21 時代があたしに追いついていないだけね
被服室でクリスにドレスを着せる。悪くない出来ね。これなら【旦那様】もきっとくらくらきちゃうわ。
「クリスティーナ、とっても綺麗よ。でもあたしの旦那様にあたしより可愛がられたらもう口きいてあげないから」
「アンジー、それはないから大丈夫だよ。それにしても……こんなに化けるなんて思わなかったわ」
クリスティーナはうっとりと自分の顔を眺めている。きっと自分でメイクするようになったら毎回変顔しちゃうタイプね。あたしは勿論するわ。メイク中の変顔ってとっても大事なの。心をハッピーにしてくれるわ。
「いやぁ……まさか本当に女性の姿になるとは驚いたな」
完成したクリスティーナを見たジュール様は本当に驚いたという様子を見せるけれど、あたしに言わせればトレーニングウェアで寛ぎまくっているジュール様の様子の方に驚くわ。
「変身前と並べても別人に見えてしまうよ」
わざわざ『端末』で撮影していたらしい。
「クリスは面長だから凄く美人に仕上げやすいお顔なのよ。それに元の目が小さい印象だからつけまつげで凄く雰囲気が変わるの」
それに元のお肌の調子がものすごくいいのよね。化粧がしやすかったわ。
「豊満な体は素晴らしいわ。もっと大きな方が美しいと思うけれど、元の体型に対して素晴らしい曲線ね。パットで作ったの?」
カロリー様は興味津々と言った様子だ。
「お尻はこのパットを切って詰めてるわ。本当に良い形に出来たと思う。ジュール様の分も作る?」
「僕は遠慮しておくよ。締め付ける服は好きじゃない」
ジュール様は穏やかな笑みで言うけれど、実際は女装に抵抗があるって感じね。
「元が良いから美女になれそうなのに」
そう口にすると気温が下がったような気がする。
あ、怒らせた?
「ヒールを履いたら人生変わるわよ。ぴったりの靴が見つかるとあたし女よ、イエーイ! って感じに踊りたくなるのよ」
あれって本当に最高の感覚よ。
「それはアンジーだけじゃないかな?」
「え? 女の子楽しみましょう? あたしは男にも女にもなれるし美人にもかわいくもヘンにもなれるの。全部楽しまなきゃ損よ」
そう言ってもみんな笑うだけでリアクションが薄い。もっと一緒に楽しんでくれないのかしら?
「アンジーはやっぱりそうじゃないと。元気になって安心したわ」
クリスティーナの言葉に、やっぱり心配させてしまっていたのだと反省する。
「もう決めたの。誰がなんと言おうとあたしはあたしでいるって」
今のあたしはきっと、【旦那様】とあたしであり続けることを天秤にかけたら【旦那様】を諦めてしまう。だって、こんなに毎日軸を揺さぶられるのが凄く怖い。あたし、彼のこといえないくらいへたれでびびりなんだわ。
「あたしってやっぱりあたしが一番だから、こればっかりは仕方がないわ」
「アンジーは一緒に居て気持ちのいい子ね。本当に、ジュリアン様が暴走したらジュール様の愛人になってもいいわよ。その代わり私の相手もちゃんとしてね。ジュール様を仲間はずれにするくらい」
カロリー様は笑っているけれど、目の色が変わった気がする。特に、ジュール様を仲間はずれの辺りで。
「実は仲が悪いの?」
思わず訊ねてしまう。婚約しているはずなのに嫌っているようにさえ見えてしまう。
「いいえ。ただ、趣味が合いすぎてしまうところが問題で……まぁ、仲は悪くないと思うわ」
カロリー様は言いながらクリスティーナを見る。
「このボディのメリハリは本当に美しいわね。お腹も詰めたの?」
まるで話題を変えたいと言うようにクリスティーナのボディを確認している。
「いいえ、お尻と胸だけよ。お腹周りは少し締めてバランスを取っているの。あとはアレをしまい込んだら完璧なんだけど、ここで一つ問題。あたし、これでも一応人妻だから流石にあたしが教える訳にはいかないのよね。ジュール様、あたしの代わりにクリスティーナにアレのしまい方教えてあげて」
だらしない格好で『端末』を弄っているジュール様に言うと、彼は驚いたのか『端末』を落としてしまう。
