第39話 ホップステップ
「ええと、試乗してから決めても遅くありませんよ。とにかく試乗してみましょう。」
「はい。じゃよろしくお願いいたします。」
船を降ろしてもらい河口側から海を見てみると結構波がたっているように見える。S馬さんが舵を取って出港する。今考えると大したことない波だったが、その時はとてつもなく大きな波に感じられた。風も強い。幸いと言っていいのかどうか。私は試験のときも練習のときも、もちろんアメリカでも凪の時にしか出たことがなかった。今日は風も結構強い。しかしハンドルをにぎるS馬さんはなに食わぬ顔で沖へ出ていく。船は時折跳ねる。
「ええと、取り敢えず1500回転ぐらいでいってみます。」
「S馬さん、あ、あの!」
「はい?」
「こんなに、な、波が高くて、だ、だい、大丈夫ですか?」
「ええと、ぜんぜん大丈夫ですよ。」
船は波を受けて時折はねあがる。
「こ、これは波の高さって何メートルぐ、ぐらいあるんですか?今?」
「何メートルもありませんよ。1メートルあるかないかぐらいですよ。」
慣れてしまった今ならなんてことはない波の高さだったかもしれないがその時はとてつもなく怖く感じられた。正直。立っていられない。小さな船に乗ってみるとわかるのだが接地感がまったくない。足元がとても不安定でゆらゆらしている。要は踏ん張りどころがないのである。
「ええと、もうちょいエンジンまわしてみましょうかね?操縦してみませんか?」
「いやいやいやいや!結構です。むりむりむり。」
「ええと。そうですか。じゃ2500回転ぐらいまで回しますね。」
「いや、無理無理。あんまりスピードをださなくても。あの。」
こんなちびっこ船にもかかわらず思いの外元気よく船は速度を上げていく。
「ひー!」
「ええと。どうしました?エンジンは調子いいですねえ。今は波がありますが凪の日だと本当に気持ちよく走れますよ。」
「こわい、こわい!」
「さすがにあまりスピード出すと跳ねますねえ。」
S馬さんは速度を下げた。
「ええと。エンジンの吹け上りも問題なくスムーズですね。ハンドルは油圧になってます。これも問題ないです。どうですか?ちょっと操縦してみませんか?」
「むりむり。やめときます。もう帰りましょう。よくわかりました。」
「え?もう?そうですか。じゃ、帰りましょうか。」
這う這うの体でマリーナに戻り改めてYさんに購入する意思を伝える。契約をかわし入金日の確認をする。
なんのことはない。結局、衝動買いのようなものだ。
今までのてんやわんやは何だったのだろうか。家内はきっと私のこういうところが嫌いなんだろうなあとハンコを押しながら妙に納得した。家内はとてもきちんとした人で衝動買いなど絶対にしない。先ほどYさんにお願いした件をマリーナに伝えてもらう。
1.1ヶ月ほどこのまま置かせてもらう。
2.船底塗装・清掃・修理などをさせてもらう。
3.時々操船の練習をさせてもらい芦屋まで自走で帰る訓練をさせてもらう。
以上三点を伝えてもらって了解を得る。
これでやっと漁港に船の登録ができる。私は胸をなでおろした。先日、係留所を当てて以来家内のご機嫌が至極悪いことを除けば大満足の結果であった。船を買ったことを伝えるとさらに機嫌が悪くなるだろうなあ。それだけが気がかりだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます