第十五話――トーステッド・ライスケーキ

 三日後。魔法の基礎的な仕組みと使い方を必要最低限ざっくりと教わった堕天男ルシファーは、ブリーゼの城の外の庭で実践訓練を受けることとなった。

 ド派手なラブホ状の城の外は、サボテンが点々と生える不毛の地――ではなく、鬱蒼うっそうとした木々が生えるジャングルが、広がっていた。

 腑に落ちない、と、堕天男の顔に書いてあったのか、それを見たブリーゼが。

「何か気になるのかしら? ダーリン」

 と、ひと言。

「俺たち、不毛の荒野にいたはずじゃあ」

「うふふ。それはね、幻覚。この城の周囲だけは、魔法物質マナの供給を容易にするために、様々な動植物が飼育されているわ。温度湿度、それぞれの個体数、食物連鎖のバランス、すべてが魔法生命体によって管理されている。ここに来るまでにあなたが見た景色は、私の展開している広範囲の幻惑魔法によるもの。実際は周囲数百メートルにわたって鬱蒼としたジャングルが広がっているのよ」

 ブリーゼの解説を聞いて、堕天男は絶句した。

 ここに来た際に見えていた不毛の地、動物の鳴き声などは一切なく、ただただ吹き荒ぶ風の音と乾いた空気が身体に絡みつく感覚。

 あれらすべてが、ブリーゼの魔法によって作り出された虚構デマだったというのだから。

 堕天男がかつていた現代日本すなわち〈第三世界〉では、仮想現実VRの進歩が著しいが、作り物であることはまだまだ一目瞭然であり、この世界の生み出す仮想現実まほうの足下にも及ばないようだ。


「さて。ダーリンにはもういくつも魔法を教えてあげたわ。あとは実践するだけよ。ちょうどいいわ。今、何か――そうねえ、お姉さんを、ダーリンのところまで引き寄せてみなさいな」

 そう言い、眼を閉じて唇を突きだすブリーゼ。

 物体操作魔法を使え、ということだろう。

 教わったとおりに、腕を突き出す堕天男は、指定の呪文を詠唱する。

「あー。プ、プリーテ!」

 とりあえず適当に呪文を叫んでみるが、ブリーゼは微動だにしなかった。

「ダーリン。魔法の肝は、イメージよ。精神を集中して、魔法を使ってどうしたいのかを、できるかぎり鮮明に、頭の中に思い浮かべなさい。そして空気中にいる精霊たちに、語りかけるのよ。この私があなたの胸の中に飛びこみ、あんなことやこんなことをするのだと想像しながら!」

 この女――俺の精神を乱したいのか。

 なまめかしく腰をくねらせながら誘惑するブリーゼに、堕天男が疑念視する。

 とりあえず引き寄せる以外の物体操作魔法は教わっていないため、ブリーゼが自分に向

かって飛びこんでくる様子を想像し――


「『来たれプリーテ』!」


 刹那、ブリーゼの体が宙を浮き、堕天男に向かって高速で、飛びこんでくる!

「ああら、やればできるじゃないのダーリン! さあ私を受けとめて、めちゃくちゃにし――」


「『弾けよバルステン』」


 しかし唐突に横から発生した衝撃波によって、ブリーゼは吹き飛ばされ。

 時速三百キロ以上の高速で、壁に叩きつけられた。

 いきなりすぎる展開に絶句する堕天男の視線の先には、呆れ顔のシーがいた。

「遊んでないで真面目にやってください。いいかげんにしないと晩飯作りませんよ」

 あれだけの猛スピードで叩きつけられたにもかかわらず、ブリーゼは何事もなかったように立ちあがる。

 普通の人間なら全身の骨が砕けてもおかしくない衝撃だったはずなのに彼女が平然としている理由は体が頑丈だから――ではなく、体の周囲に常時防護魔法を発動しているからだが、今の堕天男には知る由もなかった。

「もう。わかったわよ。うるさいわね」

 シーの作る晩飯が恋しいのか、不本意ながらも従うブリーゼ。

「ごめんなさいねえ、ダーリン。不肖の教え子が焼き餅焼いちゃって。ほんと、しょうがない子」

「誰が焼き餅ですか」

 真顔で否定するシーに、しかし何かを閃いたように、ブリーゼ。


「ちょうどよかったわ。シー、ちょっと堕天男と魔法試合してみなさい。師匠命令よ」


「なぬ」

 予期せぬその提案に、堕天男が顔を強張らせた。

 それもそのはず、まだ基本の「き」の字も覚束おぼつかない自分に。

 魔法大学を首席で卒業したという、魔道士としてはかなりの実力者であるシーと勝負させよう、などとは――

 言ってしまえば、ボクシングを始めて数日の素人が、いきなりプロボクサーに挑むが如き無謀。

「何を怯えてるのよ、ダーリン。心配しなくてもちゃんとハンデはとらせるわ。使用魔法は物体操作魔法全般と衝撃魔法バルステンのみ。怪我をしても私がちゃんと治してあげるから、安心してりあいなさいな♡」

 何だか物騒なルビがふられていた気がするが、ブリーゼの顔は先ほどまでの弛緩しきった淫魔サキュバスのそれではなく、弟子同士に殺しあいをさせて悦ぶ嗜虐性愛者サディストのそれだった。

「先に戦闘不能の重傷を負うか、降参した方が負けよ。勝っても負けても何もなしじゃつまらないから……そうね、敗者には――勝者の命令をひとつだけ何でも聞く、というのはどうかしら。たとえば、あーんなコト♡や、こーんなコト♡」

「何ですかそれは。ふしだらな。私は嫌ですよ。何の得があってそんなこと……」

 渋るシーの言葉を、やや嘲るような笑顔で、ブリーゼが遮る。

「あら。魔法大学を首席で卒業した秀才ともあろうあなたが、まさかまさか、魔法を学び始めて数日のダーリンに負ける、と?」

 直後、シーの眉毛がつりあがる。

「そんなことはひと言も言ってません」

 この女チョロいなあ、などと堕天男は思った。

「ならいいじゃない。あなたが必ず勝つのなら、堕天男に何を命令するかはあなたが決めればいいのよ」

「――いいでしょう。これも姉弟子の務め」

 完全に師の挑発に乗せられたシーは、静かに首肯する。

 その瞳には、自分がこれから負ける、などとは微塵も思ってない、強い自信が現れていた。

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