「ちょっと待った、アンジー……その顔でそういう話をしないでくれ」
慌てて接近してきたかと思うといつもより低い声が囁く。
「どうして僕がそんなことを知っていると思うのかな? 悪いけど前世でも女装経験はないんだ」
あ、これは怒らせたっぽい。
「え? モデルでしょ? そういう友達とか居なかったの?」
「……同性の友達も異性の友達も居たけど女装する友達はいなかったよ」
ありゃりゃ。参ったな。
「じゃあ、ジュール様に教えてあげるからジュール様がクリスティーナに教えてあげて。流石にあたしが掴んで押し込むのはまずいから。旦那様が自殺しちゃう」
ジュール様に耳打ちでやりかたを教えようとしたら凄い勢いで拒絶される。
「アンジー、君は人妻の自覚を持つべきだ」
都合の良いときだけそんなことを言うのね。
「あたしに愛人になれって言ったくせに。カロリー様、ジュール様が非協力的なんだけどあたしもうデザイナー降りてもいい?」
カロリー様を味方に付けた方が得策だと思うの。
「あら、ジュール様、アンジーに意地悪ですか? 協力してあげてください。私もアンジェリーナ・ハニーブランドのドレスを着たいわ」
どうやらカロリー様があたしのファンというのは本当だったらしい。
「カロリー、アンジーの外見に惑わされちゃだめだ。中身はただの女装家だよ?」
「今のあたしは完璧な女の子ですー!」
失礼しちゃう。もう十九年も女の子やってるのに。
「クリスティーナ、あたしってそんなに女に見えない? だから旦那様にも拒絶される?」
クリスティーナに訊ねても無駄だってわかっているけれど、訊ねずにはいられない。
「いや、アンジーは女の子だと思うけれど……時々恥じらいって物をどこかに忘れてきたのかなって思うわ」
「だって旦那様が見ていないところで猫被ったってあたしに得はないもん」
そりゃあ【旦那様】の前では少しくらいかわいこぶって……ないわね。積極的過ぎてドン引きされたんだったわ。
「あたし猫被る才能ないかも」
「そうだね」
あっさりとジュール様に同意されてしまう。
「いいわ、猫被らないからジュール様、クリスティーナにアレを伝授してあげて。このテープを使えば剥がすときそんなに痛くないから」
ウィッグの固定にも便利なテープよ。剥がすときに『そんなに』痛くないのにしっかり固定できるの。
「……ちょっと、カロリーと三人で話そうか」
ジュール様に首根っこを掴まれてしまう。
「え? なに? あたしなにかやらかした?」
「うん。やらかしてるから」
ずるずると隣の部屋に運ばれていく。カロリー様は少しだけ呆れた様子を見せながらもついてきた。
「それで? どうして私まで?」
「転生者だけで話をしようと思ってね」
「ああ、アンジーもそうだったわね」
気にならなかったとカロリー様は言うけれど、あたしはジュール様からいろいろ聞いていたから少しだけ知ってるわ。パタンナーなのよね。
「アンジーは、この見た目で前世は男なんだ。しかも日本の公務員。女装趣味の」
「訂正、女装趣味じゃなくてハイヒールを履くのが好きだっただけよ」
いくら前世のさえない男だって不名誉な部分は訂正するわ。
「同じじゃないのかい?」
「別物よ。そりゃあ、くたばったときはアンジーの顔でブラジャーに靴下詰め込んでたけど」
最後の記憶がそんなクソダサい姿だなんて情けないにも程があるわ。今ならもう少し完璧に仕上げた。
「死んだときの記憶があるの?」
カロリー様は驚いたように言う。
「え? いや、死因はわからないけど、最後の日になにをしてたかくらいは覚えてるかなーって。あたし、ずっと絵描きになりたかったから。嫁に隠れて絵を描いてたけど、なんとなーく自分の顔に描いてみたくなったのよね。そしたらもう、アンジェリーナ・ハニーはそこにいたのよ」
今の顔、とっても素敵でしょと言えば、二人はただ純粋に驚いた顔をしている。
「前世と同じ顔なのかい?」
「まさか、ちゃんと作ってるわよ。化粧って実はあんまり元の顔は関係ないのよ。完成形に近づくようにいろいろ工夫してるの。まぁ、今のお顔は前より若い分お肌の艶もいいし、顔の形も理想型だったから前ほど苦労しないわね。前はテープで引っ張ってたから」
