3 友好的にウェルカムしてみた
強制退場させられた【旦那様】に取り残されたあたしは、ユージーンによって別の部屋に退場させられた。そしてがみがみと説教をされたけど内容なんて殆ど覚えていない。あーはいはいと適当に聞き流していたらドナが迎えに来てくれたのでこれ幸いと逃げだし、温かいお風呂でゆっくりと寛いだ。浴室はシンプルだったけれどとてもいいバスタブだった。それに花の香りの石鹸は中々好みだ。
入浴を終え、シースルー素材のネグリジェに着替えた。さっき見た【旦那様】は中々の堅物に見えたが抜群のプロポーションを誇るアンジェリーナ・ハニーのこのセクシーな姿には多少なりとも反応を示すはずだ。よほどのムッツリではない限り。
そう思ってベッドで待機していたのに、肝心の【旦那様】は現れない。
「ねぇ、ここ、夫婦の寝室よね? 旦那様は?」
思わずドナを問い詰める。
「その……まだ支度ができていないようで」
「何時間待たせる気? 日付変わっちゃうわ」
これは大問題。初日からこんなんでいいのだろうか。
思わず溜息を吐けば、扉の向こうで声がする。
「大丈夫だって、ジル。深呼吸して。一杯引っかければまた勇気が出るって」
「……チャド、それはつまり私は素面ではなにもできないという意味か?」
「いや……その……一杯引っかければ緊張せずに話せるだろう? アンジーだって今のところはお前を嫌ってないんだからさ」
どうやら【旦那様】が居るらしい。
「しかしだな……勢いで求婚したとは言え……この屋敷に実物が居ると思うとそれだけで……」
「お前、それでよく求婚したな」
なんてことだ。【旦那様】はあたしを恐れて寝室に入れないらしい。ここは扉を開けて友好的にウェルカムするべきではないだろうか。
「お待ちしていましたのよ。旦那様」
ばかーんとそれはもう盛大に勢いよく扉を開ければチャドは臨戦態勢に入り、【旦那様】は硬直している。
「いやいやいや、アンジー、流石にそれはない」
警戒を解きながらチャドが言う。
「え? やっぱり初めが肝心だと思って……旦那様は緊張していらっしゃるみたいだから、ここはあたしがちょっとほぐすべきかなって」
「し、心臓が止まるかと思った……」
数回瞬きを繰り返し【旦那様】は自分の胸に手を当てる。
「あれはジルじゃなくても驚く。まさか入ろうとした瞬間にこんな勢いよく開くなんて誰も思わないだろ」
なるほど。【旦那様】は心臓に疾患があるのか。あまり脅かしてはいけない。
「驚きと騒がしいがあたしのスタイルだけど、旦那様はあまり脅かさない方がよさそうね……あ、もしかして、シースルーは刺激が強すぎた? でも、男の人ってこういうの好きでしょ? むっつりのユージーンだって多少は反応するもの」
「兄貴の恥を広めないでやってくれ」
チャドは【旦那様】を支える。
そもそも彼はどうしてここにいるのだろう。
「夫婦の時間、それも最初の第一歩に、どうしてチャドがいるの?」
「アンジーが脅かしすぎて混乱してたジルをやっとの思いで正気に戻したんだよ! それが一気に台無しになったじゃないか」
普段はがさつな彼が随分と細かいことを言う。
「そんなあたしが悪いみたいに言わなくても。こんなあたしに求婚したのは旦那様よ? それとも、見た目だけで選んだ? それともお金?」
思わずチャドに詰め寄る。
「いや、アンジー……流石にその格好で人前に居るのは良くない……ジル以外にその格好はだめでしょ」
なんでチャドなんかに叱られなきゃいけないんだと苛立っていると、ぽふっとなにかを掛けられる。
「冷える」
静かな声だった。それが【旦那様】のものであるのは明白だ。掛けられた物に触れれば、厚地のニット。カーディガンのようだった。
「あ、ありがとう……」
すごく肌触りが良い。カシミアだろうか。
お礼を言ったつもりが、【旦那様】はすたすたと寝室へ入ってしまう。
「……あれ? 素通りされた? え? もっとなにかない? あたし魅力ない? こんなにかわいく産んでもらったのに」
「それ、自分で言っちゃうの? いや、アンジーが突拍子もないことやり過ぎてジルの頭が限界を迎えてると思う。もう少し大人しくしてやってよ」
どうしてチャドが頼み込むのかはわからないけれど、【旦那様】は相当気難しいようだ。
「チャド、もう帰ってくれないか」
部屋の中から控えめな声がする。
「あ、ああ。悪い。その、頑張れよ」
一体何の励ましか。チャドはまだ心配そうな様子を見せたけれど、あたしの背を押して寝室に押し込んだ。
一体何だったのだろう。
「いろいろ失礼じゃない? あたし、これでも【人妻】になったよの? なんかおかしな響き」
そうだ。紙の上ではもう立派な【人妻】のはずだ。けれどもなんだか実感がない。
【旦那様】を見ればそさくさとベッドに入り、とてもお行儀良く寝そべっている。
「ええっ……」
いや、もっとこう、なんかないの? 新婚ほやほやですよー。
彼は本当にあたしに求婚してきたあのきらきらした優良物件なのだろうか。それともあのきらきら貴公子は影武者かなにかだったのだろうか。
もやもやしながらも諦めないと、次のアプローチを仕掛ける。
「旦那様、アンジーをたくさん可愛がってくださいませ」
隣に潜り込んで密着する。甘えるように擦り寄れば、彼は完全に硬直してしまった。
心臓に負担が掛からないように露骨だけれども過激ではない方法を選んだつもりだ。なのに彼の反応はどうもおかしい。
「旦那様?」
甘ったるい声で呼びかければ、ようやく長い手がすぅっと伸びて背に触れる。
やっとその気になってくれたかと思ったのも束の間で、彼はまるで幼い子供を寝かしつけるように、あたしの背をとんとんと叩く。
「……いや、そうじゃなくて……」
可愛がってとは言ったけれど、子供のように扱えとは言っていない。
文句を言おうと思ったのに、その手があまりにも気持ちよくて、気付けば深い眠りに落ちてしまった。
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