第二十六話――第二世界

 シーの様子が気になり、ブリーゼの誘いに乗って自らの意思で、堕天男ルシファーはブリーゼが発生させた黒き渦の中に飛びこんだ。

 かつて第三世界(現代日本)から第一世界こちらに来た時と同じだ。

 紫色のウネウネした奇妙な空間に放り出され、入口はすぐに閉ざされた。

「『浮遊せよフローテ』」

 無重力なのですでに浮いているのだが、第一世界で空を飛ぶ時と同じ要領で移動できるようだった。

 堕天男の見あげた先には、入口と同じ黒い渦。

 どうやらあれが出口のようだ。


 飛び出した先は、どこともわからぬ薄暗い荒野。

 ゴツゴツとした灰色の奇岩がそこかしこにそびえ立ち、草の一本も生えていない不毛の地だった。


「堕天男⁉︎ なぜあなたがここに……」

「あー」

 堕天男は一瞬返答に詰まる。

 シーが気になって様子を見に来た、というのが正直なところだが、何となく言うのが照れくさかったのである。

「ついでにお前も修行してこいってブリーゼのやつにたたきこまれてな。何なんだ、ここは」

「ついでに修行して来いって……お師匠、気でも違ったのですか」

 みるみる青ざめていくシーの顔を見て、ようやく堕天男が事の深刻さに気づく。

「ここは〈第二世界〉……あなたがかつていた第三世界が創られる前に、第一世界の囚人を収容するために、神によって創られた世界。しかし何かの手違いか、、と言われています。――見てください。あの禍々まがまがしい空を」

 見あげてみればぶ厚い暗雲が空を完全に閉ざしている。

 太陽はすでに沈んでしまったのか、それとも雲が完全に日の光を遮断しているのか、辺りは薄暗く陰鬱いんうつとした雰囲気が漂っており、肺をチリチリと焼くような得体の知れない瘴気しょうきで満ちていた。

「あんまり長居したくはないな」

「ですね。肺がおかしくなりそうです」


「ギィー!」


 唐突に、堕天男の背後から人のものとは思えぬ奇声。

 振り向くとそこには体高二・五メートル、プロレスラーのさらに倍はありそうな筋肉質の腕。

 頭には三本の角が生え、肌の色は緑色の怪物が。

 巨大な角材で、今まさに堕天男を、たたきつぶそうとしている――!


「『石柱よ貫けピエルタ・アペルノ』!」


 シーがすかさず呪文を唱えると、怪物の足下から一瞬で突き出した無数の〈石の槍〉がたちまち怪物の身体を貫き、引き裂き、グロテスクな緑色の体液を撒き散らした……!

「気を抜かないでください……死にますよ」

 鋭い眼つきのシーにそうたしなめられ、堕天男は思わず唾を飲みこんだ。

 先ほどあれだけの戦闘能力を見せつけた彼女シーですらこれほどまでの緊張を強いられる世界を、果たして自分は生きて脱出することができるのだろうか、と、早くも第二世界に来たことを後悔する堕天男であった。


「で、どうするんだ。これから。元の世界に戻るアテはあるのか」

 堕天男の問いに、しかしシーは首を横に振った。

「だってお前、第三世界から俺を連れて帰ってきたじゃないか」

「あれは仲間に〈ゲート〉を開けてもらったからですよ。私には空間に穴を開けるなんて芸当、無理です。お師匠ならまだしも」

 そういえば、第三世界でシーが堕天男を助けた時、幻惑魔法で天使たちを欺き、森の中に避難してから、シーはスマートフォンによく似た装置を手にし、何者かと連絡をとっていた。あれは第一世界への門を仲間に開けてもらうための連絡だったのか、と、堕天男は今さらながら納得する。

「あれを見てください」

 シーは堕天男……ではなく、彼の背後のはるか彼方を、指差した。

 眼を凝らしてみると、その先にはどす黒い城のようなものがそびえ立っている。

「何だあれ。ブリーゼの城か?」

「いえ。あそこにこの第二世界の怪物たちを支配する主――〈魔王〉がいます」

「魔王、だと……⁉︎」

「第一世界に戻る〈ゲート〉もあそこにあります。少なくとも前に来た時はそうでした」

「前に来たことがあるのか」

 そういえばブリーゼがあの黒い渦を出す前に、シーは異様なほど怯えていたな、と、堕天男は思い出す。

「ええ……修行の仕上げというから行ってみれば、まさかこんな地獄のような場所に送られるとは思いもよりませんでしたよ」

「でも、生きて脱出できたんだろ」

「奇跡みたいなものですよ。それに結局、

「は?」

 シーの言葉に、堕天男の思考が停止フリーズする。

「ですから、殺されました。そして

 ますます意味がわからない、と首を傾げる堕天男。

「話すと長くなるので、詳細はお互い生き残れたら、またシン料理でも食べながらお話ししますよ」

 シーの頬を、冷や汗が一滴、流れた。


「――正直に言います。堕天男。あなたを守りながらゲートまでたどり着ける自信はありません。自分の身は、なるべく自分で守るようにしてください」


「わ、わかった」

 堕天男は緊張のあまり噛みながら返答した。

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