テープって本当に万能よね。
「女装趣味ってよりは自己表現をしたかったが正解ね。給料全部嫁に握られてたからあんまり画材とかも買えなかったし……アンジーはとっても恵まれているわ。ハニー伯爵家でも好きなだけ絵を描いたし、服も作ったし、彫刻も……今なんて溶接までできるのよ。そのうち金属のドレスを作れそう」
「……今の君は前世の反動?」
「さぁ? でも、もうなにも我慢したくないわ。旦那様にだって……これ以上は妥協してあげられない……でも、結局惚れた弱みかしら? しゅんとされるとあたしまで悲しくなっちゃう」
でも、今日はもう絶対許してあげないんだから。そう、心に決めているけれど、たぶん迎えに来てくれたら尻尾振って擦り寄っちゃうわね。
「元々女性になりたかった人なの?」
カロリー様が興味深そうに訊ねる。
「え? 別に。あたし自分の性別ってどうでもいいのよね。男にも女にもなれると思ってるから。だから、結婚するときちょっとだけ不安だったの。あたし、本当に異性愛者なのかしらって。ほら、今のあたしは女の子に生まれたけれど、前世の記憶で土壇場になってやっぱ男とは無理ってなるかもって。旦那様がその気になってくれないから未だにそこの確認は出来ていないけど」
そうなのよね。今はあの態度に不満を抱いていてもいざ本番になったら逃げ出すかもしれないわ。
「……異性に生まれ変わるとはそういうことなのかな?」
ジュール様は困惑した様子でカロリー様と視線を合わせる。
「私は前世も女だからその感覚はわからないわ」
「勿体ない。両方楽しんだ方が得なのに。次は男に生まれたい?」
「成り行きに任せるわ。でも、次も記憶があったらきっと大混乱ね」
カロリー様は笑う。この人はたぶん今を楽しんでいる。
「私は記憶があるまま女性に生まれ変わるのには抵抗があるな」
ジュール様みたいなこういうタイプって案外女装したらはっちゃけちゃったりするのよね。
「ジュール様は絶対女の子楽しめるわ。間違いない」
「そんな保証はされたくないな」
笑っているけれど事実は事実よ。仕方がないわ。
「それで? そんなにジルと上手くいかないのかい?」
心配と言うよりは話題を逸らしたいという印象だけれども話を聞いてくれるなら話してあげてもいいわ。
「あたしに求婚したくせにあたしをそういう対象には見られないみたいなの。前世が男だから?」
「普通は言わなければ気付かないとは思うけど」
ジュール様はどこか面白そうにあたしを見る。
「アンジーはじゃじゃ馬というよりは凄く変な子って感じだしね。個性的を通り越しすぎていて人類には百年以上早すぎるって印象だよ」
「それつまりあたしがダサいってこと? 旦那様にもちょっと言われたけど」
別にあたしはあたしの格好好きだから構わないけど。
「ぶれない軸があるって素敵よ」
カロリー様はフォローのつもりだろうか。なんだか馬鹿にされた気分よ。
あたし、今卑屈になってる。だめだめアンジーになっちゃってるわ。
「しっかりしなさい! あたしはアンジェリーナ・ハニーよ!」
思いっきり自分のほっぺを両手で叩く。
痛い。
当然だけど痛い。予想以上に強く叩いてしまった。
「うじうじするなんてあたしらしくない! ほら、ジュール様! さっさとクリスティーナにアレのしまい方を教えてあげて!」
あたしが急に勢いよく動き出したせいかジュール様が一瞬怯んだ。
「テープでも専用下着でもどっちでもいいから早く!」
「……専用下着まで作ったのかい?」
完全に呆れられている。
「正直時間と予算の無駄だとは思ったけど……もしも旦那様がチャレンジしたいって言いだしたときになるべく痛くない方法をと思って試作で作ってみたの」
テープは万能だけど剥がすときはだいたい痛いのよ。このテープだって『そんなに』は痛くないけど少しは痛いもの。
「そこまで用意しているなら自分で教えれば良いのに……そもそも、君はジルが女装にのめり込んでもいいのかい?」
