第25話
「……よぉ、サマリス」
「……ニフユか?」
「おお、そうだよ。俺様、一個思い出したことがあってよ。それをお前に伝えに来たんだわ」
暗闇の中、地面に近いところでぬるりと動くような気配がある。どうやら実体にはなっていないらしい。サウサミーケに勘づかれるのを避けているようにも思えた。
「お前さぁ、サマリス・オウファンだよな」
「ああ」
「あの、貴族の。魔名(グリモア)はフェイルグロンドだよな?」
なにかの含みを待たせるような言い方だった。声はいつもよりずっと低く、こもっているように聞こえる。それに、どうしてこの使い魔がサマリスの魔名を知っているのか。
嫌な予感が男の中を駆け巡っていった。
サマリスはこの使い魔が苦手だ。今まではサウサミーケがいる所でしか姿を現さなかったが、なぜこんな時に限って現れるのか。
「ああ、そうだ」
ニフユが笑っているような、そんな声が聞こえる。彼が何を伝えたいのかさっぱりわからないままだ。
「今は使い魔持ってないんだってな」
「……何が言いたいんだ?」
「まぁ、聞けよ。サミー」
「……っ」
ニフユがどうしてその呼び方をするのか。体がびくりと反応した。恐ろしいものを見せられる。恐怖に戦くようなことを囁かれるというのが本能的に分かった。
サマリスが体を起き上がらせる。ベッドから足を下ろすと、確かに彼の足を撫でていく感触があった。
「やっぱり、あのサミーだよなぁ。はじめ見た時からどこかで見たことあるなぁ、と思ってたんだよ」
無数の瞳がどこからか彼のことを見ている。あるいは、この暗闇の全てが、瞳かも知れない。
笑っているような気配がした。暗闇の中に確かな熱量が存在する。
サマリスが喉を鳴らした。
「ジェニスのことはどうも、ありがとうございました」
嫌な名前だ。思い出したくもない。まさか、あの夢はこの使い魔が見せていたのか。体の芯が冷たくなる。腹の中を直接煮え湯が通っているような感覚さえした。
オレンジ色の大きな瞳を思い出した。少女のものではない。
何か言いたかった。だが、言葉が見つからない「やめろ」だったかもしれないし、「許してくれ」だったかもしれない。彼はどちらの言葉も持ち合わせていなかった。呼吸だけが続き、どこからか瞳が覗いている。
「よくも殺してくれたな。俺がせっかく可愛がってたのによ? あれ、可愛かったろ。お前のところに行って、二年と三ヶ月か? もちろんあっという間だったさ。焼け焦げて死体になったのが魔界(こっち)に帰ってきたの、今でも覚えてるよ」
「ち、違う、あれは……」
「殺してないとでも、言いたいのか。殺したのは、お前だ。サミー」
暗闇だ。暗闇が彼を責め立てている。呼吸がうまくできなかった。喉の奥が張り付くような、舌が抜かれてしまったかのような。ともかく、その名は今は彼の名前ではない。あの時のサミーは死んだ。いない。
ニフユがサミーと呼ぶべき人はあの少女だ。オレンジ色の瞳をした少女だ。
呪いがずしりと重さを持ち、素早く拍動していた。彼が自分にかけ、死ぬことを恐れ、無力を慟哭し、理不尽に激高し、死なぬことを嘆いた、呪いだ。
心臓に施されたあの魔法陣がぐるりぐるりと回っている。彼の体に血を巡らせる。
サマリスが当たり前に息を吐き出す。それさえも、呪いだ。あの炎の夜に、彼すらも死んでいればよかったのだ。
誰も彼を助けなかった。誰も彼女を助けられなかった。
ニフユが続ける。
「まさか、墓参りって、あいつの墓でも建てたって言うつもりか? なんのつもりだ、おめぇ……」
真に暗い中で、彼の瞳が淡く光を放つ。その瞳すら彼のことを恨んでいる。殺した。
ニフユの瞳が確かにあった。無数にある。壁に床に、空気にすら張り付いてサマリスのことを見ていた。彼を憎んでいる。
「目玉もなくして、声までなくしたか? でも、そんなんじゃお前は許されねえよ。あいつを殺したのは、サミーだからな」
ニフユの声がしっかりと届いていた。
笑っているふうである。彼が続けた。
「なぁ、俺様のサミーをどうするつもりだ? 似てるよな、ジェニスと、サミー。色がさ。そういうところも、俺様は気に入ってるんだけどよ、お前、墓参りだけが目的じゃねえんだろ? なら……」
「それは、違う」
ニフユの言葉にハッとした。違う。とそれだけはしっかり言えた。
彼女とサウサミーケは違う。夢にまで見たのだ。ジェニスは臆病で、優しく、賢かったが、サウサミーケは豪胆で、最強であり、騙されやすかった。似ているのは瞳の色だけだ。
魔法陣が組み代わり、目の前に広がる闇を見つめる。
「それは、お前の勘違いだ。ニフユ」
「勘違いだあ……?」
「俺は、お前とジェニスの間に何があったのかも知らないし、おまえがこうしてまでサウサミーケに執着する理由も知らない。だが……」
「誰が……誰がサウサミーケに執着してるって!? あ? 俺様がか? 何を言って……」
「違うのか?」
ニフユのそれは執着である。サマリスはそれを見抜いていた。あんな子供わざわざ騙して主従関係を結ぶほどの価値もない。彼女には拳しかなく、魔法はなかった。もしもニフユに慧眼があったとしても、この状態までは見透かせていなかったはずだ。
サマリスはサウサミーケを魔法使いにしたい。最強などにはさせたくなかった。
あのオレンジ色の瞳と、その色に似た声が思い出される。畏怖の念と、憧憬がある。いつかに、彼女のような力を持っていたとしたら、彼は今ここに立っていなかったかもしれない。
この年になったからこそ知っていた。
若さは、強い。
闇が震えた。
「……あれは、違う。似てるけど、違う。俺様はあれを寄り代にしたいとか、なにかの代わりにしようなんて、考えちゃいない。それにするには、あいつは強すぎるよ」
「変なこと言うな。サウサミーケは弱い。たかが、最強なだけだ」
「……!?」
扉の隙間からわずかな光が差し込んでいた。そっと押し開ける色の黒い手が見えた。ヒビの入ったランタンを持ったサウサミーケがそこに立っている。
オレンジ色の瞳が眠たそうにサマリスを見た。そして、あたりの闇に話しかける。
「勝手にどこかに行くな、ニフユ。もぞもぞして気持ちわるいんだ。寝れないだろう?」
「……あ、悪ぃ」
闇の中を何か気配が引き摺って行って、サウサミーケの下までたどり着くのがわかる。彼の居場所はそこだ。
彼女の小さな背中が向けられた。その様に見た瞳は何か言いたげに揺れていたが、彼女は何事も口にはしない。
たった一言の挨拶が彼にかけられた。
「おやすみ、サマリス」
ランタンの炎が遠ざかっていく。彼に安らかな眠りは来ないのだと伝えているようであった。
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