っているように響いた。
「アンジー、君はいい加減愛人ネタから離れるんだ」
「えー、だって一度は修羅場ごっこしてみたいもの」
「ジルとチャドで遊びなさい。僕を巻き込まないでくれ」
あっさりとチャドを生贄にしたわね。ジュール様のそういうところ好きよ。自分に正直で。
「はぁい。あたしもそろそろ飽きてきたもの。旦那様ー、あっちに美味しそうなお料理があるわ」
王宮のお料理だもの。きっとそれなりに美味しいはずよと【旦那様】の手を取る。
「あ、アンジェリーナ、待ちなさい」
コートニーに呼び止められてしまった。
「なに?」
「まだ話は終わっていないわよ。いろいろと」
不服そうなコートニーはたぶん仲間はずれにされるのが寂しいだけね。
「じゃあ、別室でお話しましょうか」
別室って言うのはつまり
「ちょっと待ってて。あっちの美味しそうなお料理をいくつか取ってから行くから」
「アンジェリーナ……食欲が優先なの?」
「だってあたしお腹空いた」
正直他のご令嬢の装いは退屈だし、コートニーのドレスをチェックしたらあたしとしては特にすることもない。【旦那様】だって他の貴族との交流をする気が微塵もないみたいだから正直もう帰っちゃってもいいかなってくらい。でも折角来たから王宮の美味しいお料理を食べてから帰るわ。
「アンジェリーナ……君は……本気で夜会に飽きてきてしまったんだね?」
珍しく【旦那様】まで呆れを見せている。
「いけない? 王宮って思ったよりずっと退屈よ。奇抜さがないっていうか面白い物と言ったらジュール様ご本人が一番面白いってくらい退屈」
そもそもあたしは新しいドレスを見せびらかす為だけに夜会に参加しているもの。今回はクリスティーナのお披露目がメインだったけれど。
ぷかぷか浮きながらお料理を取りに行こうとすると【旦那様】に足を引っ張られてしまう。
「アンジェリーナ、待った」
「ちょっと、足引っ張らないで」
びっくりした。本当に足を引っ張られることがあるなんて。物理的に。
「料理なら私が持ってくるから、君は彼女と先に行って待っていて。その……浮いてはスカートの中が丸見えになってしまう……」
恥ずかしそうに言われ、驚く。
「平気よ。中、ちゃんと見せても大丈夫なの穿いてるから」
「私が嫌なんだ。わかっておくれ」
そうか。【旦那様】は見せパンを知らないのね。なら仕方がないわ。
「アンジェリーナ、あなた一応人妻なんだからもう少し気を遣いなさい」
コートニーが呆れたように言う。
「これでも大人しくしているつもりなのよ」
そう言っても二人が納得する気配もない。
そしてあたしは渋々コートニーに連行された。
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