「旦那様なら似合うと思うわ。その時はお揃いのドレスとヒールを用意することにしたの」
隣で寝ている【旦那様】を見てうっかり女装が似合いそうなんて考えちゃうくらいだし、むしろ大歓迎なスタンスかもしれないわ。
ジュール様は大袈裟に溜息を吐いてやれやれとあたしに近づく。
「それで? なにをどう教えろと?」
「え? 本当に詳しく教えなきゃわからないの?」
道具を見ればそれなりに予測できると思ったのに。
とりあえず前世も今世も女性のカロリー様には聞こえないようにひそひそと伝授することにした。
伝授した後もジュール様はしばらく躊躇っていたけれど、カロリー様に突かれて渋々クリスティーナに教えてくれている。クリスティーナの方が抵抗していることに驚くけれど、完全に自棄になったジュール様には勝てないようだ。
「……ジュール様って意外と普通の男の子ね」
いつも余裕のある紳士みたいな顔してるからどんな人かと思ったらあたし(前世のさえない男を含めば)より年下みたい。
「アンジーと居ると童心に戻るみたいね。とっても楽しそうだわ」
カロリー様は呑気にそう言って、それからあたしの作品に興味があると絵画や彫刻の解説をして欲しいと言い出した。
正直、自分の作品を解説するのは好きじゃない。表現をするのはあたしの自由。でも、解釈は見る人の自由よ。【旦那様】がおかしな解釈をしてもそれは【旦那様】の自由。制作者としてはちょっと複雑な部分もあるけれど。
とりあえず最近作ったいくつかをカロリー様に見せていると不機嫌なジュール様が戻ってきた。
「僕にこんなことをさせるのはアンジーくらいだよ」
完全に怒っているな。
「いざというときに使えるわよ。女装して逃亡するときとか」
「こんな背の高い女がいたら不自然すぎるだろう」
素で怒ってる。
こういう仕種を見ると少年という印象を受けるのよね。
「あたしは男でもイケメンになれる自信あるけど。ジュール様だって膝立ちすればドレスの裾で隠せるんじゃない?」
「そんな逃亡が無いことを祈るよ」
逃亡するようななにかを起こす気なのだろうか。
あたし優しいから聞かなかったことにしてあげよう。
なんて考えていたらジュール様の顔が接近してくる。
「ほんっと、生意気な子だね」
彼の手が顎に触れた瞬間全身がぞわぞわした。
嫌。無理。こいつ無理……。今あたしの本能が拒絶反応を起こしたわ。
「やっぱ旦那様以外の男は無理っ!」
唇が触れあうのではないかと思うほど近づいたジュール様の顔を手で押っつけた瞬間、扉が開いた。
「ジュール、今すぐアンジェリーナから離れろ」
それはとても美しい笑みを浮かべた【旦那様】から凍てつくような声が発せられたのと殆ど同時。
怖い。今すぐ逃げたい。あたしの全身は尻尾を巻いて逃げたいと言っているのに、次の瞬間には魔法の言葉が飛んでくる。
「アンジェリーナ、おいで」
怖くて逃げたいのに、あたしったらどうしてかこの言葉には逆らえない。
「ひゃ、ひゃいっ……」
情けないくらい声がひっくり返って、心なしかふらつきながらふわふわと【旦那様】の方へ向かう。あたしが辿り着くよりも少し早く、強引に腕を引かれたかと思うとそのまま腕の中に閉じ込められてしまう。
「アンジェリーナ、なにもされていないかい?」
とても心配したと言わんばかりにぺたぺたと全身を確認されるけれど、今の【旦那様】が怖くてなにも答えられない。そもそもあたし、拗ねて家出したはずなのに、あんな魔法の言葉一つで逆らえなく……それ以前に空気が冷えすぎたことが怖くて逆らう気すら起きなかった。
「迎えに来るのが遅くなってしまってすまない。君に向き合う気合いを入れるのに少し時間が掛かってしまって……先に仕事を全て終わらせてきたから今日はもうずっと君の相手だけをしていられるよ。勿論、明日も君の為に空けている。だから……帰ってきておくれ」
ひときしりあたしの体を確認し終わったらしい【旦那様】はしっかりとあたしの手を握って……いや、手の甲を頬に擦り付けながらそんなことを言う。
覚悟決めた結果がこれ?
やっぱりこの人とうまくやっていく自信がなくなってきたわ。
「アンジェリーナがあまりにも可憐だから……ジュールに襲われていないか心配で心配で……」
「可憐? これが?」
ジュール様が真っ先にありえないという声を上げる。
確かに、あたしは可憐という言葉とは無縁かもしれない。
「ジル、言っておくが襲われそうになったのは僕の方だよ?」
人聞きの悪い。あたしは【旦那様】意外にはそんなに興味がないわよ。そんなに。
「ジュール、そんな風に誤魔化すなんて見損なったよ。大体アンジェリーナがそんなことをするわけ……いや、アンジェリーナだし……アンジェリーナ? どういう状況だったのか説明してもらえるかな?」
あれ? あたしの名誉のために戦ってくれると思った【旦那様】に疑われた?
「あたしはべつに旦那様以外の寝込み襲ったりはしないわよ? そりゃあ旦那様の素肌には興味あるけど、ジュール様は……ボディペイントしてあげてもいいけど……チャドにやったとき叱られてしまったから……でも取れない絵の具で恥ずかしいの描いてあげたい気分よ」
そうね。なにかものすごく恥ずかしいものを描いてあげたい。そう。お腹にナマケモノの絵とか。一生お腹にナマケモノ飼うなんてお腹を出す服を着られなくなってしまうわね。
「アンジー? あまり生意気言うとバラしてしまうよ?」
にっこりとジュール様が脅迫してくる。
「旦那様ー、ジュール様がカロリー様公認の愛人になれって誘惑してきますー」
どっちが怖いか天秤に掛けた結果は【旦那様】だ。ここは【旦那様】に甘えてジュール様を追い払ってもらう方が良さそうだと判断した。
「ジュール? 人妻に手を出そうなんて恥を知れ」
笑みこそ浮かべている物の、【旦那様】から一切の穏やかさが失われた気がする。
怖い。今すぐここから逃げたい。
浮いて逃げだそうとするけれど【旦那様】の腕ががっちしとあたしの腰を押さえているから逃げられない。
「よかったじゃないかアンジー。ジルはちゃんと妬いてくれたよ」
ジュール様は涼しい顔をしている。あれが怖くないのだろうか。
「アンジェリーナ、君も……あまり不安にさせないでおくれ」
まだまだ言いたいことはあるけれど言葉を選んだ結果がそれといった感じの【旦那様】は溜息を吐いてそれからあたしを抱きかかえる。
「お客様にはお引き取り願って、アンジェリーナ、君も帰るよ。あまり君の行動を制限したくないと思っていたけれど少し躾が必要かな」
普段と同じような表情をしているくせに声は冷たく感じられる。
これはものすごく怒っている。前回の時とは違った怒り方で。
これはまずいと逃亡を試みるけれど見た目からは想像も出来ないほどしっかりと拘束されてしまっている。
「こら、暴れない」
耳に吐息が掛かる。優しく響くけれど、空気が冷たい。
「やだ。今日は帰らないって言ったもん」
子供みたいに足をばたばたさせていると騒ぎに気付いたらしいクリスティーナが現れた。
「あ、アンジー、この髪飾りの付け方……ってあれ? お迎え来たの? 捕獲された?」
キャンディで作った髪飾りを手に持ったクリスティーナはあたしから見ても凄く美人よね。これはきっと【旦那様】だって見惚れちゃうに違いないわ。
「……アンジェリーナ……彼女は君の作品かな?」
驚愕を見せ、それから目を輝かせた【旦那様】に驚いてしまう。
「つまり、夜会で会った彼が……彼女になったと?」
「えっと……まぁ……そんな感じ? クリスティーナは最初から女の子だけど」
あたしが言い終わる前にあたしを抱えたままの【旦那様】はクリスティーナに接近する。
「言い値で買い取ろう」
「は?」
「へ?」
あたしとクリスティーナはほぼ同じタイミングで間抜けな声を出してしまった。
「いや……むしろ……私がキャンバスになればいいのではないか?」
これは変なところに火を点けてしまったみたい。
「嫌よ。だめ。旦那様はもうあたしの作品買うのだめだから」
あたし【旦那様】にとっても怒ってとっても悲しかったはずなのにどうしてあっさり捕獲されているのかしら。もう一回じたばた暴れてみる。それにしてもアンジェリーナの体は呆れるくらい非力だ。前世が男だったから比較しちゃう部分もあるかもしれないけど、細身の【旦那様】に捕獲されて逃げられないのは情けないにも程がある。あと瓶詰めは大体開けれない。
「アンジー、そんな子供みたいに暴れないの。お迎え来てくれたんでしょう? 素直に帰りなよ」
クリスティーナが諭すように言う。
「今日は帰らないって言ったのにあっさり連れ帰られたらかっこ悪いじゃない」
「往生際が悪い方がかっこ悪いよ?」
クリスティーナな言葉がぐっさり刺さる。
「あたし……あたし……そんなにダサくてかっこ悪いの?」
自分では超イケてるつもりだったのに……。
いいえ。違うわ。
「時代があたしに追いついていないだけね」
「そういう前向きなところは凄く素敵だと思うけど、アンジー、あんまりジュリアン様を困らせては嫌われてしまうよ」
またぐっさりと刺さる。
どうもクリスティーナは的確にあたしの弱点を突けるらしい。
「大丈夫だよ。アンジェリーナのわがままはかわいいから」
かわいいと言われるとやっぱり嬉しい。でもこのかわいいってつまり小さい子とかそんな感じの扱いでしょう?
「あたしこのまま一生旦那様にお子様扱いされて過ごさなきゃいけないの? そんなの嫌よ。あたしの作品地産地消しようとするし。実家のお父様よりずっと過保護」
ハニー伯爵は、そりゃあ初めの頃は娘は天才だと絵を喜んでくれたけど、その後はあたしがしでかす数々の問題に胃が被害を受け続け、かなり痩せたと思う。
「子供扱いはしていないよ。ただ、いつも君が次になにをするのか楽しみで仕方がないんだ」
しでかす方を期待されても困る。
「……もうなにも作らない……」
これでどうだ。あたしの作品が大好きな【旦那様】はあたしがなにも作らなくなったら用済みでしょうと自分でも呆れるくらい子供っぽく拗ねてみる。
「わかった。うん。アンジェリーナもずっと集中していては疲れてしまうね。お湯を用意させる。そうだ、ジュールとカロリー嬢がたくさんお土産を持ってきてくれたのだけど甘い物は好きだろう? 好きな物だけ食べるといい」
優しく頭を撫でられて調子が狂う。もっと慌てたりなんなりあると思ったのに。
「……メロンシャーベットがいい」
「あまり食べてはお腹を壊してしまうよ?」
「あたし丈夫だから平気」
これでは完全に駄々を捏ねる子供だ。自分自身に呆れてしまう。
けれども、引くに引けなくなってしまった気がする。
その証拠に、ジュール様がものすごく呆れた顔を見せていた。
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